09 ユニコとにゃんこ
09 ユニコとにゃんこ
少女はすっかり油断しきっていた。
『ビートヴァイス帝立獣神学園』のある山は、頂上にある校舎のまわり以外は誰も住んでおらず、校舎から離れれば人は誰もいなくなる。
しかも少女がいるのは、学園から何キロも離れた湖。
自分以外は誰も知らない場所で、しかも移動には高速のユニコーンを使っているので誰もついて来ることはできない。
少女はこの湖が自分だけの空間で、絶対に誰とも会わない場所だと思っていた。
それなのに、出会ってしまった。
よりにもよって、一糸まとわぬ姿で、大事なところを隠すのも忘れて呆然としているときに。
少女が目を見開いたまま動かなくなっていたので、少年はいぶかしがった。
「あ、あの、どうしました? おーい?」
その呼びかけに、少女は正気を取り戻す。
自分の置かれた立場をようやく理解し、「キャッ!」と悲鳴とともに身体を押え、湖に沈みこんだ。
そして「しまった」と口を押えた。
少女があげたのはか細い悲鳴だったが、背後の岸にあった茂みが嵐のように波打ち、光の矢のような勢いでユニコーンが飛び出してくる。
ユニコーンは少女が置かれた状況を発見するなり、たてがみを炎のように燃え上がらせた。
馬が見ても、その光景はあまりにも最悪。
少年は完全に、乙女の水浴びをのぞきに来たデバガメとして映っていた。
ユニコーンは猛牛のようにいななき、岸から飛んだ。
その跳躍力はすさまじく、ひとっ飛びで湖を飛び越えるほどの勢いがあった。
少女は顔を真っ青にして叫んだ。
「やめて、ユニコ! この人を傷付けないで!」
少女は学園内、誰かが見ている場所では氷の女王のような態度を貫いていた。
ユニコーンが誰を傷付けても平然とし、近寄ってきたほうが悪いのだという非情さを見せつけていた。
それは、自分に近づく人間をひとりでも減らしたいがための芝居であった。
しかし今はまわりには誰もいない。人間と呼べるのは少女と少年のみ。
この状況で少年を傷付けたところで、少女の悪評は広まることはない。
少女は、いたずらに誰かを傷付けたくはなかった。
「ユニコ! お願い、やめて! わたしがいけなかったの! わたしがまわりをちゃんと確認しなかったから……!」
しかしいくら声をかぎりにしても、ユニコーンの怒りはおさまらない。
とうとう少年のいる対岸に着地し、少年に向けて鋭いツノの切っ先を向けていた。
少女は「ああっ……!」とあきらめの悲鳴とともに顔を押え、イヤイヤと顔を振る。
――また、誰かを傷つけてしまった……!
ただ水を飲みに来ただけの、罪の無い男の子を……!
もう、いやだ……!
これ以上誰かが傷付くのは、見たくない……!
誰か、誰か助けて……!
誰か、ユニコを止めてっ……!
でも、そんなヒーローは絶対に現われないことを、少女は知ってた。
――そう、わかっているの……。
誰もユニコを止めることなんて、できないってことに……。
ユニコを与えられてから、わたしは何度も泣いてすがった。
まわりにも助けを求めたし、ユニコにもやめてって言った。
最初はみんなも助けてくれたけど、ユニコにケガをさせられる人が増えるだけだった。
だからわたしは、決めたんだ……。
永遠に、ひとりぼっちで生きるって……!
瞬間、少女は極寒の表情を取り戻していた。
――安住の地なんて、探しちゃいけなかったんだ。
心の安らぎなんて、求めちゃいけなかったんだ。
そう、わたしはどんなときでもずっとひとりぼっちでいなくちゃいけないんだ。
決めた。今からでもいい、わたしはすべてを捨て去ろう。
心も捨ててしまえば、心が痛むこともなくなる。
さようなら、今までのわたし……!
少女はカッと目を見開く。
これから目にするものが、たとえどんなものであったとしても、決して心を動かされないと決意しながら。
たとえ少年が心臓を貫かれていても、少女はきっと眉ひとつ動かさなかっただろう。
しかし目の前に広がっていたのは、心臓を貫かれる以上にショッキングな光景であった。
「あはは! くすぐったいって! あははははっ!」
「うにゃーん!」
なんと、少女以外には誰も心を許したことのないユニコが、少年に頬ずりしていたのだ。
少年の首筋に巻きついていた小さな生き物が迷惑そうに鳴き、バシバシとユニコの顔を叩いているというのに。
それでもユニコは怒りもせず、大興奮でひとりと1匹にスリスリと頬を寄せていた。
少女の頭はまた真っ白に飛んでしまう。
「う、うそ……? あのユニコが、わたし以外の人間に、懐くだなんて……」
少女は困惑しきりだったが、自分が裸であることに気づき、再び湖に沈み込んだ。
ユニコたちがイチャイチャしているうちに服のところまで泳いでいって、急いで制服を身に付けた。
少女は湖の外周をぐるっと迂回して、ユニコたちのいる所まで戻る。
しかし戻ってもなお、少年と2匹の獣はイチャイチャしていた。
少年の召喚獣であろう、白くて小さい獣の怒りは頂点に達していて、
「うにゃぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
上半身を起立させた威嚇のポーズで、ユニコの顔を暴れ太鼓のようにブッ叩きまくっていた。
それでもユニコはめげず、嬉しそうに小さな獣への頬ずりを続けている。
「あんなに嬉しそうなユニコ、初めて見た……」
少女は大きな驚きと、小さな嫉妬を感じつつも、頃合いを見計らって少年に声をかけた。
「あの、あなたは……?」
言いながら、少女は少年の容姿を改めて見直す。
少年は小学生のように背が低く、また顔立ちも幼かったが、少女と同じ学園の制服を身に付けている。
ならば同年代のはずなのだが、彼の制服は、アップリケだらけでまるで園児服のようだった。
少年は少女の視線に気付き、照れくさそうに振り返った。
「あっ、僕はキスカっていいます。さっきは本当にすいませんでした、レティセンシア様」
「わたしのことを知っているの……?」
「もちろんです! 獣神学園で唯一、ユニコーンを召喚できる方なんですから!」
入学式の『具現化の儀式』で、どの生徒がなんの召喚獣を与えられたのかは、このビーストヴァイス帝国において大きく取り沙汰される。
学園の生徒たちの誰かが、帝国の将来を統治する人間となるのは間違いないからだ。
帝都会長のチャンプほどではないにせよ、ユニコーンを与えられた少女ともなれば、帝国ではほとんどの人間が知る有名人となる。
キスカと名乗った少年は、もじもじしながらレティセンシアに言った。
「あの、レティセンシア様、お会いしたばかりで図々しいとは思うのですが、ユニコーンに乗せていただけませんか?
僕、聖獣に乗るのが子供の頃からの夢で……」
「それはできないわ」とレティセンシア。
「ユニコーンはわたし以外の人間を乗せてくれないの。無理やり乗ろうとすると、大暴れして振り落として、その人を……」
『刺し殺す』と言いかけた瞬間、キスカの背後にいたユニコが、キスカの制服の襟にガブッと噛みついた。
レティセンシアはハッと息を呑んだ。
――あれは、放り投げ……!?
ユニコはああやって人間を咥えて宙に放り投げて、ツノで串刺しにする……!
「ユニコ、やめてっ!」
制止も虚しく、キスカの身体は宙に放り投げられていた。
レティセンシアはこれから展開される惨劇に、またしても両手で顔を覆ってしまう。
しかし次の瞬間、彼女の耳に届いたのは、絶命の悲鳴ではなかった。
「乗せてくれるの!? やったぁ! ありがとう、ユニコ!」
まさかの歓声に、レティセンシアは両手の指の間から目を見開いていた。
「わ……わたし……夢でも見ているの……? ユニコが自分からすすんで、誰かを乗せるだなんて……!?」
少女の目の前には、愛馬にまたがり弾ける笑顔を見せる少年の姿が。
少年の白い獣は、愛馬の頭の上で腹ばいになっていて、特等席のごとく寛いでいた。