2-3 王国の果て②
「姫様、どうやら噂によりますと王都に射の勇者の継承者が現れたそうにございまするぞ。」
場所は移り、王都はずれのとある宿内。そこには机に向かって黙々と書物を読み漁る少女と一人の老翁の姿があった。
「·····じぃや、だから私は言ったでしょう?私はこの生活に不満はないし、あの場所に戻りたいとも思わない。じぃやもこの場所に隠れ続けることに賛成してくれたじゃない。それならこのままここで身を潜めればいいんじゃないの?」
本に目を通しながら淡々と言葉を言い放つ少女。じぃやなど眼中にないと言わんばかりに目を合わせることすらせず、いい終わった後もその姿勢は変わらない。
この宿に来てから早一ヶ月。王家から二人、最低限のものだけを持ってこの宿へと身を隠していたのだが、
「――ですが、いつまでもここで身を隠す訳には行きませぬ。この場所は依然として王都圏内でございます。もうそろそろ致しますと捜索も入る可能性があります。ですので早急にどこかへ身を寄せる必要がございます。姫様もそこはお分かりでしょう?」
姫に問いかけるじぃや。しかし、その問いかけにも相変わらずの対応。依然として書物を黙々と読み漁っている。だが、捜索の危険性は姫自身も十分分かっていた。
自国の見回りと評して執事であるじぃやと出立して早一ヶ月。執事からの音沙汰もなく、目撃情報がどこにもないとあらばそろそろ捜索の手が入ってもおかしくはない時期だ。きっとこのままではこの宿にも捜索が入り、逃避した王国へと逆戻りとなるだろう。
「けれどじぃや。だからといってなんで射の勇者に身を寄せる方向性になるの?ここから離れたいなら馬車にでも乗って遠くの街まで逃げればいいじゃない。そこでいい宿を捕まえてまたいつもと同じ生活をすればいいんじゃないの?」
「ぐっ·····。」
真っ当な意見を言われ、もはやぐうの音も出なくなる。
確かに姫の意見は最善策だ。いずれは王国全体での捜索にもなるであろうから転々とした後は王国脱出という新たな問題に直面するが、とりあえず今とるべき選択肢としては正しい。できればそうしたかった。しかし、
「·····非常に申し上げにくいのですが姫様。」
――きっと何不自由ない生活をしてきたがために感覚が狂っていたのだろう。王家に仕え、その人生のうちでこんなことを姫様に言うことがくるなど予想だにもしていなかった。それは姫様も同じことだろう。
出来ればこのような不甲斐ないことは申し上げたくはない。いや、もしかしたらあってはならないことなのかもしれない。だが、
「金銭がもう底を尽きてしまいます。」
「――なっ!?」
驚きのあまり、目を見開いてこちらに振り向く姫。開いていた本もその勢いと共にパタンと閉じられ、部屋の中へと通り抜けるように音が響く。
驚き具合が大袈裟だろうと思う者もいるだろう。しかし、姫がそれだけ驚くのも無理はないのだ。
姫は生まれた頃から金銭面に関しては何一つ不自由がなかった。当然、理由を聞かれたら王の元に生まれた娘だからに尽きる。それ故に庶民とは金銭感覚が合わない。それどころかもはやないまである。この食べ物は高いのか安いのか。ここの宿一泊が安いのか高いのか。それ自体がもうわからないのである。
よって王家から持ち出した逃亡用の金銭だけで前と同じ生活をしながらしばらくは持つと思っていてもおかしくはない。金銭の尽きという初歩的な問題が頭に浮かばないのは不思議ではないのだ。
私自身もお金の管理をし始めたことで庶民の金銭感覚、普通の金銭感覚を得ることが出来た。もし今回のことがなければきっと狂ったままだっただろう。
「·····それで、残りの財産はあとどれくらいあるのよ。」
「えぇ、それがですね·····。」
いや、今思えば金銭面だけではなかった。衣食住。全てに関して我々は恵まれていたのだ。
庶民たちが着る洋服、摂る食事、住む家。それらを体験した上で分かったお金のありがたみ、恵まれているというありがたみを今なら深く実感出来る。我々は贅沢をしすぎたのだ。
「明後日までの宿代で精一杯でございます。食費などを考えると明日もいられるかどうか·····。」
「はぁ!?なんで!なんでそんなことになってるのよ!食費でそんなにかかるのはおかしくない!?」
今度は驚きのあまり、座っていた椅子から勢いよく立ち上がってしまう。しかし、きっと姫が驚くのはこれからだ。
「そ、それは非常にまた申し上げにくいのですが·····。」
じぃやは少々考えた末に言うことを決断する。そう、一日以上の宿代が吹っ飛ぶほどの食費の原因は·····
「――姫様の日々の食生活にあるかと。」
「えっ、うそっ·····。だって前と変わらない食生活を送っているだけなのよ。量も制限してあまり食べてもいないというのに、それでも宿代が吹っ飛ぶくらい財政を圧迫しているというの·····?」
「はい、正直に申し上げますとそうなります。例えば、姫様が毎朝お食べになっている王都名物マリエーヌのレードンパン。あれは我々から見たら見慣れたパンですが、庶民から見たら高級パンに当たるのです。それだけに関わらず、王家で見慣れたものはみんなそうです。」
「なんてことなの·····。」
口を両手で塞ぐ姫。自分に原因があるとは思わないので当然であろう。だが、姫様の反論は止まらない。
「だからってあの《《ロールパン》》という石みたいなパンを食べろというの?あんなの人間が食えるものではないわ。好んで食べる人が理解できない。それなら死んだ方が·····」
「――しかしながら庶民たちはそれらを当然のように口にし、今ここに生きています。私自身も最初はそう思いましたが、慣れれば全然食べられますよ。たまに口の中に刺さって血だらけになりますが·····」
「いやそれって食べれてるって言えてるの!?それ聞いた後なら尚更食えないわ!?」
勢いのいいノリツッコミがここで発動する。
石のように硬いロールパン。突然この世に出てきてからというもの、みんなは好んでそれを食べている。確かに安いのは救いではあるが、あんな口内破壊兵器をよく毎日口にできるなと食べ慣れた今でも思う。
「·····それで、じぃやが考えている計画はどんな感じなのかしら。」
こちらに目を向け、手で長い金髪を揺らす。指の間からすらっとこぼれた髪が光を反射し、直後に良い香りが部屋の中へとふわっと広がる。
「はい。まずは射の勇者様に身寄りを寄せます。そして姫様の持つ能力を駆使していずれは·····」
「――私たちの祈願を達成すると、」
じぃやの考えを先取りし、姫はぽつりと言葉を放つ。その言葉にじぃやは「左様でございます」と同意。そして姫の顔色をひっそりと伺う。
姫はじぃやの考えを聞き、こめかみの方へと手を当てる。
深く考える時に起きる仕草。眉間に皺を寄せ、相当悩ましい顔色を見せる。そしてそのまま少しの時が経った後、姫は当て続けていたこめかみから手を離して、
「·····いいわ。その作戦、認めてあげる。感謝なさい。」
「はっ。有り難き幸せ。この老骨、深く考慮したかいがありました。」
姫の言葉に感謝を込めて一礼。それを見た姫は再び椅子に座って閉じた本を開き始める。
「じゃあ話はこれで終わりね。あとは頼んだわよ、じぃや。」
「あっ、いえまだお話がありまして。こちらを·····。」
「·····?」
何かを隠していたのだろうか。じぃやは言葉を放ったあと、なにやら背中の方でゴソゴソといじり始める。その言動に違和感を感じ、咄嗟にじぃやの方へと疑問の視線を送るが、姫はじぃやの狙いに気づいてしまう。
「·····!!まさかプレゼントを持ってきてくれたのね!まぁそれはそうよね!私の誕生日まであと三日·····。そろそろ来てもいい頃かと·····。」
「――はい。お誕生日おめでとうございます。姫様。」
「·····なっ!?」
姫様へ手向けられたそのプレゼントの中身。それは先程までボロクソに言われていた·····
「――ロールパン!?!?!?」
「明日まで泊まるためにはこうするしかありませぬ!どうかロールパンをお食べくださいませ!さぁ!さぁ!」
「いらないわよ!ちょっと近づかないでってば!やめなさい!じぃやぁぁあ!!」
ある意味で一番の声が上がった誕生日プレゼントであった。