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1 敵国に嫁ぐ

気長にお付き合いいただければ幸いです。

「ベルティーヌ様、二週間後の結婚式が今から楽しみですわ。こんな素晴らしいウェディングドレス、初めて見ました」

「ありがとう。私も当日が楽しみなの」


 サンルアン王国のジュアン侯爵家は結婚を祝う華やかな空気に包まれていた。


 侯爵令嬢ベルティーヌは国の内外から届けられた祝いの品々を眺め、この国に生まれた幸運を神に感謝していた。山と積まれた贈り物は二週間後に行われる彼女の結婚祝いの品である。


「ウェディングドレスを見せてほしい」とやってきた友人たちと談笑しているベルティーヌは二十四歳。卵型の整った顔。腰まで伸ばした豊かな髪は淡い茶色で、猫のように少しつり上がった緑の目は気の強さと知性を滲ませている。


 青い海に浮かぶ小さな島国、サンルアン王国。

 大陸に寄り添うような位置にあるその小国は、数十年前までは塩と魚介しか取り柄のない貧しい国だった。

 しかし三代前の王がこの国の生き残りをかけて観光に特化した国にすべく方針を変え、それ以降この国はずっと観光立国への道を進んでいる。


 現在、すぐ隣の大陸では北のセントール帝国と南の連合国が双方の国境付近で戦争中だが、サンルアン王国は友好国の帝国側に軍資金を送るだけで戦争には参加していない。

 なぜならこの国には王宮を守る兵士以外は一定の海域を守る弓兵(きゅうへい)が少数いるだけなのだ。


 今日訪問してきた友人たちもウェディングドレスと贈り物を眺めながら『最近の事業の成果』を語り合っていて戦争の成り行きを心配している者は誰もいない。


「私は最近流行のガラスの玉をびっしり縫いつけたパーティーバッグを作らせているところですの。帝国の姫君たちから注文がいくつも入ってますのよ」

「私は極上の羽毛入り外套の生産を考えています。薄くて暖かくて軽くて、高貴な女性の外出着に喜ばれること間違いなしですわ」


 富を抱え込んだこの小国を攻めようという国はまだ無い。

 その理由は『天然の要塞』と言われる島の環境にあった。

 この島の周囲には鋭く尖った岩礁がぐるりと島を取り囲むように潜んでいて、大きな軍船は近寄れない。小さな船であっても決まったルートを複雑に舵を切り、針の穴を通すようにしながら船を進めないと船底に穴が空いて沈んでしまう。


 島の周囲の岩礁が大陸からの侵略を防ぐ一方、島を包むように流れる暖流のおかげで一年を通して気候は温暖だ。おかげでセントール帝国から訪れる避暑避寒の長期滞在客と観光客が絶えず、たっぷりと外貨を稼ぐことができている。



 その日、まだ昼すぎだと言うのに宰相の父が王宮から慌ただしく帰宅し、ベルティーヌを呼び出した。

「お嬢様、旦那様がすぐに執務室に来るようにとのことです」

「わかったわ。すぐ行く」


 ベルティーヌは友人たちに断りを入れて急いで父の執務室に向かった。執務室に入ると父親は、強ばった顔で話を切り出した。


「帝国が連合国に負けた」

「まあ……それは意外なことでしたわね。それは我が国にも影響が出るということですね?」

「そうだ。我が国は帝国に軍資金の援助をしていたからな。敗戦国の一員として認定され、連合国から賠償金を請求された。それが莫大な額でな。国の財産に王家の私費を投入しても支払いきれない額なのだ」

「そうですか」


(その話をなぜ私に?)と思いつつ話を聞くベルティーヌ。侯爵は深いため息をついて、顔を上げた。


「そこで賠償金の減額と引き換えにお前があの国のセシリオ・ボニファシオ閣下に嫁ぐことになった」

「……え?」


 ベルティーヌの父マクシム・ド・ジュアン侯爵は唇を噛み「怒りのやり場がない」という風情だが、(なぜ私が?)とベルティーヌは事態を飲み込めない。(私は二週間後に結婚するのに)と不思議に思う。


「王家にも王弟殿下にもお子様は男子のみ。六大侯爵家の中で年頃の娘はお前だけなのだ。ベルティーヌ、断れなかった父を許せ」

「許せってお父様……もしやそれは既に決まったことなのですか?」

「そうだ」


 父は娘から視線を外して感情を堪えているが、ベルティーヌは表情を失ったまま椅子から立ち上がり、ひと言も発しないままフラフラと自室へと向かった。自分の部屋に入り、ドサッとベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。侍女のドロテが何事かと困惑している。


「お客様には帰っていただくように」

「はい。あの、お嬢様?どうなさいましたか?」

「私、連合国のセシリオ閣下とやらに嫁ぐことになったわ」

「ええっ?と、とりあえずわたくしはお客様方にお帰りいただくようお伝えして参ります!」


 


 サンルアン王国においては武の腕よりも財を成す腕が物を言う。『稼げない者は無能な者』が浸透しているこの国の王家が、なぜ賠償金を支払えないのだ、とベルティーヌは怪しむ。

 王家は豊かだ。それを全部帝国に差し出したとでも言うのか。軍資金は余裕を見て出したはずだ。おそらく国は賠償金で支払うべき金貨を出し惜しみして自分を差し出すつもりなのだ。


 王宮の会計院から慌てて帰ってきた兄のヘラルドがベルティーヌの推測を肯定した。

「陛下は国庫がからになるのを防ぎたいとおっしゃったそうだ。ああ、なんて可哀想に。ベル、兄さんがお前と一緒にどこかに逃げられたらいいのに」


 そんなことしてどうなるというのか。文官の兄が自分を連れて逃げたところですぐに食い詰めるのはわかりきっている。そもそもどこへ行くのだ。帝国に逃げたら罪人として捕まるだけだ。

「仕方ないわ、お兄様。私たちにはどうしようもできないことよ」


 ベルティーヌは呪文を唱えるように「仕方ない、仕方ない」と繰り返した。

 そうでもしないと「行きたくない!連合国になんかに嫁ぎたくない!」と泣き喚いてしまいそうだった。


(せめてお母様が生きていらしたら手を取り合って一緒に悲しんでくれたのに)

 そんなベルティーヌの悲哀をよそに連合国への輿入れの準備は驚くほど早く進み、二日後には五年越しの婚約者であるアンドリューとの婚約解消の手続きが行われた。


 役所の貴族専用の部屋に両家が集まったが、婚約者アンドリューの家からは家長の伯爵だけがやって来た。自分を「あなたはもう私の娘よ」と言っていた伯爵夫人の姿も無い。


「アンドリュー様はいらっしゃらないのですね」

「すまないベルティーヌ。アンドリューは落ち込んでいてね。とてもここに連れて来られる状態じゃなかったんだ」


 文学を愛し、文官を務めながら本を出すのが夢だと語っていた婚約者。彼は哀れな婚約者の気持ちよりも自分の感情を優先したのか。最後に別れの言葉さえもかけられないのか。自分を連れて逃げてくれとは言わないが、せめて最後に慰めの言葉、別れのひと言を言う思いやりを見せてほしかった。


(仕方ない。仕方ない。仕方ない……)


 ベルティーヌは力なく微笑んで婚約解消の書類にサインを書き入れた。





 二週間後。

 王家の近衛兵と物見高い集団に見送られ、ベルティーヌは船に乗って大陸の港を目指して旅立った。

 多くの人が興味津々で生贄のベルティーヌを見に来ていた。

 港に押しかけた人々は誰も彼もが訳知り顔でヒソヒソとしゃべっている。「ご結婚おめでとうございます」のかけ声は誰もかけない。


 彼女が嫁ぐのはセントール帝国やサンルアン王国の人々が「文化の遅れた野蛮な国」と見下している「南部連合国」だ。

 大陸の南部は長年小さな領地を抱えた数十の部族同士でいざこざを繰り返していたのだが、セシリオ・ボニファシオという男がひとつの国にまとめあげた。


『セシリオは血で血を洗う戦闘を好み、武力のみで他部族全てを制圧した戦闘狂らしい』『無類の女好き』『文化芸術を馬鹿にする野蛮人』


 耳に入る噂はろくなものがなかった。だからベルティーヌに付き従ってきた侍女のドロテはずっと泣いていた。


「ドロテ。あちらに到着して一段落したら、あなたは他の使用人たちと一緒に帰国しなさい。あなたのご両親も心配しているでしょうし」

「そんな! 私がいなくなったらお嬢様は一人ぼっちになってしまいます!」

「大丈夫。殺されることはないわよ。私は閣下に愛されるように頑張るわ」

「お嬢様……本当においたわしい」


 ドロテはそう言ってまた泣いた。仕方なく、一番泣きたいはずのベルティーヌが慰め役に回る。

 船が大陸の港に到着し、父によって用意されていた馬車五台の花嫁行列は静々と進む。とことん気落ちしていたベルティーヌも非日常のおかげで次第に落ち着いてきた。


「閣下はお優しい方かもしれないし、案外楽しく暮らせるかもしれないわ。悲観しても何もいいことはないのだし」

 ベルティーヌはそう自分に言い聞かせるようにして馬車の旅をむりやり明るく過ごした。



 二週間後。

 南部連合国の中心都市イビトに着いた。イビトは石造りの二階建てや三階建ての新しい建物が立ち並ぶ大きな都市だった。


「あら。噂とはずいぶん違うわね、ドロテ」

「本当でございますね、お嬢様。わたくしは木と毛皮で作ったテントが並んでいるものとばかり」

「ドロテ、それはいくらなんでも失礼よ。でも、私の情報もかなり古かったみたい」


 そんなことを笑って言い合えたのもセシリオの屋敷に到着するまでだった。


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書籍『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』1・2巻
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