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8 セシリオの誤解

いつも誤字報告でお世話になっております。

私は『一つ』という字面が好きではないので『ひとつ』と書いております。毎回丁寧に誤字としてご指摘頂いているのに反映させないのが心苦しいのでここでご報告いたしますね。『ひとつ』と書くのは変換忘れではなく完全に私個人の好みです。お知らせが遅くなり申し訳ありません。

(何も言うな)と合図した相手の男はそれを理解したらしく、口を閉じていてくれた。セシリオはホッとしてベルティーヌに「商品を買いたいのだが」と切り出した。


「まあ!ありがとうございます」

 ベルティーヌは他の面々に学習席に戻るよう告げてからセシリオに向かい合った。


「どの商品をご希望でしょう?」

「そうだな、アクセサリーを十個、適当に選んでくれるか?」

「十個ですか?ありがとうございます!」

「それと刺繍は注文制なんだね?刺繍も注文したいんだが」

「ありがとうございます。何に刺繍をいたしましょうか」

「ハンカチに。柄は任せる。あまり派手でなければなんでもいい」


 セシリオの買い物は結構な額になり、アクセサリーを包んで手渡したベルティーヌは丁重にお礼を述べた。

「作り手の女性も喜びます。ハンカチは五日ほどお待ち下さい。お届けに上がりましょうか?」

「いや、受け取りに来るよ。五日後だね?」

「はい。お待ちしております」

 嬉しそうなベルティーヌに見送られ、なんとも複雑な気持ちで店を後にしたセシリオは、そっとため息を吐いた。


「参ったな。あんなに頑張ってこの国に根を下ろそうとしている彼女に早く帰ってくれとは言い出しにくいじゃないか」

 そうつぶやいて屋敷を目指した。馬上で彼女の言葉を思い出す。

『ろくに水も食べ物ももらえずに過ごしたことを思えば、別に』と、我が屋敷にいたときの待遇が男に殴られそうになることよりつらかったと語る彼女に胸が痛んだ。


 あの時自分はいつ帰れるかわからなかった。酷い待遇の終わりが見えなければ敵陣で耐え忍ぶ時間は長く、苦痛も増したことだろうと申し訳なく思う。


「ハンカチは五日後だったな」

 その時に自分の身分を明かそう、そして我が家での仕打ちを誠実に謝ろうと決めてセシリオは馬を進めた。





 一方こちらは、忙しいベルティーヌ。

 帝国語の指導代はお金でも現物でもいいと伝えたところ、ほぼ全員が食べ物で支払うようになった。肉、野菜、豆などを毎日手渡される。たまに生きた鶏やヒヨコのこともある。

 だが南部は母国より気温が少し高いので放置しているとどんどん食材が腐る。なので不慣れながらもドロテと二人で料理をし続けた。日替わりで味付けを変えてはいるが、だいたいが具だくさんのスープだ。

「食べ物を腐らせるのは我慢ならない」と。


 人には言えないが実家が持たせてくれたお金と宝飾品を少しずつ売って暮らせば女二人で相当長い期間食べていける。だからベルティーヌは授業料はお金でなくてもいいと言ったのだが。結果、大変なことになってしまったと困惑している。


「でも、食べに来てくれる人がいるからいいかしらね」


 最近では暇を持て余している老人や、両親が働いていて留守番をしている子どもたちが具だくさんスープを食べに来る。スープも目的だろうが近所の顔見知りが集まっておしゃべりするのが楽しいらしい。


 昼食時はもはや『刺繍とアクセサリーの店』なのか『無料の食事処』なのかわからない状態になっている。


(それでもいいわ。体裁なんてどうでもいい)


 どこにも自分の居場所がないと思った閣下の屋敷での絶望は忘れられない。

 だけど今はここに居場所がある。自分の居場所は自分で守って生きていくと心に決めている。


「アンドリューとの婚約解消もあるし、私は誰かと結婚して穏やかに暮らすことはできない運命なのかもしれないわね。今回のことでますますそう思うわ」

「お嬢様、アンドリュー様のことはお嬢様には何の責任もありませんから」

「そうだけど。いずれにしろ全ては過ぎたことだわ。さ、刺繍をするわね」

 

 今日訪れた黒髪のお客さんを思い出し、彼の印象にふさわしい柄を考える。

 サファイアのような美しい青い目の人だった。

「黒髪にサファイアの目、ね」

 実家から運んできた図案集を開く。たしか自分の夫になる予定だったセシリオ閣下も黒髪に青い目と聞いていた。


「ねえドロテ、この国には黒髪に青い目って多いのかしらね」

「どうでしょう。でも定食屋のご主人も黒髪に青い目でしたし、三軒先のご主人とご隠居さんも黒髪に青い目ですから。珍しくないのかもしれませんね」

「そう言えばそうだったわね」

 そう返事をしてベルティーヌは再び図案集に目を向けた。



 約束の五日後、例の黒髪に青い目の男が再び来店した。今回は閉店間際だった。

 ベルティーヌの他には一人の壮年の男が帝国語のレッスンを受けていたが、もう終わるところだったので来店客が入ってきたのをきっかけに生徒は帰って行った。


「いらっしゃいませ」

 そう出迎えたものの(そういえばお名前を伺ってなかったわ)と思い出したベルティーヌは

「注文のお受け取りですね。ええと……」と名前を聞こうとした。すると男は

「セシリオと言います」

 そう告げてサファイア色の目でじっとベルティーヌを見た。


「セシリオ様、どうぞ、ご注文のハンカチです。柄をご確認ください」

 ベルティーヌは(あら?名前も同じ?)とは思ったものの、珍しい名前ではないし、まさか国の代表を務める人が一人でここに来るわけはないか、と思い直した。そもそも閣下には面会も謝罪も断ったのだ。


 男はハンカチを広げ、この国の国旗に描かれている白頭鷲ハクトウワシとライオンが背中合わせに立ち、その背中が合わさる部分に剣が描かれている刺繍を見て目を大きくした。

「これは、国旗の図柄だね?」

「ええ、大体は。でもお客様の黒髪とサファイヤのような目をここに」

 そう言いながらベルティーヌがハンカチを指さしながら覗き込んだ。


「なるほど。ライオンのたてがみが黒いな。そして白頭鷲ハクトウワシの目が青い」

「ええ。お客様の凛々しく強そうな雰囲気を表しました。お気に召していただけたでしょうか」

「ああ。とても気に入った」

「それはようございました。代金はハンカチ代と刺繍とで大銀貨一枚でございます」

「いや、五日もかけてその値段では儲けにならないだろう。もう少し余分に……」


 そこまでセシリオが言いかけたところでドアが開いた。

「ベルさん、ただいま!いやー、腹が減ったよ。あっ、悪い悪い、お客様だったか」

 エバンスは客の顔も見ずにペコリと頭を下げて、そそくさと二階へと上がって行った。

 

 驚いた顔のセシリオにベルティーヌが説明した。

「用心棒代わりの同居人です」

「あ、ああ、そうなのか」


 そこでまたエバンスがドスドスと階段を降りてきて顔も出さずに

「ベルさん!浴室を借りるぜ!」

と声だけをかけて店を通らずに店の奥の廊下を通って浴室に向かい、バタンとドアを閉める音を立てた。バシャバシャという水音とともに鼻歌が聞こえてくる。歌は『我が故郷のサラン川』という歌だ。


「すみません、騒がしくて。もうほんとに子どもみたいな人で」

「へえ。未婚の女性と若い男性が同じ家に住んでいたら、普通は同居人ではないと思われるんじゃないか?」

「え?」


 セシリオの口調に冷ややかさが滲んだ気がしてベルティーヌは警戒した。


「敵国に来て苦労しているだろうと本気で心配していたが、その必要は無かったようだ」

「どういう意味でしょう?」

「母国に帰らないのは恋人ができたからなのか?ジュアン侯爵令嬢。別にそれは構わない。君の人生だ。だが父親の立場に配慮して帰るに帰れずこの国で頑張っているのかと、俺はそう思って胸を痛めていたよ」


 苦笑する男の顔をまじまじと見て、やっとベルティーヌはこの男がセシリオ閣下本人なのだと思い至った。その瞬間ベルティーヌの雰囲気が一変する。

 背筋を一層伸ばしてツンと顎を上げ、キリリとした眼差しでベルティーヌはセシリオを睨みつけた。


「エバンスはただの同居人ですが、その手の誤解をされることは覚悟の上です。あなたがセシリオ閣下でいらっしゃるのね。国に命じられて婚約を解消してまで嫁ぎに来た私に、さっさと帰れとおっしゃった方。なるほど、使用人がああいう態度に出たのももっともですわね」

「いや、それに関しては……」


 セシリオは慌てた。

 (しまった。まずは謝るつもりで来たのに。今のは俺の言い方が悪かった)と謝ろうとするセシリオを押し止めるようにしてベルティーヌが問い質した。


「私、二週間後に結婚するという時に閣下に嫁げと命じられました。何もかも諦めてこの国に参りましたのよ。閣下には関係のない、私の都合ですからイグナシオさんにも申し上げませんでしたけど。婚約を解消し、敵国に嫁ぎに行って、すぐ帰される。それがどういうことか、その先の人生がどうなるか、想像してみてください。恋人ができたからここにいるわけではありません。閣下、お教えくださいませ。私がこの国に留まることは、一体いくらお金をお支払いすれば許されるのでしょう?」




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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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