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2 セシリオの屋敷

 到着したセシリオ・ボニファシオの屋敷は優美さのかけらもない建物だった。


「これはまた、すごいですねお嬢様」

「お屋敷というより……」

 要塞よね、と言うのは控えた。ここが自分の家になるのだから批判しているような言葉は控えようと思った。


 正面入り口から若い男がやって来た。他に人はいない。ベルティーヌは(あの方がセシリオ閣下かしら)と思いながら馬車から降りたが、花嫁が到着したというのに使用人は誰も並んでいない。

 

 若い男がベルティーヌの前に立ち、自己紹介をした。

「連合国首席秘書官のイグナシオです。ベルティーヌ・ド・ジュアン侯爵令嬢ですか」

「はい。そうです」

「部屋を用意しました。まずはそちらへ」


 ベルティーヌは小さくうなずいて歩き出したが、イグナシオの言動に違和感を持った。歓迎の雰囲気がまるで無い。


「花嫁が到着したのに閣下は出迎えてはくださらないのですね」

「それについては私が説明します」


 イグナシオは前を向いたまま答え、歩みを乱さない。案内された部屋は主人の妻の部屋ではなく客間らしい。無表情な侍女がお茶と菓子を運んでさっさと部屋から出て行き、部屋は三人だけになった。


「伝えることが二つあります。まずひとつ目、閣下は現在この館にはいらっしゃいません。地方で発生した洪水の現場です。お戻りがいつになるのかはまだわかりません」

「そうですか」


(緊急の仕事なら仕方ないわね)と思うベルティーヌにイグナシオは話を続ける。


「二つ目。侯爵令嬢は誤解しているようなので訂正します。我々連合国側は帝国側に閣下の結婚相手を望んでいません。今回の戦争で我々が敗戦国側に要求したのは賠償金であって花嫁ではないのです」

「敗戦国側……」

「ですので侯爵令嬢には旅の疲れが取れ次第ご帰国願いたい」


 ベルティーヌは絶句したまま返事もできない。

 サンルアン王国民に戦争当事国という意識は薄い。『普段お世話になっている帝国だから我が国は軍資金を出したのだろう』という程度の認識で連合国側の認識とは大きな隔たりがあった。


 父と兄によればサンルアンの陛下も「帝国は資金面で支援してもらっておいて戦争に負けたら金の尻拭いもさせる」とおっしゃったそうだ。そして賠償金を減らしてもらう代わりにベルティーヌを送り出すことにしたわけだ。


「野蛮な国に我が国の貴族令嬢をくれてやろう、その分賠償金は減らしてもらう」という考えのようだった。


 それを却下する連合国の返答は自分が出国する前に届いていたのかいなかったのか。

 そう考えた直後に(そんなこと、今更意味のないことね)と苦く思う。


「私は閣下と力を合わせてこの国の発展のために人生を捧げるつもりで参りました。でもそんな存在は不要、とおっしゃるのですね?」

「残念ながらその通りです」


(帰るなんてとんでもないわ)


 今更帰国したら「国の役に立たなかった」「花嫁として拒否された」「傷物になって帰って来た」と陰口を叩かれるのは火を見るより明らかだ。自分だけでなく父や兄の立場も悪くなるだろう。戻ることなどありえない。この縁組を決めた陛下にどんな罰を与えられるか。


「そうですか。それでは花嫁という立場は引っ込めましょう。しかし連合国が私を不要だからといって『はいわかりました』と帰ることはもうできないのです。私は国王陛下のご命令で参りましたので。少しお時間をいただいてこの先のことを考えさせてくださいませ」


 震え出しそうになる手をギュッと握りしめたベルティーヌは背筋をピンと伸ばし、笑顔さえ浮かべて訴えた。無様な姿を晒したくない、という思いだけがベルティーヌを支えていた。厳しいマナー教育の積み重ねがなかったら今にも失神しそうだった。


「承知しました。では閣下が帰還されるまではこの客間に滞在してもらい、その後のことについては閣下に判断を仰ぎましょう」

「そうさせてください。よろしくお願いします」


 最後まで気丈に振る舞ったベルティーヌだったがイグナシオが部屋を出ていくとクタリと背もたれに身体を預けて脱力した。短時間で気力を使い果たした。すぐにドロテが駆け寄って手を握る。


「お嬢様っ」

「驚いたわね、ドロテ。我がサンルアン王国はセシリオ閣下が花嫁を断ったことを知っていたのかしら。おそらく間に入っていた帝国側は知っていたはずよね?それは我が国に伝わっていたのかしら」

「わたくしには何もわかりません。でも、これがあんまりなことなのはわかります!」

「これで私には身を寄せる場所がどこにも無くなったわ」


 しばらくは親が持たせてくれた金貨や宝石類を売ればしのげるだろう。ただ食べて息をしているだけならかなりの期間暮らせる。だが、自分の人生はもう地に落ちて泥まみれだ。

 帝国と母国に売られ、連合国からは不要と言われた。この国の民たちは敵国の人間だった自分に厳しい目を向けるだろう。


「いったいどうすればいいの」


 歩き始めたばかりの頃から厳しく叩き込まれた貴族のマナー。

 侯爵家の娘として学んだ歴史や文化、外国語の知識。

 足の痛みを堪えながら覚えたダンスの数々。

 必死で学んだ商取引の知識。

 それらは全て無駄になった。これまでの自分の人生も、自分の存在自体も、全て否定された気分だ。


「こんなことになるなんて……」

 ベルティーヌが目の下まで絶望の沼に沈んでうつろな顔をしていた時だ。

 廊下がなにやら騒がしくなり、揉める声がした。そしてドアが乱暴に開けられて、一人の若い女性がツカツカと入ってきた。


「どなたです?ノックもせずに失礼ではありませんか!」

 立ち上がって毅然と注意するドロテに目もくれず、その女性はベルティーヌに歩み寄った。ベルティーヌは背もたれに預けた頭だけを起こして女性を見た。


「ちょっとあなた!あなたが帝国の女なの?」

「だったら何なのかしら?」

「敗戦国から勝手に押しかけてきてセシリオ様と結婚させろなんて厚かましいことを言ってるそうね?」

「私が何をしにこの国に来たとしても、あなたには関係がないわ。出て行きなさい」


 ベルティーヌは背もたれにクタリと身体を預けたまま、気だるげにそう伝えた。すると黒髪の女性はダン!と片足を踏み鳴らし、腰に両手を当てて声を荒らげた。


「関係あるわ。私はセシリオ様の婚約者よ。もうすぐ結婚するの。敗戦国の年増女に意見する権利があるし出ていけなんて言われる筋合いはないわ!」


 ベルティーヌはクタッとしたまま遠慮なくその女性の全身を眺めた。


「そう。あなたは閣下の婚約者なの。それはそれは。閣下が下品な子どもをお好みなら、確かに私はお呼びじゃないわね。でも私の滞在はイグナシオさんに許可を得ているの。文句があるならイグナシオさんに言いなさい。婚約者ならあなたはこの家の人間じゃないわ。さあ、部屋から出てお行き」


 そう言いながらベルティーヌはゆっくり立ち上がり、女性の真ん前、顔と顔が触れそうな位置に胸を張って立った。女性はどう見ても十六、七歳だった。肌も髪もツヤツヤしていて全身から生命力を発散している。


「さあ、出て行きなさい。言うことを聞かないのならわかるようになるまでその頬を打ち据えるわよ」

「な、なによ!やるっていうの?」


 ベルティーヌが卓上に置いておいた扇を手に持つと少女が飛びかかろうとした。それまで手をこまねいていた衛兵たちが慌てて動き、少女を取り囲んで部屋から連れ出した。ドロテが急いでドアの鍵をかけ、ベルティーヌは再びソファーに倒れ込んだ。ドアの向こうからまだキンキンした叫び声が聞こえて来る。


(すでに婚約者がいましたか。誇り高い淑女なら短剣で喉を突いて死ぬべき状況ね)


 脱力してそう思う一方で小娘の言葉を思い出す。生まれてこの方、あんな酷い言葉をぶつけられたのは初めてだった。この国での自分の価値を思い知らされた、と思う。だが傷つく一方で怒りがメラメラと湧いてくる。


(あんな小娘に罵られたまま死ぬの?ここで死んだらあの小娘は私の墓の上で勝利のダンスを踊るでしょうよ)


 ベルティーヌはソファーに座ったまま目を閉じた。そしてじっと考え込んだ。

 どれくらいの時間そうしていただろうか。ドロテは心配そうに胸の前で両手を組み合わせ、無言で見守っていた。窓から差し込む光がだいぶ位置を変えた頃、ベルティーヌの心の中の扉が一枚、「パタン」と音を立てて閉まった。ドアの向こう側の光に溢れる世界に自分の居場所はもうないのだ。


「決めたわ」

「お嬢様?」


 もう親も身分も頼れない。だけど死んだりするものか。この国で生きて力をつけてやる。

 そして私を売った母国も、無礼なあの娘も、慰めの言葉さえかけなかった婚約者も、もう誰も私を傷つけることができないくらい私が強くなればいい。


 ベルティーヌは腕を伸ばしてテーブルの上の冷えきったお茶を飲み干した。

 


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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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