第二騎士団団長の迷い
悪夢を見なくなってから、三日。
兄の前で倒れた後の記憶は、ほとんど無い。
覚えているのは、酷く魘され、叫び、もう駄目かもしれないと思ったこと。
そして、銀色の光と、優しい歌声。
死を覚悟した時、温もりが私の手を握った。
それは、銀色の髪に金色の瞳の女性の手だった。
その女性が何かを呟くと、キラキラとした光が左肩から体内に入り、温かさに包まれると、先程までの苦しさが嘘のように消えた。
優しい言葉は私を励まし、不思議な歌声は私を癒した。
ーーーそれだけ。
女性の顔も覚えていない。
それでも何故か、また会えると思った。
私を癒した魔術師は兄が連れてきたと聞き、何度も兄に詰めよった。
彼女は何者なのか。
何処にいるのか。
しかし、兄から聞かされるのは、「教えられない」との言葉だけ。
事情があるのだろうとは思ったが、どうしても会いたかった。
…会ったら?
ーーーー私は、どうしたいのだろう。
理由は自分でも分からなかったが、何度も兄のところを訪れた。
ある朝、久しぶりに実家へと出向いた。
なかなか口を割らない兄に会うために。
玄関を入って暫く歩いたら、見知らぬ女性を見かける。
私と同じ色合いの髪をきっちり纏め、凛とした佇まい。
国外出身だろう顔立ちはこの国の人間とは少し異なるが、美しい女性だった。
思わず誰だ、と声をかけてしまった。
彼女は私の顔を見るとポカンとし、慌てて自己紹介をした。
ーーーまたか、と思った。
あまり言いたくはないが、私はとても女性に好まれる容姿をしているそうだ。
そのせいで、色々と揉め事や面倒事が多かった。
結婚を迫る者。
既成事実を作ろうと薬を仕込む者。
運命の男に違いないと追いかけ回す者。
ーーー本当に、色々あった。
女性に対してあまり良い印象を持てないのも、仕方のない事だろう。
今回も面倒事が起こらないと良いなと思った。
それが、つい言葉と態度に出てしまった。
しまった、言いすぎたかと思った時にはもう遅い。
…しかし、予想に反して、女性は何故かうんうんと頷いていた。
思わぬ反応に、咄嗟にフォローの言葉を重ねた。
すると、気を悪くした様子もなく返事を返してきただけでなく、私の名前まで兄から聞いていたことに少し驚く。
さっと視線を逸らし短く返事をすると、少しだけ沈黙が流れた。
もう会話は続かないと判断したのだろう、女性はその場を辞そうとしたが、その声に聞き覚えがあって、思わずその腕をつかんでしまった。
「え?」
困惑した声。
じっとその瞳を見つめる。
その色は、金色ではなかった。
「…あの、離して下さいませんか?」
真っ赤になって視線を逸らす姿に、僅かに胸が音を立てる。
不躾だったとすぐにその腕を解放し、内心の動揺を隠して金色の瞳の女性を知らないか、と問うた。
知らない、と否定すると、今度こそ女性は去り、その後姿を目で追う。
「似ている、と思ったのだがな」
何故胸が鳴ったのかは、分からなかった。
それからも時間があれば朝や夜にラピスラズリ邸へと兄を訪ねた。
ルリ、と名乗ったあの女性には、会えることもあれば、会えないこともあった。
兄は私を救ってくれた魔術師の事を頑として話してくれないので、彼女の事を聞くことが増えた。
穏やかな人柄で、リリアナだけでなく、屋敷の皆に慕われていること。
料理や絵を描くことが上手いこと。
色々なアイディアでリリアナ達を楽しませていること。
…本人は気付いていないが、使用人の若い男達に、絶大な人気を誇ること。
最後の情報は何だと思いながら兄に顔を向けると、何故かニヤニヤとした笑いを浮かべていた。
「そんなにルリが気になるのか?」
「…不審な人物でないなら、良い。リリアナにとっても良い影響を与えているようだしな。ただ…上手く言えないが、ふとした時に感じる物がある、とでも言えば良いのか…とにかく気になると言えば気になっているのだろう」
「ならば、二人で話してみてはどうだ?」
「…は?」
何を言っているのか、この兄は。
私が女性を苦手としている事を知らない訳ではあるまい。
「ああ、お前には女性と二人きりのハードルが高い事は分かっている。そうだな、レイとリーナも一緒なら大丈夫ではないか?昼の茶の時間にでも来ると良い」
そう言って、数日後に日取りを決めてしまった。
まあ、甥や姪とゆっくりするのも久しぶりだから、少し休みを取って来るのも良いかもしれない。
彼女はついでだ。
そう言い訳のように自分に言い聞かせた。




