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36 のんびりいこう

 何度も瓶詰めの作り方を実践して見せ、参加者五人が作るところも何度もチェックし、「うん、これで大丈夫」という段階まで連日楽しい雰囲気で作業した。


 何日も一緒に過ごしていると次第に話題もほぐれたものになり、結婚相手のお惚気のろけを聞かされたりする。

 今日のお惚気の一番は七十代と思われる男性の

「俺は婆さんと夫婦になれたことが俺の人生で一番の手柄だ」

という言葉だろうか。


「この人は奥さんが生きてる時は褒め言葉なんてひとつも言わない人だったのに、先立たれてからはこんな感じなのよ。最初に聞いた時はみんな驚いたものよ」

「本人に向かってこんなこと言えるか!恥ずかしい」


 そんなやりとりを聞きながらニコニコしてしまう。誰かを優しく思う言葉はいつ聞いても癒される。自分が言われてるわけじゃないのに心が潤う。誰かの悪口を聞かされるより千倍も万倍もいい。


(なぜこの国に来てから心が楽なのかわかった気がする。ヒソヒソ話をこの国に来てからまだ一度も聞かされてない)

 そして思い出されるサンルアン王国での社交界でのあれこれ。


(他人の悪口や噂や憶測を散々聞かされて、それも社交のひとつなんだろうと思い込んでいたけれど。あんなの、どうでもいいこと、ううん、今思えば静かな毒だったわね)

 自分はあの国の貴族社会に完全に馴染んでいたつもりだったけれど、本音のところはうんざりしていたのかもしれない、と思う。




 最終日。

 作業を共にしてきた五人には「急がないので美味しい瓶詰めを作ってください」と最後に告げた。


 滞在中親しくなった五人からそれぞれ手作りの貝殻のブレスレットや磨かれた木の実がぶら下がっているペンダント、刺繍をした巾着袋などを贈られ、ありがたく受け取った。

 勝手に押しかけて来て頼み事をして帰る自分に、彼らは手作り品を贈ってくれるのだ。渡された品の優しさにうっかり泣きそうになったが唇を噛んで笑顔でお礼を述べた。

 

「大切にします。ありがとうございました。これは完成品を送る際の送料と瓶詰めを完成させるまでの手間賃です。お受け取りください」

 遠慮する五人の手に握らせるようにしてお金を支払い、滞在していたカリスト地区を離れた。


 ディエゴの背負鞄の中には白と黒のヒリが大量に詰められている。これもお金を払って買い取った。

「代金なんていらないよ」とセシリオの家族も作業仲間の五人も、全員が同じことを言ったが断固として支払った。おそらくヒリは彼らが想像もつかない値段になるはずだからだ。自分だけが儲けられればいいという考えはベルティーヌの中には無かった。




 帰りの船旅は川の流れに逆らって船が進む。

 川風を利用するのだそうだが、帰りは船員がずっと帆や舵を操作している。川を下る時ののんびりした雰囲気はどこかへ消え去っていて、皆が気を張って働いていた。

 

 船室の客は来るときとは顔ぶれが違っているが、相変わらずポーカーをしている。一見怠惰に見える彼らも鉱山では現場監督などの仕事で働き通しだったのだろう。カリスト地区でそんな話を聞いてきた。鉱夫も現場監督も過酷な状況で働き、一度採掘用の穴に潜ると一昼夜出てこないのだそうだ。落盤事故で亡くなる人も珍しくないのだと瓶詰め作業の合間に教えて貰った。


 帰りの船の中でベルティーヌはヒリの販売計画を立てていた。


 まずはルカのいる『ローズホテル』でヒリを使った料理を出してもらえないか。ホテルの利用客に口伝えで広めてもらえたら裕福な人の社会に広まるのが早いだろう。貴族や大商人。その人達が先を争うようにしてヒリを買ってくれるといいのだが。

 嗜好品の売れ行きを読むのはシロップ煮や小麦などに比べると難しい。


 たまにポーカーに参加したが、ベルティーヌの前回の勝ちっぷりを知っていた船員がそのことを客に話してしまい、あまり誘われなくなった。

 ドロテは「ちょうどいい機会ですから少しお休みください。お嬢様は働きすぎなんですから」と言う。


 行きより長い日数でイビトに戻り、その日のうちに庁舎に向かった。

 何しろ今はセシリオ直属の『特産品販売特使』だ。成果の報告は必須である。イグナシオに連絡をしてから庁舎に向かい、セシリオの執務室に案内された。

 ディエゴとドロテはイグナシオの部屋に通されてコブの焼いた身の瓶詰めを彼にご馳走するという。イグナシオもカリスト地区の出身だそうで、いそいそと自室に入って行った。


「おかえり、ベルティーヌ。俺の故郷に行っていたそうだね。視察から戻ってイグナシオに聞いた時は驚いたよ。しかも船で向かったとか。相変わらずの行動力だな」

「ただいま帰りました閣下。船旅は快適でしたわ。閣下のお父様とお祖父様はお元気でしたよ」

「そうか……。父にも祖父にもずいぶんと会っていないが、元気だったか。安心したよ」

「はい。とてもお元気でした。閣下に会いたがっていらっしゃいましたよ。それで、これをお持ちしました」


 鞄の中から瓶詰めを取り出した。

 コブの焼いた身、シャコ貝のオイル煮、トゲウオのオイル焼き、二枚貝のオイル煮と白ワイン煮、そしてヒリだけの瓶詰め。


「ヒリじゃないか。故郷から持ってきたのはとっくの昔に切れてしまっていたから懐かしいよ」

「お食事の時にでもお召し上がりください。焼き立てとは美味しさが違うでしょうけど」

「イビトじゃ貴重な味だ。ここじゃなくて自宅でちゃんと温めていただこう。せっかくだから美味しく食べたいんだ」

「はい、そうなさってください」



 その時、セシリオの机の上にある本に目が留まる。書類を本の上に無造作に重ねてあるから表題は見えないが、あの表紙に貼られた布の深い緑色、栞紐(しおりひも)の暗い赤い色、本の厚みと大きさには見覚えがあった。


(他人が読んでいる本を勝手に見るのはあまりにはしたないわね)と目を逸らす。でも(なぜセシリオ閣下があの本を?)と考え込んでいるとセシリオが「どうかしたか?」と声をかけてきた。


「いえ、なんでもありません。閣下の故郷は最深部とはまた違うゆったりした感じの土地柄ですね」

「何もないところだが、俺は好きだよ。祖父が元気でいる間に一度は帰りたいのだが、学校と病院の建設、洪水の後始末や幹線道路の整備に追われていてね」

「閣下もイグナシオさんもいつもお忙しそうですものね」

「何をするにもそれをする組織を作るところから、という状況だから仕方ないさ。いずれ落ち着く。君がカリスト地区に向かったと聞いて心配していたが、無事でよかったよ。男ばかりの船旅で危ない目に遭わなかったのか?」

「全く。カリスト地区のおいしい食べ物の話を聞いたりポーカーで遊んだりしながら過ごしました」


 セシリオはポーカーと聞いてベルティーヌをチラ、と見る。


「なんでしょう?」

「推測だが、君、ポーカーで相手の男たちからごっそり金を巻き上げたんじゃないか?」


 見ていたかのような指摘にベルティーヌは思わず笑ってしまう。


「やっぱりか。君が賭け事に弱いわけがないと思ったよ」

「巻き上げた分はちゃんとお酒で返しました。それより閣下、このヒリは絶対に高く売れます。ヒリの栽培と出荷をする仕組みをカリスト地区に作っても良いでしょうか」

「君はどれくらいの値がつくと思うんだ?」

「そうですわね……この瓶一本分で小銀貨五枚はいけると思います」

「五?……そうか。故郷ではどの家の庭先でも実っているものだが。君がそう言うなら売れるのだろうな。父の下でカリスト地区をまとめている次期族長候補がいる。彼と父の両方に連絡しておこう。君は緋色の布の仕事の他に瓶詰めの仕事もあるのだから」


 たしかに(扱う量が増えてそろそろ一人であれもこれもは無理か)と思っていたところだった。


「ヒリはカリスト地区では簡単に育つのでしょうけれど、最深部では使われていませんでした。カリスト地区の土と気候が合うからこそ庭先でも育つのだと思います。閣下、乾燥させたヒリなら白はこの瓶一本分で小銀貨二枚と大銅貨五枚、黒は小銀貨二枚で買い取るつもりです」


そこまで言ってから思わず「はぁ」とため息をついてしまう。


「小麦売買の契約書の時も思いましたが、価値を知らないまま大切な物を帝国に差し出してきたこの国の歴史を思うと、悔しいのです。そしてそんな帝国にすり寄って豊かな暮らしをしてきたサンルアン王国を思うと……」


「ベルティーヌ、焦りは禁物だ。この国はまだ目覚めたばかりなんだよ。短い年月で結果を出そうとして焦ると必ずひずみが出る。大きな視点でもう少しのんびりいこう」

ひずみ、ですか?」


 セシリオが大きくうなずく。


「人を動かす時に効率を最優先で考えていると、行き着く先は軍隊だよ。俺は我が国を軍隊みたいな国にはしたくないからね。この国の民はのんびりし過ぎているから兼ね合いがむずかしいが」

 

 イグナシオが次の来客を告げたのをきっかけにベルティーヌは執務室を出た。そしてあの本のことを思い出す。執務机の上にあったのだから「今」読まれているわけで。


(あの本、サンルアンの法律の本、よね?)


 セシリオが「今」あの本を読む理由がひとつしか思い浮かばない。

 帝国、連合国、サンルアンの間に吹き荒れた嵐は、まだ止んでいなかったのだ。

 

 

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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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