着替え
では私はこれで、とルリが退出した後、マーサとマリアも退出を促され、ラピスラズリ家の四人が部屋に残った。
「それにしてもルリには驚かされるわね。あんな事を言ってくれるなんて」
「そうだな、彼女も一人の大人の女性だ。いつまでも私達に守られているだけの存在ではないという事だな」
「元々とても思慮深い方なのでしょうね。多方面に気遣いが出来るのは、素晴らしい事です」
「…そうだな」
どこか嬉しそうな兄夫婦と甥の様子を、レオンハルトは少し複雑な思いで見ていた。
先程のルリの提案、それは真っ当な意見だった。
しかしそれが異世界から来た彼女の口から出たことに、皆は驚いたのだ。
聞けば向こうの世界では一般庶民だったと言う三人の聖女達。
幼い頃から貴族という立場で生きてきた自分達とは、思考が違うのだと思っていた。
そして、少しずつこちらの世界にも慣れたとは言え、まだまだ自分達が守るべき事も多いだろうと思っていたのに。
「私もまだまだだな…」
以前も強い女性だ、と話していたのに、ついつい守りたくなってしまう。
それこそ真綿に包むように。
いつも側にいて、自分だけを見ていて欲しいとすら思う。
ひょっとしたら、自分の保護無しには生きていけないようにしたいという願望があるのかもしれない。
「…いや、止めよう」
今まで知らなかった、自分の危険な思考に気付いてしまいそうだと、レオンハルトはそこで考えるのを止めたのだった。
翌朝。
朝食もそこそこに、私は大きな鏡台の前に立たされていた。
「…マリア、ひょっとしてそれ…」
「コルセットよ。ルリ、覚悟してね」
マリアの目がキラリと光る。
「ちょ、ちょっと待っ……き、きゃぁぁぁぁ!!いたあっ!ちょ、も、もう無理だからーーーっ!!!」
「…ふぅ、こんなものね!」
「し、死ぬ…」
人生初のコルセット、話には聞いていたけれど思っていた以上に危険だ。
「あら!ルリは細いし、手加減しているからまだ楽な方よ?」
「手加減…」
思いっきり締めてなかった?
「パーティーの時もするんだし、少しずつ慣れてよね!さあ、次は化粧と髪ね」
「え、マナーのレッスンするだけなんだから、ドレスさえ着ればそれは別にいらないんじゃ…」
「アメジスト先生からのお達しなの。髪を纏めてアクセサリーの重みにも慣れないと、当日大変だからって。それに髪が乱れないように気を付ける練習も、っておっしゃってたけど、あなた何かやったの?」
「あはは…お願いしまーす」
さすがにマリアにも、馬車で暴れて壁に頭をぶつけた、とは言えなかった。
「はい、完成!」
「ありがとう。うわ、別人…。マリアって器用ね」
「そりゃ一応ラピスラズリ家の侍女ですから」
確かにそうだ。
それにしても元の世界にいた時からあまり化粧や凝った髪型をしていなかったので、これだけ着飾られるとまるで自分じゃないみたいだ。
まあ平日は仕事だから、基本ジャージとかパーカーとかだし、化粧もファンデーションと眉を書くくらいだったしね。
真逆の装いですよ。
「言っておくけど、今日はまだ軽い方よ?アクセサリーも少なめだし、髪型も簡単に纏めただけ。化粧だって、パーティーの時は前日からパックとかマッサージとか下地をきちんとして、もっと時間をかけて仕上げるんだからね」
「あ、時間だー!行ってきまーす!」
「あ、ルリ!…もう!頑張ってねー」
逃げるように部屋から飛び出し、指定された部屋へと進む。
いやいや、貴族のご婦人って大変なのね。
こんなの毎日やってられない。
平日は起床から出勤まで一時間だった自分には、到底無理だ。
「…でも、聖女様やるなら慣れないといけないのかもな」
『その時はそう遠くないと思いますよ』
黄華さんの言葉が脳裏に浮かぶ。
この先、自分達の立場がどうなるか。
何にせよ、今はやれることをやるだけだ。
そう考え事をしながら早足で歩いていたのがいけなかった。
角を曲がる際、人にぶつかってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい!ぼーっとしてしまって…」
「いや、こちらも…ルリ?」
「あ、レオンハルトさん………っ!」
顔を上げると、そこにはレオンハルトさんがいた。
…いつものレオンハルトさんではない。
パーティー仕様の、キラキラバージョンで。
「ま、まぶしい…」
こんな人の隣に立てって…
何の拷問?
「お時間通りですね、お二人とも。あら?ルリ様どうかされまして?」
「イエ、ナンデモアリマセン」
ただ隣が眩しすぎるだけです。
だってだって…すっっっごくカッコいいんだもの。
最初は隣に立つなんて、ってそれだけだったけど、ちらちら見たその立ち姿は、どこからどう見ても完全な美貌のお貴族様で。
普段の騎士服も凛々しくてすごくカッコいいんだけど、こういうキラキラした服も似合うなんてずるい。
しかも今日は練習だから簡易版だ、なんて言うから驚きだ。
そんな姿で綺麗だ、似合ってる、と言われても困る。
ドキドキしてまともにレオンハルトさんを見れない。
あれで簡易版って、いったい当日はどうなっちゃうのーー!?
軽めとは言え、正装し着飾ったルリを見るのは初めてだ。
王宮に出向く際ですら、シンプルで清楚な装いの彼女だ。
いや、それもとてもよく似合っているのだが、今日は艶やかなドレスを身に纏っていて、これまでにない、彼女の魅力を引き立てている。
普段、出席することの少ない夜会で、着飾った令嬢など見慣れているはずなのに。
それを身に付けているのがルリだというだけで、これ程までに心乱されるものなのかと驚いている。
ドレスだけでなく、髪型も化粧も。
真っ赤な顔でそんなことないです!と言っていたが、褒めずにはいられなかった。
…エスコート役を申し出て正解だったな。
こんな姿のルリをパーティーで一人にするなど、ウサギを狼の群れに放つようなものだ。
妻子連れの既婚者が多いとは言え、気を付けるに越したことはない。
「さて、」
クレアさんの一言に、はっとする。
「お互いを喜ばせる為に着替えて頂いたわけではありませんのよ?宜しいですか?」
「は、はい…」
何だか寒気が…
「それでは、始めましょう」
え、笑顔のはずなのに。
クレアさん、怖いですーーー!!!?
声色の変わったクレアさんに、お花畑の世界から引き戻された私は、やっぱりパーティーへの参加を決めたことをちょっぴり後悔するのであった。




