朝
遠くで誰かの話し声が聞こえた。
意識が覚醒するにつれ、昨夜の記憶がよみがえって来る。
「おはよう」
声のする方を振り向くと、そこにはマリーがいた。
陽光に映える金髪とシーツよりも白い健康的な白い肌。
紫水晶をあしらったような大きな瞳が、俺を招き入れるようでドギマギする。
「お、おはようマリーちゃん?」
俺に答えるかのようにあくびを一つして、ねむそうにしながら紫色の目をこするマリー。
「大丈夫、何もしていないから」
そう言いながらベッドの上で長い金髪を手ぐしで整えた後、ゆっくりと上半身を起こすマリー。
(何もしていないって、あなた)
動揺する俺の心に反応したのか、こちらを見て指さすと、それを合図に検索の魔法が発動
する。
明るい場所で改めて見ると、ガラス板のように透明なXPadを面前に突き付けられているようだ。
画面(?)には、昨日の会話を要点でまとめた文章が並ぶ。
ああ、昨日の出来事は事実だったんだな。
覚悟完了。
「それから、あなたは記憶喪失って事にしておいて」
「えっと、どういう事?」
マリーにそう聞き返した時、扉が勢いよく開けられた。
「ニール!」
少し太った栗毛の天然パーマオバサンが飛び込んで来た。
そのまま、俺を思いきり抱きしめる。
「ロ、ロープ、ロープ!」
俺の言葉が通じたのか、すぐに離してくれた。
そのまま、じーっと俺を見るオバサン。
「それにしても良かった。 あの大事故で、この程度のケガで済むなんて。 私は、てっきり天使に召されたとばかり思っていたわ」
天使なら、俺の隣で寝ているよ。
オバサンに続いて隣の部屋から、赤髪をマッシュルームカットで固めた恰幅の良い男が入ってきた。
オバサンよりは年配のようだけど、状況から判断すると彼等は夫婦らしいな。
ニールっていうのは俺の名前か。
多分、親子の関係だろうけど、間違っていたらマズいな。
ああ、それで記憶喪失って事か。
よし、知らないフリを決め込もう。
「ニール?」
様子がおかしい事を訝しむオバサン。
「マリー、済まんが一旦席を外してくれないか?」
男の言葉にためらいつつも、部屋を出るオバサン。
あのオバサンもマリーっていう名前なんだ。
所で、天使もいなくなったけど、どこいった?
部屋に残った男二人。
うあ、メッチャ気まずい。
「なぜ死ななかった?」
詰問に近いニューアンスで、男が尋ねた。
えっと、この場合どう答えれば良いんだ?
とりあえず、記憶喪失のフリをしていると男が続けた。
「あのまま死んでいれば事も無しだったというのに、なぜ死にぞこなった? タッドマン家の面汚しが!」
そう言いながら、刃渡り三十センチ位の短剣を抜いた。
その殺意は、包丁レベルをはるかに超える。
待て待て待て待て!!
「マリーちゃあぁぁぁぁん!」
俺の声に反応して、オバサンが部屋に飛び込む。
「妻に助けを請うとはな」
「あなた、何しているの?」
「ちょっといいですか?」
部屋の時間が止まった。
三人がベッドの方を見ると、困った顔をした天使が、コミケで最後尾のボードを持つ参加者のように検索の魔法を掲げていた。
「ハーイ」
ハーイ。
天使の説明と検索魔法の閲覧で状況を把握したようで、両親が大人しくなった。
俺に検索魔法が手渡された時、いきなり表示が変わったので、二人が見た画面を見そびれ
るが、プライベートな事情は知らない方が良いって事かな。
検索の魔法に表示された情報で納得した。
家族構成は四男一女。
父はターカー・アーカム・タッドマン。 母はサラ・アーサー・タッドマン。
冒険者のターカーは、貴族の娘サラと結婚した事で、貴族の一員という扱いを授かる。
長男アトフと次男ニールを産んだ後、サラ死亡。
ターカーは、貴族の権利を剥奪されるも、彼の才能を惜しんだタッドマン家の提案で冒険者ギルドを設立し、ギルドマスターとなる。
(ギルドマスターってのは、領地内のモンスター討伐を始めとした雑務を義務とする代わり、領地内に限り貴族相応の身分を保障される制度、か)
数年後、冒険者仲間のマリー・タルカムと再婚し、連れ子カッツェを三男とする。
そして、四男ホブと長女メイの双子を出産。
えーと、つまり俺と兄は前妻の子供って事か。
でもって、血のつながりが全くない連れ子が三男って事で、ターカーとマリーの間に生まれたのが正真正銘の二人の子、ホブとメイか。
家系図を書くのが大変そうだな。
それで、問題は次男か。
画面が変わり、ニール・アーカム・タッドマンのプロフィールが表示される。
端的に言えば、長男のアトフが優秀だったので何かと比べられ、十五歳でグレる。
その後、不良街道まっしぐらで今に至る、という人生か。
ふーん?
「これだけ見れば、俺は負け組になりつつあるようにも見えるんだが。 ステータスとかは見れないの?」
「ステータスは毎年の試験を受けて更新する事になっている。 そこに表示された通り、十五才で退学たニールのデータは既に抹消されて久しいな」
気持ちの整理が付いていないせいか、ぶっきらぼうに言い放つターカー。
ニイィィィィィルゥゥゥゥ!
「そ、それで、俺のステータスを確認する方法は無いんですか?」
「手っ取り早い方法は、冒険者の登録をする事だな。 危険と隣り合わせの職業だからデータは随時更新で保証されている」
「それじゃ、冒険者登録したいけど、どうすれば良いんですか?」
二人が俺を見る。
「ああ、ニール。 やっと、やっとその気になってくれたのね」
マリーさんが、俺を見つめながら両手で握手し、そのまま手をブンブンと振る。
子供の頃、約束をする時にやった「ゆびきりげんまん」を思い出して不安になって来た。
ターカーが、一枚の紙を差し出す。
「これは契約書だ。 ここにお前の名前ニール・アーカム・タッドマンと書き、拇印を押して契約完了する」
そう言いながら、机の上に羽ペンとインク、赤いインクが入った小ビンを置いた。
「先に行っておくが、この契約は半永久的なものだ。 ステータスが知りたいだけなら、他にも色々な方法がある。 強制はしていないから、君の意思で今日一日よーく考える事だ」
「えっと、良く考える以前に、この紙に書かれている文章の意味が理解出来ないんだけど?」
ターカーとマリーは、顔を見合わせた。
「なるほど。 転生したばかりのお前が、いきなり現地の言語を理解出来る訳がない、か。 会話は何とかなったとしても文章の理解力はグレ始めた15才程度という訳だ。 恨むならニールを恨むんだな」
父の言うセリフかよ。
俺のステータス、少なくとも知力は低いって事だけは分かったよ。