ラピスラズリ家3
「失礼します。お待たせ致しました、奥様の用意が整いましたので、どうぞ応接室に」
ノックをして入ってきたのは、マリアさんというリーナちゃんの乳母さんだ。
そう、乳母だ。
すなわち、子持ち。
リーナちゃんが3歳ってことは、少なくとも三年前には結婚しているのだろう。
私と同じくらいか年下に見えたのに…
い、いや異世界だもの、現代日本と比べて結婚適齢期が早いのかもしれない!
「いえ、この国は女性もあらゆる分野で活躍しておりますので、結婚・初産は二十代の半ばの方が多いですわね」
…なんてこった。
ただの勝ち組、リア充だった。
因みに同い年でした。
その後も気になったことを色々聴きながら歩いていくと、先程の応接室の前まで来た。
ここに、侯爵夫人が…
あ、ちょっと緊張してきた。
忘れてたけど、侯爵って貴族の中でもかなり上位の家よね?
そんなところの当主夫人…今更だけど、私大丈夫かしら。
「失礼します。ルリ=イズミ様をお連れしました」
私の心の準備が終わる前に、非情にもマリアさんが扉を開いた。
はっとしてささっと居住いを正すと、そこにはーーー
「はじめまして。レイモンドとリリアナの母、エレオノーラ=ラピスラズリと申します。どうぞゆっくりしていらしてね」
女神がいた。
うわーっ、うわーっ!!
見たこともない美人!!!
こんなに若くて綺麗なのに二人の子持ち!?
「…どうかした?」
「はっ!い、いえあまりにお綺麗なので見惚れてしまいまして…」
「あら」
満更でもない様子でエレオノーラさんが笑う。
その表情は、先程までの侯爵夫人の微笑みとは違って、少し幼く見えた。
「ふふっ、少し脅そうかと思ってたのに、すっかり毒気抜かれちゃったわぁ。いいわね、あなた。気に入っちゃった!」
「お、おどっ!?驚かすじゃなくて!?」
まずい。
この人、怒らせちゃいけない人だ。
途端に顔が青くなるのが、自分でも分かる。
「嫌だわ、そんなに警戒しないで頂戴。大丈夫、もう殆どクリアしたようなものだから」
「えっと、何をでしょう…?」
「まあまあ、とりあえずお座りなさいな」
機嫌良さげにコロコロ笑っていらっしゃるのも若干怖いが、一応気に入られたようだ。
失礼します、と会釈してから先程レイ君と話していた時と同じソファーに腰を下ろす。
緊張具合はさっきの比ではないけどね…。
「さあ、遠慮せずに召し上がって」
「い、いただきます」
着座してすぐにマーサさんが用意してくれた紅茶を頂く。
温かくて優しい香りが、少しだけ気持ちを和らげてくれる。
貴族のマナーなど知る訳もないが、失礼が無いように、出来るだけ丁寧な所作を心掛けた。
飲む時も置く時も音はたてない、とか。
「それにしても、ラピスラズリ家の皆さんは揃って綺麗な白金の髪ですね。お子様方は、お母様から受け継がれたんですね」
そして相手を誉めることも忘れない。
それに嘘ではない。
純日本人としては羨ましい程に、見事な金髪なのだ。
「あら、お上手ね。でも、私としては貴女の青みがかった銀髪も、とても綺麗だと思うわ」
「…え?」
私は元々髪の色素が薄い方だった。
でも、一般的に見たら黒髪だし、間違っても銀色になんて間違われる筈がない。
そんなまさか、と思いながらヘアクリップで纏めていた長い髪を下ろしてみる。
癖がついて少し波打った髪が、肩へ胸元へと落ちてきた。
そしてその色は。
「…何、これ」
銀色だった。
まさか、でも異世界転移なんてしたんだもの、髪の色が変わるのも有りなのかもしれない。
じゃあ、眼は?
顔は?
「あ、の…。お話の途中に申し訳ないのですが、鏡を貸して頂けませんか?」
胸が早鐘を打つ。
全くの別人になっていたらと思うと、怖い。
「…ええ、構わないわ。マーサ」
エレオノーラさんが指示を出すと、マーサさんがすぐに手鏡を持って来てくれた。
お礼を言って受け取ったが、やはり確かめるのには勇気がいる。
それでも、と決意し、鏡の中を覗くとーーー
見慣れた自分の顔があった。
只し、瞳は濃紺になっていた。
でも、黒と濃紺ならさほど変わらない。
それに相貌は自分のものなのだ。
最悪の事態は免れたと、安堵からほっと息をつく。
「…少し落ち着いたかしら?」
麗しい声に、はっとする。
「あ、はい!すみません、急に変なこと言い出して…」
「いいのよ。…ああ、顔色も戻ってきたわね。手鏡を渡された時、蒼白だったのよ?私、何かあなたを傷付けるようなこと言ったかしら。ごめんなさいね」
「いえ!謝らないで下さい!何でもないんです」
侯爵夫人に頭なんて下げさせたらいけないだろう。
冷静を取り戻した私は、咄嗟に何でもないと言った。
後になって思う。
もしこの時、眼と髪の色が変わった、と正直に告げていたら?
異世界から来たのだと、溢してしまっていたら?
未来は、変わっていただろうか。