夜語り
「……怒っていらっしゃるのですか」
暫くの沈黙の後、ウィルがどうにかして絞り出したのは、質問に質問で返すという、情けないものだった。
黄華も少し眉根を寄せたが、怒っているわけではないと答えた。
「ただ、貴方だったら私ごと避けることも可能だったのではないかと思ったんです。いつも余力を残していらっしゃいますが、貴方の身体能力はかなり高いはずです」
一緒に訓練をしていて、黄華は気付いていた。
手を抜いている訳ではないが、彼は本気を出しにくい性質なのだと。
ただ、ここぞという時にはそれが出来るし、今回も出し惜しみをする場面ではなかったはずだ。
それなのに、それをしなかった。
それはなぜか。
黄華は自分を庇った理由というよりも、自分を庇って死のうとした理由が聞きたかった。
「人の心配はするくせに、自分を大切にしない。そうやって命を捨てて、エリーさんが怒るとは思わないんですか?」
黄華の口から思わぬ人物の名前が出てきたことに、ウィルは驚き目を瞠った。
たまたま知ってしまっただけで、誰かが口を滑らせた訳ではないですからねと釘を刺されれば、レオンとルリ様の会話でも聞いてしまったのだろうと思い及ぶ。
それはともかく、エリーが怒る?
なぜ?
「……心底分からないって顔をしていらっしゃいますね」
図星を指されれば、気まずくなって視線を逸らした。
はあ、というため息が聞こえたが、分からないものは分からない。
全く……と呆れたような呟きが聞こえたが、ウィルは自分の心を守るために気のせいだと思うことにした。
「エリーさんは望んでお亡くなりになった訳じゃない。それなのに、貴方のことを心残りに思わない訳がないでしょう?」
「……しかし、私とエリーとの間に恋愛感情は無かったし」
「恋愛感情だけが相手を思う気持ちだと思っているんですの?馬鹿ですか貴方は」
「ば……」
つい口にしてしまった暴言に、しまったと黄華は手で口を塞いだ。
そして目を瞑り、コホンとひとつ咳払いをして、固まっているウィルへと視線を戻した。
(馬鹿なんて初めて言われたんでしょうね。見たこともない顔で放心してます。普段は知的で人の感情に機微なのに、まさかここまで自分のことに関して鈍いとは……)
複雑な生い立ちの自分でも分かることなのにと黄華は思う。
今まで彼には何だかんだと色々言われてきて、頭にきた時もあったが、今は何だか子どもを相手にしているような気持ちになった。
「……恋愛感情でなくても、親愛とか、友愛とか、色々あるでしょう?」
今なら、自分にも分かる。
人の感情とはとても複雑で、すべての“好き”が同じわけではない。
大切にしたい思いはあるのに、傷つけてしまうこともある。
それを伝えられずに、取り返しがつかない時になって後悔することだってあるのだ。
「たとえそれが恋ではなくても、貴方に幸せになって欲しいと思うくらいには、貴方のことを想っていたんじゃないですかね」
直接エリーに会ったことはないが、レオンハルトの話しぶりから、恐らくそうなのだろうと黄華は思っていた。
それと、その話を聞いた日の夜、夢を見た。
最初に出てきたのは、ウィルだった。
そしてその側で心配そうに彼を覗き込む、ふわりと浮かぶ透明の存在。
女性の形をしていたが、顔は分からない。
分からないのに、なぜか辛そうにしているのが分かった。
「―――――」
その透明の存在は、何かを呟いて、ふっと消えた。
笑って、幸せになって。
そう聞こえた気がした。
ただの夢だったのかもしれない。
しかし、黄華はきっとあの透明の存在はエリーだと思っていた。
彼女はずっとウィルの側で、ああやって彼を見守っていたのかもしれない。
心配そうに。
「貴方を置いて逝ってしまったことを、エリーさんも後悔しているのではないでしょうか。そんな様子では、心配で天に還れませんよ?そんなふうに命を無駄にして、自分の所に来てくれても、エリーさんは喜ばないんじゃないですか?」
全部黄華の想像でしかない。
しかし、それを聞いたウィルは、ずっと固く引き結んでいた唇を僅かに緩めた。
「――――ええ、そういう女でしたね。もう一度生き返ってやり直してきなさいと蹴り飛ばされそうです」
なぜ、そんな人だったことを忘れていたんでしょうね。
一粒の雫が、ウィルの頬を流れてぱたりとシーツを濡らした。
******
黄華さん、ウィルさんと話せたかな。
天幕を出てすぐに、様子を見に来た黄華さんとばったりと出くわした。
少し意識が戻っている気がしたので、しばらくしたら目を覚ましたかもしれない。
魔法で傷は治ってるはずだけど、やっぱり心配だもんね。
拠点地の中央に焚かれた火の側に、そっと腰を下ろす。
騎士のみんなも今日は疲れたのだろう、少し遅くなった夕食をとると、すぐに休む人が多かった。
あちらこちらで寝袋に包まれて寝息を立てている姿が見られる。
明日は少し遅めに出立して町に戻ることになった。
みんなゆっくり眠れるといいな。
――――リーナちゃん、元気かな。
ふと思い出したかわいい笑顔。
自然と、よく歌ってあげていた子守唄を口ずさんでいた。
歌に魔力が乗って、周囲に広がるのが分かる。
「ルリ、まだ休んでいなかったのか?」
「あ、レオンお疲れ様。レオンもまだ起きてたんだね」
短い歌詞を紡ぎ終えると、静かな足音が私の側へと近付き、レオンがそっと隣に座った。
私は何だか目が冴えてしまっただけだが、レオンは団長だもんね、報告とか明日の打ち合わせとか、色々ある。
「久しぶりに聞いたが、相変わらず胸に響く歌だな」
「そうかな?リーナちゃん、元気かなって思って」
そうか、とだけレオンが応える。
パチパチと炎が爆ぜる音だけがしばらく響いた。
こうした静かな時間も嫌いじゃないけれど、レオンに伝えたいことがたくさんある。
それなのに、上手く言葉にならない。
「ありがとう」
「え?」
そうやって言葉を探していると、不意にレオンからそんなことを言われた。
「ウィルを助けてくれて。あのままだったら、あいつはエリー嬢への後悔だけを抱えて死んでいた。何もしてやれなかった私が言うことではないが、とにかく感謝している」
穏やかな微笑みが、じんわりと心に沁みる。
ここにもひとり、ウィルさんを心配する人がいる。
きっと、アルも近いうちに話をしてくれるはずだ。
「……ううん、私なんてそれくらいしか出来ないもの。お礼なら、紅緒ちゃんと黄華さんに言ってあげて」
必死なふたりの姿を思い出して、間に合って良かったと本当に思う。
それと。
「レオン、無事で良かった」
そっとレオンの手に自分のそれを重ねて、彼の存在を確かめた。




