22 ダビドとカミラの母イザベル
ダビドの母イザベルは二十三歳。
十六歳で結婚してすぐにダビドを授かった。貧しくても順調な生活だったが、戦争で夫が戦死してから生活は一変してしまった。
まだ下の子は三歳だが食べるためには働かねばならない。
二人の子どもを留守番させて夜まで働くのはつらいけれど、今の職場は子どもが熱を出して休んでも首にならない。そんな職場は貴重だった。だから子どもが寂しくて店まで来たりすると泣きたくなる。そして怒らなくても済むことで怒ってしまい、自分が嫌になる。
そんな時に「飴のおばちゃん」なる女性が近所にいると知った。
子どもにその人の話を聞いた時は、子育てを終えた年配の人かと思っていた。ところが会ってみれば若くて美人で、見るからに育ちの良さそうな女性だった。近所の奥さんたちの噂では帝国から逃げて来たらしいという。あんな貴族みたいな人が何をして逃げて来たんだろうと思っていた。
ある日、その女性ベルさんが子どもに手紙を持たせてきた。封筒には手紙の他に何か入っていて、封筒を傾けると手にザラリと落ちてきたのはおしゃれなピアスだった。
『イザベルさんへ
いつも美味しい物をおすそわけしてくれてありがとうございます。
これはほんの気持ちです。私が作ったピアスです。イザベルさんはとても綺麗な栗色の瞳だから、似た色のビーズと色石で作りました。良かったら使ってください。
もし細かい手仕事がお好きでしたらこういうのを作ってみませんか。私のお店で売れたら材料費を抜いた残りの八割を支払います。忙しくて無理だったら読み流してくださいね。 ベル』
ピアスを着けてみた。
動くたびに耳で小さな重みが揺れる。
「ねえ、ジェイコブ、似合う?」
もうこの世にいない夫に話しかけたら鼻の奥がツンとした。
手紙を貰うのも、おしゃれなものを身につけるのも久しぶりだ。
瞳が美しいなんて言われたのはいつ以来だろうか。
「俺の美人さん」と言って抱きしめてくれた夫はもういないし、自分の見た目なんて気にする余裕もなく働いて、子どもを育てて生きている。
仕事と子どもの世話をするだけの生活に、手作りのピアスが小さな幸福を運んできてくれたような気がする。
いつもは後ろでひとつに結んでいた髪を、夫が生きていた時のようにハーフアップにしてみる。艶のある黒い髪が柔らかく肩から落ちて、鏡の中には目の色と同じ色のピアスが似合う若い自分がいた。
『もし細かい手作業がお好きでしたら』
細かい手作業は大好きだ。
今は客席まで料理を運んで片付けるだけの毎日だけれど、本当は編み物や刺繍が好きだった。アクセサリーを作ったことはないが、教えてもらったら作れるかもしれない。
「作ってみたい……」
翌日、イザベルは失礼にならない程度に早い時間にベルティーヌの家を訪れた。子どもたちも一緒だ。子どもたちはベルさんの使用人に果実水を貰っておとなしく飲んでいる。
「アクセサリー、作ってみますか?」
「はい。でも道具と材料はどうすれば」
「私が用意します。売り上げから材料費は引きますが、お店で売れたら利益の八割は差し上げます」
「そんなに貰ったらベルさんは儲かりませんよね?」
「今はね。もっと複雑でもっと高価な材料でイザベルさんがアクセサリーが作れるようになるまでは、それでいいんです。あなたがたっぷり稼げるようになったら四割は頂くから心配ご無用よ」
いたずらっ子のような顔でベルさんが笑う。もっと高級でもっと複雑な物も作らせてもらえると聞いてワクワクした。
「忙しいでしょうから暇がある時に作ってくれたらいいわ」
そう言ってベルさんは作り方を書いた紙と材料と極細の針金、小さなペンチ、ビーズ、色石などを種類別に小皿に入れ、ひと通り説明してくれた。
「試しにここで作ってみますか?」
「はい!ぜひ」
細かい作業が好きだったイザベルは順調にピアスを完成させることができた。
「すごい。すんなり一回で完成までたどり着く人って少ないのよ。イザベルさんはアクセサリー作りに向いてると思う。才能があるわよ!」
「そうですか。私、向いてますか……」
「え?え?どうして泣くの?」
「誰かにこんなふうに褒められるの、最後はいつだったかなって思ったらつい。お手紙をいただいてから私、少し涙もろくなってしまいました」
ベルティーヌがイザベルのカサカサに荒れた右手を両手で包んでくれた。
「イザベルさんはすごいわよ。頑張ってる。私、あなたの心が強くて美しいところを尊敬しているし羨ましいと思ってるの」
「尊敬ですか?羨ましい?私なんかをベルさんが、変ですよ。私なんか……」
「イザベルさん、あなたは強くて、美しい心と美しい姿をしているすてきな女性だわ」
「ええ?まさか」
「そのうちあなたがどれだけすてきな女性か、会うたびに少しずつお話させてください。あなたには旦那さんとの思い出も、守りたい子どもたちもいるじゃない。残念ながらどちらも私には縁がないのよ」
苦笑するベルティーヌを見て、イザベルは自分と同じような年なのに独身なのはなぜだろう、と思う。
数日後。イザベルが休みの日。
ベルティーヌの家で有り余っている食材を使い、イザベルが中心になって夕食を作ることになった。ドロテはメモを片手に近くで熱心な視線を送っている。
「この国の料理の作り方をひとつでも多く知りたいですからね」
「私にもあとで教えてね、ドロテ」
「お任せくださいまし、お嬢様」
その日の夜はイザベル一家三人とベルティーヌ、ドロテ、ディエゴの六人で賑やかに食べた。
イザベルはぶつ切りの豚肉を揚げ焼きにしたもの、葉野菜をさっと茹でて刻んだナッツとお酢、ナッツ油、塩とニンニクで和えたもの、卵を溶かしたとろみのあるスープを作ってくれた。
子どもたちは終始はしゃいでいて最後はあくびをしながら食べていた。
「今日はありがとうイザベルさん。豚肉の揚げ焼き、とても美味しかったわ」
「あれは私の母親の味です。私の母も祖母に教わったそうです。香辛料を贅沢に使うのがコツなんですよ」
「そう、母の味。私は母の味を持たないから、イザベルさんのお母さんの味を覚えるわ!」
ディエゴが眠ってしまいそうなカミラを抱っこして三人を送っていくことになった。それを見送ってからベルティーヌがドロテに話しかけた。
「ドロテ、あなたも母親の味を持ってる?」
「はい、簡単なものですけどね。貴族の方々はお料理することがありませんから、母の味がないのは仕方ありませんよお嬢様」
ドロテは亡くなった奥様を思い出す。
線の細い、笑顔の優しい方だった。
ご長男のヘラルド様とベルティーヌ様に愛情を注ぎ、旦那様を愛し、あっという間に人生を終えてしまった美しい奥様。今際の際に
「ドロテ、私の分まであの子を、ベルティーヌを頼みます」
そう言って神の庭に旅立たれてしまった。
「ドロテ?どうかした?」
「いいえ。なんでもありません。お皿はわたくしが洗いますので、お嬢様はお湯を使ってください。ディエゴさんが沸かしてくれたお湯が冷めてしまいますよ」
「そう?じゃあ、先にお湯を使うわね」
明日からはメイラさんに布の染め方を習う予定だ。自分もしっかりと学んでお嬢様のお役に立たなくては、とドロテは一人うなずいた。
活動報告に「砂漠の国の雨降らし姫」のキャラクターデザインを公開しました。
小説を書くようになる前から大ファンのさんど先生のイラストです。
マークス王子がとにかくかっこよく、アレシアちゃんがとびきりキュート。アウーラがクールで美しいです。ぜひ読者の皆様に見ていただきたいです。
やっと書籍化する実感が湧いてきました。





