7 ウルスラの花
南部連合国の中でも中心都市イビトは特に戦勝気分で浮かれていた。
訓練された帝国の軍隊に対して寄り合い所帯の連合国軍は勝ち目がないと自国民にも思われていた。なのに勝ったので国民の喜びは大きかった。それは帝国の戦法をとことん調べ、作戦を練り、各部族を適した場所に配置したセシリオの指揮のおかげだった。
セシリオへの国民からの賞賛は日を追うごとに高まっている。
三十五歳独身にして眉目秀麗。その上南部連合国代表であるセシリオに熱い視線を送る女性は増える一方だ。
今日も書記官のイグナシオがその件で頭を悩ませている。
「閣下、族長会議の後の宴会のことですが、もう少し閣下も時間を取っていただけませんか」
「宴会など上の者がいない方が盛り上がるだろう」
「逆です。閣下とぜひお話をしたいと望む族長の娘たちからの申し出が殺到しています」
セシリオは書類から顔を上げて不思議な物を見るような顔をした。
「それを上手に断るのはイグナシオ、お前の仕事だろう?俺は今、女に使う時間がない。帝国とのやり取りで忙しいのはわかってるだろうが」
「しかし閣下、族長たちの機嫌を損ねると厄介なことに……」
セシリオの青い目がイグナシオを見据える。
「族長たちをまとめるのは確かに俺の役目だ。だがそのために彼らの娘たちの機嫌を取るつもりはない。俺に従わなければ損をすると族長たちにわからせるように仕事をするのみだ。とにかく宴会に顔だけは出すが挨拶後はここで仕事をする」
もう下がれと言わんばかりにセシリオは会話を打ち切った。昨夜届いた連絡に頭を悩ませていたからだ。
二ヶ月ほどかかったが、やっと例の侯爵令嬢が見つかったのだ。ホセによると
『令嬢の所在が判明。しかしセシリオ閣下の謝罪は不要、会うつもりも無しとのこと』という報告だった。
侯爵令嬢の住まいは首都イビトの中心部から外れた場所だった。そこで侍女と二人で細々と刺繍したハンカチや小物を売って暮らしているとのこと。
「謝罪も面会も不要、か」
彼女がこの国にいる限りこちらは賠償金の不足を請求しづらい。この国は今、搾取され続けた国内を立て直すのに資金が必要だ。令嬢はさっさと国に帰るものと思っていたが、予想に反してこの国に住むつもりらしい。
(しかし南部の人間は帝国側の人間を嫌っている。サンルアンの宰相の娘に商売なぞできるはずがないだろう。生活に行き詰まって死なれたりしたら厄介なことになる。直接会って帰国するよう説得するか)
セシリオは根性のありそうな貴族の令嬢はどんな女性かと少しだけ興味を持った。
セシリオの仕事に少し余裕ができた十日後。
首都イビトのかなり東端の、庶民が住む地区にその店はあった。
手書きの看板はこの国の文字で「刺繍とアクセサリー ウルスラの花」と上手にペンキで手描きされていた。
ウルスラとはこの国のどこにでも生えているツル性植物で、飢饉のときには根っこを掘って食べたりもする。繁殖力がとてつもなく強いのに、赤紫の房状の花は可憐な植物だ。
この国では看板は原色を使ってとにかく目立たせようとするのが一般的だが、その看板は象牙色の地にウルスラの花の色と同じ赤紫で店名が品良く小さめに書かれている。文字も流れるような書体を使いつつ読みやすい。
「なるほど、ウルスラか。逞しく生きていこうということかな」
今日のセシリオは普段着だ。黒いシャツにゆったりした灰色のパンツ、普段使いの革の短靴。イグナシオが同行すると申し出たがそれを断って一人で馬に乗ってやって来た。
店に入ろうとして入り口の脇にかけられた板に「帝国語の翻訳、語学指導承ります」とあった。
「へえ」
感心しながらドアを開けると、狭い店内には十人ほど人がいた。だが全員が客というわけではなさそうで、五人の男女が奥のテーブルでノートのような物を見ながら発音の練習をしていた。
教えているのは明るい茶色の髪を後ろでひとつに縛り、こめかみの辺りの髪は編み込みにしてすっきりと顔を出した女性だった。
「アダン、そこは最後まで発音しないの。口の中で消えていく感じでもう一度読んでみて」
「ヘナ、とても上手だわ。その調子よ」
「あらマイロ、それじゃ鶏肉の代わりに生きてる鶏をくれと言うことになってしまうわ」
笑顔で言葉を教えている彼女が侯爵令嬢だろう。想像していたような深窓のご令嬢という感じではなかった。この国の住人たちと笑顔で気さくに会話している。発音もこの国の人間と遜色なく帝国風の訛りもない。
短期間に彼女はこの地に馴染んでいるようだった。
彼女の仕事の邪魔をしたくなくて、セシリオは耳をそちらに集中させながら狭い店内を見て歩いた。
店内には刺繍をしたハンカチが少々、この国の女たちが日常的に使う布製の肩掛け袋、日除け代わりのショールなどが展示されていて、どれにも垢抜けた刺繍が施されている。商品の数が少ないので店というより展示会場のような雰囲気だ。
あちこちに「お好みの図案で刺繍いたします」と書いたカードがピンで貼り付けられている。商品に刺繍されている図案は帝国風に洗練されていてどれも美しい。いかにも帝国側の貴族の趣味、という感じがする。
奥に向かって細長い店の右側をあらかた見終わって、左側の壁に移動したセシリオは足を止めた。左の壁は一面ピアスやネックレス、腕輪などのアクセサリーが整然と飾られている。セシリオが驚いたのはそのアクセサリー類の見慣れぬデザインである。
この国では赤ん坊の時に両耳に穴を開けてピアスをさせる。それは伝統のある習慣で男女ともにピアスをするのだが、多くは金や銀の小さな球形のピアスだ。
年頃になっておしゃれ心が芽生えるとそれを飾りのある物に取り換える者が多い。裕福な者は宝石や色石、金属のプレートを一つ二つ付けたりする。それも大きめの派手な物が主流だ。
だがこの店のピアスはいくつもの小さな水晶を極細の針金で閉じ込めていたり、色も形もバラバラな水晶に穴を開けて三つ四つまとめて揺れるタイプのピアスにしていたりする。
色調を揃えているのもあれば、あえて濃い色の石と半透明な石を組み合わせているのもある。そしてそのどれにも製作者の名札が近くに貼られていた。
(これはこの国の者の名前だ。彼女が作っているわけじゃないのか?)
どういうことだろうとジッと見つめていると、ベルティーヌらしき女性が自分の近くに立ってニコニコしながらこちらを見ていた。
「いらっしゃいませ。ピアスをお探しですか?」
「あ、ああ、そうだな。変わったデザインなので驚いているところだ」
周囲の人の耳が気になってセシリオはなんとなく自分の名前を言い出しそびれてしまった。賠償金絡みの話をここでするのは避けたかった。
「これらのピアスはどれもご主人を戦争で亡くされた女性の作品です。私が材料を渡し、デザインをして作ってもらいました。材料費と売り上げの二割を引いた後の代金は未亡人たちの手に渡ります。お気に召したのがありましたら奥様か恋人への贈り物にいかがでしょう。作った女性も受け取った女性も幸せになれますわ」
「戦争未亡人がこれを……」
「ええ。戦争は兵士だけでなく残された家族にとっても命がけですから。少しでも残された女性や子どもたちの力になれればと。わたくしもこの店を開く時にたくさんの方々に助けられましたから」
セシリオは面食らっていた。
帝国側の貴族がこの国でこんなに朗らかに生活しているとは思ってもみなかった。しかもこの国の人間に助けられた、とはどういうことだろうか。迫害されこそすれ助けられることなど想定外だった。
「旦那、このお嬢さんはなかなか肝の据わった方ですよ。引っ越してきたばかりのときに近所の夫婦喧嘩に割り込んで、奥さんをかばって亭主を怒鳴りつけたんです。『女だからと馬鹿にしたり殴ったりすることは母親を馬鹿にして殴ってるのと同じだ!恥を知れ!』ってね」
「そんな危険なことを?」
「そうなんですよ。またいつもの夫婦喧嘩だと聞き流していた近所の連中が慌ててその家に走りました。手が出る男だったもんでね」
セシリオが呆れていると、令嬢は穏やかな顔で
「私ね、もう失うものがありませんから。頬のひとつやふたつ、殴られたところで別にどうってことはありません」
と静かに言い切った。
「殴られたのか?」
慌てるセシリオにベルティーヌは穏やかに首を振った。
「いいえ。ご近所の方々が飛び込んできてその男性を止めてくださったので無事でした。私、事情があってこの国に来たばかりの時、数日間は水も食べ物もろくに与えられずに過ごしました。その時のことを思えばたいていのことは別に恐ろしくはありません。その夫婦喧嘩のおかげで今ではすっかりご近所さんと仲良しになれたんですよ」
その時の近所の人たちが店の宣伝を手伝ってくれたと嬉しそうに話してくれた。
話に加わっていたうちの一人がセシリオの顔をジッと見ていた。そして途中でハッとした表情になった。セシリオはごく小さく首を振り(俺の正体を言うな)と合図をした。