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4 セシリオの帰還

 ベルティーヌが外出した日の夜。


 イグナシオが少々慌てた様子でベルティーヌの部屋を訪れた。ベルティーヌはちょうどドロテと二人で買ってきた食料をテーブルに並べ、夕食を食べているところだった。パンと干し肉、りんごと水で食事をしているベルティーヌはかなり疲れて見えた。


 部屋に入ったイグナシオはその様子をひと目見るなり

「こちらの指導と配慮が行き届かず、大変申し訳ないことをしました」

と頭を下げた。


「衛兵さんたちから話が行きましたか」

「食事どころか水さえも届かなかったそうで、まことに……」

「夕食は先ほど届きましたが、あのような仕打ちをする人の作ったものを口にする気になれませんでした。食事って、作る人への信頼があってこそ口にできるものでしょう?」


 イグナシオが無念そうにうなずく。 


「それでね、イグナシオさん、明日にもここを出ようと思います。ここにいては『妻にしろと居座ってる女』と思われるだけですもの。それはあまりに惨めでしょう?閣下のお帰りを待つつもりでしたが、もう十分です」

「ジュアン侯爵令嬢、母国に帰りにくい事情は理解しましたが帝国側に行かれては?及ばずながら自分が力になりますので」


 ベルティーヌは悲しげに笑った。


「そんなことをしては帝国にサンルアン王国に対する言いがかりの機会を与えてしまうでしょう。私の父は宰相です。それはできません。私はこの国で頑張ってみます」


 水を飲みながらパンを食べていた侯爵令嬢の訴えは胸を打つものがあり、イグナシオはベルティーヌの要望を受け入れた。しかも「信用できる賃貸業者を紹介いたします。私の紹介状をお持ちください」

と言う。


 その夜、ドロテとベルティーヌは荷物をまとめ、翌日の朝には気心の通いつつある衛兵たちに荷物を馬車に積んでもらった。自分とドロテ、連れて来た使用人たちを乗せた馬車を引き連れてベルティーヌはセシリオの館を出た。



 数時間後。

 ドロテが連合国で買った服を着て買い物をしていた。ドロテはこの国の中産階級の女性が着るようなワンピースを更に数着買い、馬車に戻った。馬車はすでに中古のありふれた物に買い替えられていた。父親が用意した上等な馬車五台はセシリオの館を出て最初に売り払った。上等な馬車は良い値段で売れてベルティーヌの財布に新たな金貨を増やした。父が持たせてくれた高価な品も、かさばる物から売り払った。


 自分に付き従ってこの国に来た使用人五人には事情を大まかに書き記した父への手紙を託し「これを旅費にしなさい」と金貨を何枚か手渡して帰国を促した。戦争が終わり、サンルアン王国と連合国との間で船の行き来が再開しているのは確認済みだ。使用人たちはベルティーヌの不遇に涙を流しながらも帰国できることを喜び、彼女が雇った馬車で港を目指して去って行った。


「ドロテ、あなたが連合国の公用語を学んでいてくれて助かりました」

「あの頃はお嬢様の外国語のお相手役がつろうございましたが、今は心から感謝しております」

「ねえドロテ、帰国しませんと書かれた手紙を読んだらお父様はどうなさるかしらね」

「旦那様は宰相様のお立場。帰ってきなさいとは言えないかもしれません。でも、わたくしがおります、お嬢様」

「あなたがいれば私は百人力よ」


 二人になってからベルティーヌはイグナシオがくれた紹介状を読み、躊躇なく引き裂いた。

「私がサンルアン王国の侯爵令嬢だから丁重に扱うようにと書いてあったわ。私の身元を知られていいことなんてないのに。この国の人から見たら私は、敗戦国から来た分際でこの国の英雄の妻になろうとする女なのにね」

「それは確かにこの国の人なら『なんで?』と思うかもしれませんね」

「身元は言わずに二人でコツコツ業者を回りましょ。あなたがあるじ役で私が侍女役よ」



 首都の外れにある賃貸業者の店。

 ベルティーヌはこの国の侍女用の白い帽子を被り侍女に見えそうな服を着た。うつむいてドロテの後ろを歩いて業者を回った。一軒目二軒目は希望に沿う物件が無く、三軒目の賃貸業者が二人の女性客の希望に沿う物件へと案内してくれた。



 夜。

 ベルティーヌとドロテは小さな一軒家にいた。

 小さな前庭とそこそこ広い裏庭。古いけれど日当たりの良さそうなその家は、老夫婦が二ヶ月前まで雑貨屋をしていた店舗兼住宅だ。


「この国で求められているものを確かめてから商売の方向を決めましょう。慌てなくても二人なら大丈夫、当分は食べていけるから」

「お嬢様ならきっと上手くいきますよ」

「戦争が終わると人々はまず美味しい食べ物、次に綺麗な物、心を癒やす物を欲しがると習ったわ。商売の機会はそこにあるはず」


 ドロテが簡単な夕食を準備し、ベルティーヌがそれを不慣れな手付きで手伝う。二人は安いワインで乾杯した。少し酔ったベルティーヌがキリリとした顔で宣言をした。


「ドロテ、見てなさい。『サンルアンの人間は転んでも何かは拾って立ち上がる』って言葉、私が実践して見せる」

「それは他国の人間が悪口で言ってるんですけどね。でも、わたくしなんだか楽しみになってまいりました。料理ももっと上手くならなければ」

「ありがとうドロテ」

 こうして元侯爵令嬢と侍女の二人暮らしが始まった。





 南部連合国代表のセシリオ・ボニファシオが帰還したのはベルティーヌが彼の屋敷を出てから十日後の夜である。セシリオはイグナシオや衛兵たちからベルティーヌ・ド・ジュアンが屋敷を出て行った経緯を聞いて激怒した。


「使用人を全員集めろ!」


 あるじの執務室に呼び出され整列させられた使用人たちは、血の気の失せた顔でうつむいていた。セシリオは洪水の現場から帰宅して疲れていたが、怒りが疲労を忘れさせていた。


「お前たちが今回のような愚かなことをしている限り連合国は野蛮な国よと見下されるんだ。なぜそれがわからない。国に命じられて敵地に来た女性にそのような仕打ちをするなど、よくできたものだな。よりによって我が館においてそのような愚かなことが行われるとは信じ難い。彼女もまた被害者なのだと誰も思わなかったのか?」

「申し訳ございません!」


 侍女長と執事が最初に頭を下げ、他の者たちもそれに続いて頭を下げた。


「二度目はない。次に連合国の顔に泥を塗るような真似をしたら全員それなりの罰を受けることになる。覚悟しておけ。令嬢には明日朝一番で俺が謝罪に出向く。もういい。下がれ」


 セシリオ・ボニファシオはそう言って肩まで伸ばした黒髪をかき上げた。そして凍ったサファイアのような青い瞳をイグナシオに向けた。イグナシオは居心地悪そうな顔で頭を下げた。


「信頼できる賃貸業者を紹介し、紹介状もお渡ししましたので行き先はすぐに判明いたします」

「送り届けなかったのか。令嬢からしたら右も左もわからぬ敵国だぞ?」

「強く断られましたので」

「はぁ……そうか。もうよい。お前も下がれ。ああ、そうだ、ビアンカは当分この館への出入りを禁止する。有力な族長の娘だからと大目に見ていた俺の失態だ。俺の婚約者を気取るなど思い違いも甚だしい。族長には俺から苦情を入れる」



 セシリオは一人になってもしばらくは怒りを抱いていたが、やがてパンッ!と執務用の机を両手で叩いた。

 この国の民を飢えから守り、学術文化の面でも帝国に並ぶ豊かな国にすることを目指してきた。我が国の民たちの無学につけ込んで鉄鉱石、金鉱石、銀鉱石、穀類を安く買い叩いてきたセントール帝国。植民地を牛耳る支配者のように振る舞う彼らをセシリオは憎んできた。


 だから父の跡を継いでも部族長の座に満足せず、数十ある部族の長と交渉し、ひとつの国にまとめ上げた。

 「帝国との平等な関係」を目指し、帝国に赴いて見下されながら彼らの思考と社会の仕組みを学んできた。

 十年の時間をかけて部族を統合し、帝国相手に戦い、三十五歳になってやっとあの国に勝利を収めたというのに。身近な使用人さえ管理できていなかったとは。


「明日一番に謝罪に行こう」

 そうつぶやいてセシリオはどうにか気持ちを切り替えた。




 翌朝。

「来てない?イグナシオの紹介状を持った貴族の令嬢だぞ?」

「はい。そのような方はいらっしゃってません」


 賃貸業者の言葉にセシリオは愕然とする。

 国内は戦争に勝って浮かれている。浮かれた乱暴者たちの手によって令嬢が何かされていたら、と急いで侯爵令嬢の捜索を指示した。

 しかしベルティーヌらしき貴族の女性が訪れた賃貸業者は見つからず、彼女は痕跡を残さずふっつりと消えてしまった。



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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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