愛称と嫉妬
「え?」
びっくりしすぎて何が起こったのか分からず、固まってしまった私とは裏腹に、レオンハルトさんはちゅ、ともう一度角度を変えて頬に口付けてきた。
二度目は柔らかい感触と温度をしっかりと感じてしまって、一気に体温が上がる。
「ルリ…」
そして止めと言わんばかりに耳元で名前を呼ぶ(めっちゃ良い声で!!)という、恋愛初心者にはハードルが高い事を次々とやってのける。
「きゃっ、ちょ、ちょっと…っ!!」
抱き締められているので僅かにしか抵抗できなかったが、精一杯の目力で睨んでみる。
…恐らく顔は真っ赤だろう。
「ふっ、そんな顔で睨んでも逆効果だぞ。可愛さが増すだけだ」
そしてまた逆側の頬に口付けられた。
「やっ、もっ、そんな、キスばっかりしないで下さいっ………!!!」
「いつか」
頬を押さえてふるふると首を振ると、不意にその声が真剣な物になる。
「俺の気持ちを受け入れてくれたその時は、ここに口付けることを許してくれるか?」
そう言って親指で軽く私の唇をなぞる。
それにまた恥ずかしさが沸き上がってきて、私は涙目で震えることしか出来なかった…。
話は一応終わったし漸く頬の熱が引いてきたので、そろそろラピスラズリ邸に帰ろう、となった。
しかし、ソファーから立ち上がるとレオンハルトさんが思い出したように口を開く。
「…ずっと気になっていたんだが。何故、あいつの事を愛称で呼んでいるんだ?」
「…あいつ?」
はて?誰のこと?
暫く考えて、思い当たる人物の名前を告げてみる。
「ひょっとして、アルのことですか?私も最初はアルフレッドさん、って呼んでたんですが、アルでいいですよ、って言われたので…。聞けば同い年だって言うし…その…」
素直に答えていくうちに、レオンハルトさんの顔が厳しくなっていく。
「…ならば、俺の事もレオンと呼んで欲しい」
「ええっ!?いや、それはその…ほらレオンハルトさんは年上だし。すごく威厳もあるし!私みたいな半人前が、そんな軽々しく愛称で呼んじゃいけないと思います!」
それに、すっかり私の中ではレオンハルトさん呼びが定着してしまっているのだ。
アルみたいに出会って直ぐだったなら、戸惑いなく呼べたかもしれない。
しかし今更変えるという事は、何だか……親密になったからみたいじゃない!?
確かに、以前よりも柔らかい表情で話してくれるようになったし、それに…一応、告白的な言葉も頂いている、けど。
抱き締められたり、頬にキスされたり、それが嫌な訳じゃなくてむしろドキドキして堪らなかったりはするけども!!!!!
でも!
「なら、せめて二人の時くらいは、呼んでほしい。敬語も、いらない」
くっ……!顔がいい…っ!!
ちょっとしょげた感じがキュンときたなんて言えない!!
頑張れ私、上手いこと言って躱すんだ!!
「ルリ、頼む。…それとも、嫌、か?」
「……わ、分かりまし、た…」
結局断れなかった私はこの後、暫くレオン呼びの練習をさせられることとなり、また顔の赤みが引くまで部屋を出ることが出来ないのだった…。
瑠璃を馬車置き場まで送った後、レオンハルトは騎士団寮に戻っていた。
面会を希望した人物が不在だったので、とりあえず夕食を取って待とうと食堂の扉を開く。
と、普段より遅くなって誰もいない時間にも拘わらず、そこには待っていたかのようにウィルの姿があった。
「ようレオン、戻ったか。一応、怪我の確認と事情を聞くために団長室に招いた、ということにしておいたぞ。しかし、お前に限ってとは思うが、如何わしい事などしていないだろうな?騎士団の風紀に関わるからな」
「……していない」
何だその間は、とウィルは言いかけたが、この堅物に限って大したことはできないだろうと思い直し、話題を移すことにした。
「お前、変わったな。少し前までは女と聞けば顰めっ面してたのに。まあ、あの聖女様なら良いのではないか?脳内がお花畑のご令嬢方とも、家の権力を笠に着て威張りちらす連中とも違う。清廉で、素直で、ーーーこの手で染めてみたくなる」
「止めろ。ルリをそんな風に語るな」
「やっと此方を向いたな」
自分に向けられた不快そうな表情に、ウィルは満足そうに笑う。
その態度に、この男は…とレオンハルトはため息をつく。
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ウィル=アクアマリン 第二騎士団 副団長
彼は、いつもそうだった。
どうでもいいと思っている連中に対しては、常に穏やかな笑みを絶やさず、頼りになる副団長としての仮面を被ってきた。
そんな上辺の優しさに群がる令嬢達には、丁寧に対応しながらも心の中では冷めた眼を向けていた。
しかし、そうでない者には、わざと批判的な事を言う。
ーーー今回もそうだ。
ルリを、試したのだ。
聖女という立場などいらない、隠れて暮らしていきたい、と言うのであれば、優しく、それこそ真綿にくるむように接するつもりでいた。
自分達の身勝手な理由で喚んだのだ、それは当然だ。
しかし、彼女達は聖女であることを受け入れた。
向けられるもの全てが好意ではない。
これから悪意に晒される事があるかもしれないのだ。
"守られる"ということがどういうことなのか、知ってもらわなければいけない。
そして出来れば自分でも、身を守る意識を持ってもらいたい。
…権力を盾にされたら、自分達では守れないかもしれないから。
それと同時に、守る自分達も、彼女達がどんな人物なのか知る必要がある。
従順なのか、気位が高いのか。
無鉄砲なのか、思慮深いのか。
…下の者の意見を聞く耳があるのか。
ルリという聖女は、怒ることもなければ泣くこともなく、彼の予想とは異なった反応をした。
あのレオンハルトが惹かれた理由が、少しだけ分かったとウィルは思った。
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「ちょっと、ウィル!ルリ様をいじめたらしいじゃない!どういうことよ!?」
バタン、と大きな音を立てて現れたのは、ベアトリス=ルビーだった。
「おや、王宮料理長殿。苛めたとは人聞きが悪いですね」
それを歯牙にもかけず、にこやかにウィルが返す。
同い年で騎士団の同期でもあったこの二人は、互いの性格を熟知しており、…仲はあまり良くなかった。
「アンタ…また試したのね!いつもいつも!!いくらあの子が…」
「ビー、あいつの話は止めろ」
ウィルの固い声に、ベアトリスは言葉を切った。
「…まあそれは良いわ。ルリ様、良い子だったでしょう?その心配はしてないから。レオンハルト、それで?」
「…私も後で気付いたのだが、あの剣には僅かだが魔力が残っていた」
剣を飛ばした奴等が必死に謝ってきた後、落ちていた剣を拾ったレオンハルトは、その残留魔力に気付いていた。
ーーーーそして、その魔力の持ち主にも、心当たりがあった。
「恐らく、シーラの仕業だ」
何故、とウィルとベアトリスの声が重なった。




