ラピスラズリ家4
「何でもない、と言われてしまうと、もう何も言えないわね。でもこれだけは聞かせて?体は大丈夫なの?」
「…はい、大丈夫です」
嘘じゃない。
先程に比べたら、鼓動も落ち着いてきた。
取り敢えず、みっともなく倒れたりはしないはずだ。
「そう、ならばもう聞かないわ」
母性を感じさせる温かい声は、じんわりと私の心に滲んだ。
「それと、本当はこれが本題だったのだけれど…。貴女、行くところはあるの?」
「…いえ」
「家族は?」
「離れて暮らす両親と、弟が一人。…でも、ずっと、遠くにいるんです」
こんな話をしていると、元の世界に帰れるのかと不安になる。
やっと落ち着いてきた所だったのに、また逆戻りだ。
「では、リーナのことはどう思う?」
「え…?あ、えっと、とても可愛らしくて、先が楽しみな子だと思います」
「すると、期待の持てる子だ、と?」
「はい。人見知りのようですが、用心深いのは貴族のご令嬢としては必要な事ですし、周りもよく見ていると思います。それに、理知的な眼をしていらっしゃいます」
急に質問の方向が変わって驚く。
私としては心を乱されずに済んで有難いことだが、いまいちその意図が分からない。
とにかく聞かれた事に誠実に答えていくと、満足したように微笑まれた。
「素晴らしいわ、我が家の目の肥えた連中が推すだけの事はあるわね」
何も分からず、曖昧に微笑み返すと、エレオノーラさんは身を乗り出してきた。
「是非、リリアナの家庭教師になって下さらないかしら?」
「母上!何故父上に相談する前にルリ様に伝えてしまったんですか!?」
「あら、レイお疲れ様。この時間は、剣術の訓練だったかしら?」
息子の焦りには答えず、エレオノーラはのほほんと手にした茶器を傾ける。
「母上!!」
「嫌ねぇ。あなた一応、"いつも穏やかで笑みを絶やさない、魅惑の侯爵令息"を売りにしているのでしょう?冷静におなりなさいな」
普段天才扱いされているとは言え、まだまだ子どもねぇ、と溜め息までついた。
「…声を荒らげて申し訳ありません。ですが、」
「大丈夫よ。エドには伝えてある。」
そこでレイモンドは、この夫婦が特別な通信手段を用いているのを思い出し、ほっと息をつく。
「…私も始めは、品定めするだけの予定だったのだけれど。ちょっと事情が変わって、ね」
「品定め…」
本当にこの母親は見た目に反して口が悪いと、レイモンドは心の中だけで呟く。
「何か文句でも?…ああ、そろそろリーナが目を覚ますわ。レイ、様子を見て来てくれる?」
「分かりました。まあ、どうせ起きてすぐにルリ様にくっついてると思いますよ」
「そんなに懐いたのね」
「それはもう。夕食の際にでも、リーナの様子を見れば納得しますよ」
エレオノーラは苦笑して、楽しみだわ、とだけ返した。
レイモンドが退出すると、エレオノーラは少し冷めた紅茶を手に取り、難しい顔をする。
「あの様子だと、少し心配だけれど…。でも、子どもたちの事は本当に可愛がっているみたいだったわね」
子ども達の事を語るルリの姿を思い出し、表情を和らげ、ふっと笑みを溢した。
「それに、あれも、なかなか嬉しい話だったわ。ふふっ。あの子、気に入ったわ」
侯爵夫人の笑みを見て、扉に控えていたマーサは、また何か悪いことを考えているなと溜め息をついた。
「るり、おはよう」
「おはよう、リーナちゃん。よく眠れた?」
エレオノーラさん(さすがに様付けで呼ぼうかと思ったけど、さん付けで良いわよと言われたので従うことにした)との話を終えリーナちゃんの部屋に戻ると、丁度目が覚めた所だった。
「ん、なんか、すごくよくねむれた」
「今日はいつもよりもグッスリでしたね。目覚めも宜しいみたいで」
マリアさんが驚きつつも嬉しそうに言った。
あー寝起きに泣き叫ぶ子っているよね。
リーナちゃん、そのタイプなのね。
「さあ、夕食まではまだ時間あるし、私と一緒に遊ぼう?それか、お散歩する?」
「!おそと、おはなみたい」
「うん、素敵!立派な庭園だったし、リーナちゃんに案内してほしいな。どんなお花が咲いてるか、教えてくれる?」
「うんっ!」
お花が好きなのか。
天使のような外見で花好きなんて乙女力高いわー。
私なんて、子ども達とオオバコで草相撲したり、アサガオで色水遊びしたりが精々だわ。
男の人から花束をもらったこともないしね…。
リーナちゃんとマリアさんと一緒に庭園に出ると、一度見たとは言え、その広大な土地と種類の豊富な花々に圧倒される。
リーナちゃんは本当に花が好きなようで、名前だけでなく、ハチミツになるだとか、薬に使われるだとか、そんな知識も見せてくれて驚かされた。
庭師のおじいちゃんとも仲良しで、まるで可愛がられている孫のようだった。
毎日のように通っているのを見て、おじいちゃんが少しずつ距離を近付けたらしい。
粘り勝ちだね。
それにしても、異世界とは言え、意外と見知ったものや聞いたことのある花が多い。
名前もほとんど同じ。
リーナちゃんを見習って、少しは花の名前でも覚えようかしら。
…元の世界に、戻ったら、ね。