プロローグ リリー6歳
あれ、ここはどこだろう。
目を開けると、深いグリーンのベルベッドのカーテンが目にうつる。
「私は確か――」
思い出せるのは、職場からの帰り道。
最後のお客様に思いの他、時間がかかってしまい、職場のネイルサロンを出たのは、もう夜の十時だった。
『今回のクリスマスのイベントだから絶対に失敗したくない』
先ほどまでサロンに居たお客様は某キャバクラに務める有名嬢だった。
お金と時間をかけて、ネイルを整えて行き、SNSで投稿してくれるとそれを見て来てくれるお客様もある。良いお客様ではあることには変わらないのだが、彼女の場合は非常にこだわりが強く、納得できない場合は最悪、最初からやり直すこともあった。
「はあ」
強烈な寒気が上空を覆って言ると、ニュースで見た。ずっと室内で仕事をしていたので、気が付かなかったが、外は雪が降っている。
早く帰りたい。
その一心で、コートの襟を合わせて、早足に歩く。
まさか、地面がアイスバーン状態になっていたとは、そこまで考えが及ばなかった。
一度滑ると、体勢を立て直すことは出来ず、そのまますてんとすべり頭を打った。その衝撃に全身に電流が走る。
(あ、終わった……)
そこまで、覚えているか、その後の記憶はない。
(明日は出勤できないな)
かろうじて、意識が途切れる前にそう思ったことだけを覚えていた。…………
多分頭の打ち所が悪く、そのまま天に召されたのだと理解する。
悲しいとか、辛いとは思わなかった。
転生して、今の私はすんなりと前世の私の死をすんなりと受け止められたし、納得できる事柄だったので、むしろほっとした。
私は今いる、現実に視点を戻す。
ここは、どこだろう。
ベッドをおりて、とことこと鏡の前まで来てみた。
今の自分はこげ茶色の髪と瞳。
外国人風の顔出ちに、ぱっちりとした目。
前世の私は持っていないものだったので、綺麗になって生まれ変わった私にテンションが上がる。
自分が、前世で読んだ物語の様に異世界転生をしたのだと知った。
(しかし、この感動は悲しいかな。すぐに打ち砕かれることとなる。この世界ではもっと美しい人がたくさんいて、私は平々凡々だと気が付くことになるからだ)
リリー・アーセナス。
六歳。
子爵令嬢。
それが今の私。
今まで、リリーとして生きて来た、記憶も名前もすぐに思い出せたので、とくに混乱することはなかった。
ここは、アンバー王国。
剣や魔法、魔王も勇者も聖女も存在する世界。
私は思い出せる限り、前世のを振り返る。窓から見えるこの世界が見知った物語の世界ではないかと考えながら。しかし、残念ながら全く思い当たる節がない。
もしチートの乙女ゲームなら、攻略対象者の鉄板は王太子殿下だろうと殿下について調べた。
第一王太子殿下は既に成人を迎えているので(しかも婚姻済み)、年齢の近い第二王太子殿下。彼の名はエドガー・アンバーと言う。家に姿絵があったので、見せてもらった。
金髪碧眼であるが、正直美しい方であるとは言い難い。
今はまだ六歳の方なので、成長に伴って変わることもあるだろうが。それは殿下の今後に期待するとして、ただ、ヒロインが平民だった時は、どうやって出会って関係性を育んでいくのかと、次の疑問が生まれる。
この世界には、乙女ゲームにおなじみの学園設定はない。
職業に対しての養成機関はある。
細分化されており、ドキドキワクワクの生活と言うよりも、本当に職業訓練をする場なのだと、屋敷のメイドに聞いた。期間も職種によって異なるため、早いものだと一、二週間と言う場合もあるらしい。
リリー・アスセーナス。
その名前も何度も思い返してみたが、箸にも棒にも掛からない。
万が一、もしここが、なにかの物語の世界だったとしても、完全なモブだろう。
まあ、ともかく転生ならチートスキルがお約束。
アンバー王国では、全ての国民は身分に関検査なく、六歳になると、適正検査で測定器にかけられる。
そこでどんな適正があるのか判断されるのだ。
ある程度の能力、スキルがあれば、のらりくらり、楽に暮らしていけるだろう。
アスセーナス家は貴族(子爵)に名前を連ねる家系であるが、それほど裕福ではないと、生活する中で感覚的に知った。だからこそ、もしも家が没落となってしまったとしても、ある程度の能力が手に入れば一人で生きて行くことも、それ程難しくは無いだろう。
この世界では貴族は特に、家名を絶やさない様に、結婚が推奨されており、とくに女性が一人で仕事をして生活してくことはあまり一般的では無いようだった。(市井では割と普通になってきていると聞くが)
しかし、前世で日本人として生きて来た、三十年間は、結婚もしたことがなかったし、お一人様生活を満喫していた。
両親は早くに離婚。
女手一人で育ててくれた母も当時の私が二十歳の時、突然私の世界からいなくなってしまった。
そんな人生だったので、一人で生活することにそれほど抵抗はない。後は、一人で生きていけるだけの能力を有することが出来るかどうか。そこにかかっている。
適性検査は、それぞれの地区に国の出張所が臨時で設営され、そこで確認される。
能力は国でそれぞれ把握されるのだ。それは、稀有な能力は訓練と言う名のもとで、国で管理するためでもある。
私は事前にどんな能力であればいいだろうかと、”癒し手”回復魔法に特化した能力があればと考えていた。と、言うのもこの世界には、前世程の医療技術と言うものがない。怪我や病気をした時にどうするかと言うと、聖女は癒し手と呼ばれる、回復魔法やスキルを使用できる人に依頼する。
しかし、そういった能力を持っている人はもともと数が少ないので、食いっぱぐれることはなく将来安泰と言われている。
今、私は子爵家の馬車に乗って、その適正検査の出張所に向かっている。高位貴族やお金のある家なら、検査員を家に招いて、自身の邸宅で行うこともあると聞くが、アスセーナス家にはそんなお金はない。リリーの上に姉と兄がいるが、二人とも出張所で検査をしている。
馬車が到着し、私は検査員の指示に従って平明型の透明なクリスタルの前に立っていた。
「では、こちらに手をあててください」
こくりと頷き、右手をあてる。そのクリスタルに自身の能力が表示されるらしい。
どうやって能力が感知される仕組みなのか、わからないが…………手がじんわりとあたたかくなる。
「もう離して大丈夫です」
割合緊張して力が入っていたのか、手を下げるとどっと疲れる様な感覚があった。
何も表示されていなかったクリスタル上にぼんやりと文言が浮かび上がる。
【固有スキル:創造力】
「ん?」
検査員の目が点に。
じっと、クリスタルの画面に注がれ、唖然としている。
固有スキルと言うのは、確か珍しいもので、他に類がなく、その人だけが持つ特異の才能・能力だとされてたと聞いていた。
「めずらしい、モノなのですか?」
あまりにも沈黙が長かったので、たずねてみる。
検査員は私に先ほど、クリスタルに手をあてるように言った人と、もう一人その記録をする係りの人がいる。その二人はお互いの顔を見合わせていた。
「その、お嬢さんは何か考えたり、思いを巡らすことは得意かね?」
最初はなぜそんな質問をされたのか、その意味がわからなかった。何度か目をぱちくりさせて、だんだんと目の前の二人の検査員が何を言わんとしているのかが次第に分かって来た。――――つまり。
「うん。絵本を読みながらその先のストーリーを考えるのが好きです」
ここに表示されたスキルは全く必要とされない。ほとんど不必要なスキルなのだと気が付き、内心泣きたかった。でも六歳児にふさわしい笑顔でそう言葉を返した。
「そうか、そうか。じゃあ、やはりお嬢さんの能力と言うのは、他の人よりも空想したりする力が豊かなのだろう」
私は笑顔で礼を言った。
この時は検査員のこの説明で納得していたが、内心がっかりしていた。もし、一人で生きていくためにもっと有益な力を望んでいたから。でも検査員の言葉には思い当たる節があったから何も言えなかった。例えば、思い出した私の前世のキオク。
これだって、本当は自分の中で生み出された想像の産物だったとしたら? そう思うと、私は納得する以外に方法がなかった。
そこから、何をどうしたのか記憶に無いが、気が付くと馬車に乗っていた。
家までの帰り道である。
窓の外を眺めて大きくため息を吐く。
そうぞうりょく。………………
はっとした。
クリスタルに浮かび上がったのは、”想像力”ではなく、”創造力”の文字ではなかったか。
もしやと思って、目を閉じ、頭の中にピンクのレースのついたリボンを思い浮かべる。
それから、私は強く『欲しい』そう思った。
脳内でポンっと音がして、目をひらくと、座ったドレスのひざの上に見慣れないピンクのリボンが置いてあった。
馬車の中には私以外誰もいない。しかも車内でピンクのリボンが使われている箇所もない。つまり、このリボンは、私が自分のスキルを使って出現させた――創り出したと言う事に他ならないか。
「やった」
小さく、ガッツポーズをするも、ごっそりと自分の中から何かが抜け落ちた様な感じがして疲労感もある。
今この段階では、この力が何に使えるのか、どんな利用価値があるのか、わからないが、この力について、現段階では私だけしか知らないというのは逆に好都合だと感じる。そう考えると、あの検査員の人達が、認識を誤ってくれたのは幸いだったのかもしれない。それに、下手に能力を知られ、悪用されるのは不味い。
☆創り出せるものは、私が思うものはなんでもか(制限がないか)
☆スキルを使用する際のしばり
この二つについては、今後検証する必要があると感じる。
もしかしたら、核爆弾だってつくりだせるかもしれない。
でもそんな風に自分の力を悪用されるのはごめんだ。戦争の道具にだってされたくない。力を隠して、ただ想像力のたくましい一人の少女だと思われた方がいいのだと。前世の三十歳の私がささやく。
また、このスキルが自分の将来、どんな力に繋がるかは、まだわからない。でもそれもこれからゆっくりと考えたらいい。
なんと言ってもまだ六歳なのだ。
自分の心に余裕が出来た所で、もう一度、窓の外を見る。
この辺りは貧民街だった。
薄汚れた襤褸をまとった人々。
私と同じくらいの年齢の少年・少女たちもいる。しかし、彼らだってもし稀有な能力を持っていれば、人生の逆転はいくらでも可能だ。もちろん持っていればの話ではあるけれど。
ふと、建物の壁に背を向けうずくまる一人の正面に目が行った。背恰好から年齢は私と同じ位だろうと思われる。私の視線に気が付いたのかすっと顔を上げる。薄汚れているが、見目は良い。
「とめて」
私は馬車の天井をつっつく。
馬車はゆっくりと速度をおとし、とまる。
「お嬢様、一体こんなところで何を?」
御者もここををどこだかわかっており、不安そうな声を出す。
「大丈夫」
私の言葉に、不本意そうな表情を見せるも扉を開けてくれた。
私はゆっくりと馬車から下りると先ほどの少年の元に向かう。
「きみ、名前は?」
しゃがみこんで、少年と視線を合わせてそう声をかけるが、半目をこちらに向けたくらいで、反応は薄い。
「私はリリー。私と一緒に来ない?」
貴族が貧民街に住む住民を自身の屋敷に引き入れることはよくある話だ。
それは衣食住を提供すると言う慈善活動。
稀に、悪意や下心を持った高位貴族の話も聞かなくはないが。ただ、私くらいの年齢の子がそうするのはなかなか聞かない。
だから、目の前の少年も一体何を言っているのかと、半信半疑であったと思う。
私が本気であると言う意味を込めて、手を差し伸べると驚いて、目を見開く。
「いいけど、行くなら双子の妹も一緒だ」
双子の妹なんていたのと今度は私の方が驚いた。
私がなぜ、彼に声をかけたか――今後の事を考えると、私だけに仕えてくれる専属の執事、侍女、使用人が欲しいと思ったからだ。
だから、彼の申し出は私にとっては好都合である。
「もちろん」
私が笑顔で頷くと、少年――エド・ヴァルマは一瞬嫌そうな表情を見せたが、自分からそう提案した手前、頷いて立ち上がると、妹を連れてくると言って、路地の方に向かう。
双子だと言って二人を連れて来たが、よくよく話を聞くと彼らは双子ではないことがわかった。(後になって彼にこの時の事を聞くと、エドは遠まわしにな断り、つまり二人も一緒ならば無理だろうと意味を込めて発言したのだと話してくれた)
連れて来たのは、一人の少女。髪の毛は薄汚れているが、洗えば、綺麗な金髪になるだろうと思われた。派手は顔だちではないが、すっとした瞳にどこか惹かれる。彼女はアリ・ミルズの名乗った。
「双子では……?」
エドとアリの苗字がなぜ違うのか。アリとエドは顔を見合わせフッと笑う。本当は双子ではないのだと説明した。
「甘い言葉で誘う、変なお貴族様もいるんだ。そんな奴は大抵、双子だと言うと引いていく」
エドの言葉にアリも頷く。
「お貴族様の間では、まだ忌み子と、双子を嫌う風習が根付いているからだと」
この世界では、双子は災いをもたらす存在だとされている。市井では過去の産物だと一笑するものも多いらしいが、古いしきたりを大切にする貴族の間ではまだ現役の話である。
だから、双子が生まれた時、一人を隠す、つまり捨て子にする場合がある。――貧民街には実は貴族の血筋の子が秘密裏に捨てられていると言う話も噂にある。
ともかくこれがこの先、リリーと苦楽を共にする二人との出会いであった。