03 キュアにゃんこ
03 キュアにゃんこ
「僕は、僕は……! この子といっしょに生きていくって、決めたんだっ……!」
そう口にすると、それまで僕を束縛していた恐怖が、ほんの少し和らいだ。
僕は身体をギクシャクと動かし、抱いていたにゃんこをリュックサックの中に戻す。
そして取られないように、リュックサックを前掛けにしてしっかりと抱きしめる。
チャンプ兄さんの顔を見る度胸は、僕にはなかった。
しかし兄さんの顔はきっと、地獄の閻魔大王のような、最恐の形相になっているに違いない。
だって、祭壇の下にいた新入生たちはみな「ひいいっ!?」と腰を抜かし、ドミノ倒しになっていたから。
みんなは山の神を前にした村人のように、すっかり怯えきっていた。
「ま、マジかよ、キスカのヤツ……! チャンプ様に、逆らうだなんて……!」
「シルバーリーフ一族を追放されるだけじゃ飽き足らず、わざわざ敵に回すようなことをするだなんて……!」
「シルバーリーフ一族といえば、この学園の最大派閥なんだぞ! 敵に回したら、まともな学園生活は絶対に無理だ!」
「毎日、いじめられるどころじゃねぇ! 殺されそうになっても誰も助けちゃくれねぇってのに!」
「しかもゴミみたいな獣を守るために、自分の将来どころか命までもを引き換えにするだなんて、正気かよっ!?」
「ああっ、アイツ、完全に終わったわ……!」
ヤジを受け、僕の身体はふたたび硬直する。
リュックサックをきつく抱きしめ、甲羅に閉じこもる亀のように固まっていた。
そしてすぐに、一族を追放された洗礼が、僕に降りかかる。
背後から巨大な影が忍び寄り、固い岩のような手が、僕の身体を掴んだ。
抵抗する間もなく、あっという間に空中にさらわれる。
マックスのジャイアントが、僕を空高く持ち上げていた。
「や、やめて! 離してっ!」
僕は脚をバタつかせて抵抗、しかしいくら力を込めても振りほどけない。
握りしめた手は、万力のように僕をきつく締め上げてくる。
壇上にいたマックスが、僕を見上げながら笑っていた。
「どわはははは! いいザマじゃ、キスカよ! 実をいうとワシは、チビでひ弱なお前のことが、昔から大嫌いだったんじゃ!
今まではチャンプの兄貴のお気に入りじゃったから、手は出せんかったが……これからは、やりたい放題じゃあ!」
マックスの言葉どおり、僕はやられ放題だというのに、そばにいるチャンプ兄さんは止めようともしない。
僕に背を向け、あざ笑うように言った。
「フン、マックスよ、ちょうどいい! 貴様のそのジャイアントの力を見せてみろ!
入学式の祝いとして、祝砲を打ち上げるのだ!
雑魚は殺したところで無罪放免! 俺様の学園においては、脆弱こそが最大の罪なのだからなッ!」
「がってんじゃ! チャンプの兄貴っ!」
マックスは嬉しそうに拳を突き出し、そしてジャイアントに向かって掲げた。
「ジャイアントよ! その雑魚を、城の外に向かって全力で放り捨てるんじゃあ!」
掲げた拳をグルグルと回すと、ジャイアントも僕をブン回しはじめる。
僕は一瞬にして平衡感覚を失い、天地もわからなくなるほどに目が回ってしまった。
「やっ、やめてやめてやめてっ! 死んじゃう! 死んじゃうぅぅぅっ!?」
しかし最後の懇願も虚しく、僕は遠投のボールのように、ジャイアントの手から解き放たれた。
「やっ……やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
絶叫すらも置いてきぼりにする勢いで、身体は矢のように空へと昇っていく。
学園の校舎である城は、もう指でつまめるほどに小さくなっていた。
展望台にいた新入生たちは、みんな笑っていた。
僕のほうが高いところにいるはずなのに、まるでライバルを地の底に蹴落としたかのように。
僕だけが泣いていた、そして僕ひとりだけが堕ちていった。
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
どこまで飛んだのかはわからない。
山から滑り落ちるように岩壁スレスレを落下、眼下にある森が恐ろしい勢いで迫ってきた。
ごうごうとした風鳴りだけの中で、僕は思う。
僕はもうすぐ死ぬ。
いくら下が森だったとしても、この高さから落ちて助かるわけがない。
そして僕は真っ先に、リュックサックの中のにゃんこを案じる。
出会ってまだ10分も経ってないというのに、そしてこれから永遠の別れとなるのに、僕にとってはもう、かけがえのない存在になっていた。
僕は空中でなんとか身体をよじって、背中を下にして、身体を胎児のように丸めた。
こうすれば、僕がクッションになって、にゃんこだけは助かるかもしれない。
そして最後に、目を閉じて祈った。
死ぬにしても、死なせるもんか……!
この子だけは……!
僕の身体を、生まれてこのかた感じたことのないほどの痛みが襲った。
頭が割れ、内臓が潰され、四肢がはみ出てもぎ取られ、身体ごとペチャンコにされるような激しい衝撃。
それが無限のような長さで続き、僕は力尽きてしまう。
糸の切れた操り人形のように手足が宙に放り出され、守っていたリュックサックは無防備に晒される。
身体は地面に投げ出され、背中がすりおろされるような激痛で滑り込んだ。
意識はわずかに残っていたものの、もはや消えかけのロウソクのよう。
最後の力を振り絞って顔をあげると、真っ赤にぼやける視界の向こうにはリュックサックがあった。
リュックサックはもぞもぞと蠢いている。
少しの間を置いて、上蓋を前足で押し開くようにして、にゃんこが出てきた。
白いはずのにゃんこは赤く染まっていたけど、それは僕の目が血に溺れているせいで、にゃんこは無傷のようだった。
よ……よかった……無事、だったんだね……。
そう言おうとしたけど、もう喉が潰れて言葉が出ない。
かわりにガハッ、と鉄臭くて生温かく、ドロッとした液体が口から溢れた。
僕は相当ひどいことになっているようだったけど、にゃんこはお構いなしのようだった。
僕の胸が上質なクッションであるかのように、脚を折りたたんで座ると、目を閉じてゴロゴロ言いだした。
死にかけの人間を前にしても、自由気ままに振る舞うにゃんこ。
その自分勝手すぎる態度に、僕はおかしくなってしまう。
そうやって、気持ち良さそうにしているキミを見られただけで……。
命を賭けた甲斐が、あった、よ……。
これ以上ない、最高の最後だ、と僕は思う。
ゆっくりと瞼を閉じ、短い生涯の幕を閉じ……。
ようとしたんだけど、
……ざりっ!
ほっぺたに、ヤスリをあてがわれたような激しい痛みを感じ、飛び起きてしまった。
「あいったぁ!?」
がばっと上半身を起こすと、胸にいたにゃんこが太ももにゴロンと転がる。
舌をしまい忘れていたので、にゃんこが僕の頬を舐めたんだというのがすぐにわかった。
そして僕は気付く。視界がクリアなうえに、身体が何事もなかったかのように動くことに。
服はボロボロだったけど、その間から覗く肌には、かすり傷ひとつない。
僕はキツネにつままれたみたいに、身体じゅうをあちこちさわってみた。
でも、どこも痛くない。
「も、もしかして、キミが治してくれたの……?」
すると、まるでその問いに答えるかのように、にゃんこの頭上に小さなウインドウが浮かび上がった。
『キュアにゃんこ』 レベル1