手切れ金少なすぎませんか?別れてあげませんよ?
「貴女、ガーヴィンと付き合っているそうね。手切れ金をあげるから、姿を消しなさい」
名門アットフィールド家の現当主の妻であるゴルドバは、うつむくメイドにぽんっと金貨と銀貨が詰まった布袋を手渡した。
アットフィールド家に仕えているメイドであるドロシーは、その布袋を確認し、フッと鼻で笑った。
「奥様?手切れ金にしては少なすぎません?」
「なっ!!!メイド風情が何をっ!!」
「ガーヴィン様と婚姻して、アットフィールド夫人になったとしたら、もっと巨額の富を得られますよね。こんな小金ではなく。あと少し待ってあげますんで、もう少し色付けてください。じゃないと、別れてあげませんよ?」
臆することなくニコッと微笑むドロシーにゴルドバはうっと言葉を詰まらせた。確かに、庶民であれば直ぐに飛びつく程の身に余る金額であるが、冷静に将来を見据えたらはした金である。学が無く御しやすいだろうと見下していたメイドの思わぬ反撃に動揺してしまったが、夫人である自身の矜持を思い出し瞬時に表情を取り繕った。
「下賤の者は考え方も浅ましいのですね。本来ならば手切れ金も無く、追い出してもよいのですよ?」
「それで良いのなら構いません。ただ、坊ちゃまは納得しますかね?坊ちゃまのお心は私にありますし…ご両親の反対に逆に火が着いて、家を出たり、私を愛妾にしてずっと傍に置くかもしれませんよね?私からは、離れたりはしませんし」
脅すつもりが、脅し返され、ゴルドバは唇を噛み締めた。確かに息子であるガ―ヴィンはこのメイドに心酔している。いつ自棄を起こすか分からないのだ。高位の貴族令嬢との縁談を結ぶにも、ドロシー自ら出て行ってもらうのが一番確実だろう。交渉を決裂させるのは悪手だ。そう判断し、もう一度メイドと向き直る。
「分かりました。明日、もう一度この場所に来なさい。それ相応の対価を用意しましょう。くれぐれも息子に告げ口はしないのよ」
釘を刺したゴルドバにドロシーは気にした様子も無く微笑んだ。
「ええ、勿論ですわ。奥様」
しかし翌日、ドロシーが指定された場所に赴くことは無かった。忽然とアットフィールド家から姿を消したのだ。
「な、何なの!?手切れ金も受け取らず…訳が分からないわっ!!」
庶民ならば一生遊んで暮らせる程の金貨がずっしりと詰まった袋を握り締め、ゴルドバは憤慨しながら叫んだ。後味の悪さを覚えつつも、邪魔者は消えたのだ。お金も使わなかったし、よしとしよう。そう無理やり自分に言い聞かせた。この判断を後で後悔するとは知らずに──
◆◆◆
「ドロシー、こんな弱い僕でごめんね」
「まあ!何を言ってるの、ヴィー。貴方は大丈夫よ。これからきっと良くなるわ!」
ガーヴィンは幼い頃から病弱で、成人を迎えても床に臥せる方が多かった。貴族特有の輝く様な金色の髪に蒼い瞳。透き通るような白い肌は、病弱ながらこの世の者とは思えない美しさを醸し出していた。
中々外に出られないガーヴィンをいつも元気づけていたのは、メイドのドロシーであった。活発で健康な彼女を眩しく思いつつも、自分を病人だからと気遣わず普通の男として扱ってくれるドロシーに惹かれるのは自然なことだった。
彼女が傍仕えのメイドになって数か月で想いを自覚し、メイドと主人の関係から恋人になるまではそう時間はかからなかった。
ドロシーの出自は彼女が話したがらなかったので知らないが、庶民に生まれかなり苦労して生活してきたということだけは分かった。
生活するのも苦しく、今の三食保障された生活は天国の様だと顔を綻ばせながら言った彼女を、護りたいと、そう思ったのだ。
「ヴィー、この薬は飲んじゃダメよ。あと、スープにはなるべく手を付けないで」
「うん。分かった」
時々真剣な顔でガーヴィンの飲み物や食べ物について指示を出す彼女は、何だか慣れ親しんだ彼女と別人のように思える時もあった。
ドロシーが傍に居るようになってから、体調は徐々に良くなっていった。彼女と共に生きていきたい。出来れば、一番近くで。そう思っていた矢先に、ドロシーはガーヴィンの前から姿を消したのであった。
「ドロシー、君は一体どこへ行ってしまったんだ……?」
アットフィールド家から出て行ったら、行く当てはあるのだろうか。お金は、仕事は、住むところは──…心配で堪らなかった。
『ヴィー、私はいつでもヴィーの味方よ!大好きよ、ヴィー』
屈託なく微笑む彼女が忘れられない。いつになく上機嫌な母親に嫌な予感を覚えつつも、ガーヴィンは拳を握り締めるのであった。
◆◆◆
「ガーネット、今回の仕事は長くかかりましたね。珍しい」
「あら、アラン。久しぶりね」
ガーネットと呼ばれたドロシーは真っ黒なドレスを身に着けて地下の酒場で馴染みの男─アランに冷たい視線を投げかけた。メイドの時の面影は無く、紅く艶やかな髪の毛を下ろし、化粧を施した彼女は周りが振り返るほどの美人であった。
「掴めたんですか?アットフィールド家の情報は」
「勿論よ。私を誰だと思ってるの?もうまーっくろ。あの家も終わりね」
「いい仕事した割には元気ないんですね」
何もかも見通したようなアランにドロシーは自嘲気味に笑みを零した。
「そうね。私にもまだ人間らしい感情があるって気付かされたわ」
「それはそれは。明日は槍でも振りますかねーっ!」
茶化すように言われたが、言い返すこともせず、ドロシーは視線を逸らしたのだった。
翌日、アットフィールド家の不正や、夫人の横領、息子への長年に渡る有害薬物投与の見出しが大々的に紙面を飾った。これによりアットフィールド家は没落の一途を辿ることとなる。
◆◆◆
「私の事、怒ってる?」
「怒ってないよ。急に姿を消したから、心配はしたけど」
治癒院の病室で横になるガーヴィンの傍には、花束を持ったドロシーが立っていた。
「やはり…君は、只のメイドじゃなかったんだね」
「そうね、私は諜報員だったの。騙していてごめんなさい。アットフィールド家と敵対している派閥に雇われて、情報を探っていたのよ」
ドロシーは孤児だ。生きていく為には何でもした。諜報を主とする組織に拾われてからは、燃えるような赤い髪の毛から『ガーネット』と名付けられ裏の世界で暗躍していた。己を殺し、命令に忠実に。数々の情報を盗み、数多の者が陥れられるのを冷酷なまでに見てきたのだ。
まさか、そんな自分が、誰かに心奪われる日が来るとは思っても見なかった。
『はじめまして、新しい子?僕と仲良くしてね』
天使のように清らかで美しいガーヴィンを見た時から、心が奪われた。心を閉ざし、仕事に邁進してきたドロシーの心の中にすんなりと入り込み、癒しを与える。
『ドロシーは一生懸命頑張って来たのだね。これからは僕にも君を護らせて欲しい。君の前で僕が只の『ヴィー』で居られるように、君も一人の女性の『ドロシー』として甘えて欲しいんだ』
真っ黒に染まった自分の罪深い手を、何の迷いもなく握りしめるガーヴィンに、惹かれ、そしていつしか愛してしまった。いつかはこの手を突き放し、アットフィールド家を陥れなければいけないのに。
──ヴィーだけは、護りたい。
年齢と精神年齢が伴わない彼を傍で観察する内に、精神を犯す成分が入った薬が盛られていることに気が付いた。天使の様に清らで無邪気な彼は、御しやすく造られた人格だろう。彼を意のままに操り洗脳したい誰かが、薬を長期に渡って投与していたのだ。
ドロシーは気付かれない様に徐々に薬が抜けるようガーヴィンの食事や飲み物などに気を配った。徐々に自我を取り戻し、崩しがちだった体調も回復してきた所で、ゴルドバに目を付けられた。
ガーヴィンがおかしくなったのは全てメイドであるドロシーに唆されたから。薬は効いている。そう思われるよう振舞った。そして、ゴルドバはドロシーを排除しようと動いたのである。
「全ては、お継母様の企みだったんだね……」
「ええ。私への手切れ金を捻出するために横領まで働いてくれたから、やりやすかったわ。後妻としての地位をヴィーを傀儡にしてまで欲しかったのね」
ゴルドバはガ―ヴィンの実の母が亡くなり、迎えられた後妻だ。当主は他に愛人を作り、面倒な執務はゴルドバに任せるようになっていった。愛人を正妻に迎え、当主を息子に譲り、用済みになった自分は追い出されるのではと恐怖に駆られ、嫡男であるガーヴィンに狙いを定めたのだ。
ゴルドバの生家は代々薬師を輩出する家系であり、ゴルドバも薬への知識や調剤技術があった。いつしか人の精神を操る薬に手を出し、当主や義理の息子にも薬を盛るようになった。事業相手にも触手を広げ、不正に儲けを出していたのだ。
砂の上のように不安定な居場所にしがみつき、後戻りできないところまで手を染めながらも己の幸せを願うゴルドバは暗い牢獄で今何を思うのだろうか。
「アットフィールド家を没落させた私を恨んでも良いわよ?」
「まさか、逆に感謝している。あのまま操られているだけの人生はさぞ、つまらなかっただろうからね」
宝石のような美しい瞳を細め、ガーヴィンは微笑んだ。そして、ドロシーの手をぎゅっと握り締めた。
「地位も、お金も、何も無い。今の僕はただの『ヴィー』になった。ずっと、僕が望んでいたことだ。ありがとう、ドロシー。君はもう自由になっていいよ」
「あら?私はヴィーの手を放すつもりは無いわよ」
ふふっと不適に微笑んだドロシーはガーヴィンの手を握り返した。
「貴方の継母に用意された手切れ金も受け取ってないもの。別れる筋合いはないわよね?」
ドロシーの言葉に目を丸くしたガーヴィンは、そのままドロシーの手を引き自身の胸の中に閉じ込めた。
「こんな僕でいいの?」
「私も人間らしい感情が残っていて吃驚しているの。どうしてこんなにも、貴方を愛してしまったんだろうって」
「……、ドロシー、大好きだ。君を、生涯かけて愛してもいいかな?」
「どうぞ、お好きに」
照れくさそうに素っ気なく言ったドロシーの顎に手をかけて視線を合わせた。蕩けるように視線が絡まり合い、そのまま唇が重なり合った──
この日を境に、地下街で『ガーネット』が目撃されることは無くなったのだった──
◆◆◆
治癒院で治療を受け、体内に残留していた薬も抜けきり、体調も万全になったガ―ヴィンはアットフィールド家を立て直すべく奔走していた。
父から当主の座を渡され、新たな当主として執務に当たるその傍らには、当然のようにドロシーの姿があった。
「旦那様?この事業は投資してはいけませんよ。情勢が不安定です。こちらの株はお勧めです」
「流石ドロシーだね」
「ふふ。『情報』は武器になりますから」
アットフィールド家が没落後、急速に復興したのは、言うまでもない──
ガ―ヴィン・アットフィールドと、その妻であるドロシー・アットフィールドは後に国中の羨望を集める最強夫婦となるのは、もう少し先のお話……
END
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