理屈
そうしてしばらくは何事もなく、穏やかな日々が続いた。
……まあ、レオンと青の聖女様との関係が変わった、という当人達にとっては大きな出来事はあったのだが。
よく差し入れを持って現れる彼女と、レオンと三人で昼食をとる機会が何度かあったのだが、まあ随分と可愛らしい関係を紡いでいるのだなと思った。
エリーとのことを考えると、あまり人のことは言えないかもしれないが、これは恐らく進んでいて口付けくらいだなと思う。
しかし、あのレオンが、これ程までにリラックスした表情をしているのには驚いた。
女性関係では色々あったのを知っているので、尚更。
そんなふたりを見ていると、互いに想い合っているのがよく分かる。
分かりやすい嫉妬もそうだ。
エリーと私との関係とは、まるで違う。
互いに信頼し、一緒にいて落ち着く相手だったが、やはり恋ではなかったのだろうなと、今更ながらに思う。
それでも大切な人だったことに変わりはなくて。
こうして、未だに引きずっている訳だ。
いつからだろうか。
丁度、聖女召喚の儀式から一年が経とうとする、少し前くらいだったかもしれない。
何となく、黄の聖女様の様子がおかしいことに気付いた。
普段通りに見えるが、時々ぼおっと遠くを見ていることがある。
その表情が、なぜだか泣いているように見えて。
気のせいだとは思ったが、少しやつれているようにも見えた。
そしてそれが、少しずつではあるが日に日に悪化している気がした。
それに気付いただけで、恐らく嫌われているだろう自分に出来ることはなく、青の聖女様を頼った。
彼女と同郷の、お人好しな青の聖女様ならば、きっと話を聞いてくれるだろうし、その不思議な力で彼女の憂いを癒やしてくれるかもしれない。
そう思って、近いうちに話を聞いてほしいと託したが、少し遅かった。
精神的な疲労だろうか、訓練中に彼女は倒れた。
その知らせを聞いて、黄の聖女様が運ばれたという医務室に急いだ。
しかしそこには先客――――カーネリアン殿がいて、扉の前でリオと話していた。
詳しくは分からないが、どうやら彼が何か言ってくれたらしい。
リオは悔しそうだったが、確かに彼は私と違って、女性にとても丁寧に接する男だ。
きっと何か上手いことを言ってくれたのだろう。
倒れた時に赤と青の聖女様も一緒だったと言うし、きっとあの方たちも心を尽くして黄の聖女様に言葉を掛けただろう。
ならば私では役者が不足しているなと思い、踵を返す。
他力本願だが、彼女が元気になるならそれで良い。
――――次に彼女を見たときには、どこか吹っ切れたような表情をしていて、さすがですねと彼らを心の中で称賛した。
その笑顔も、以前よりも少し力が抜けている気がして、彼女はきっと、もう大丈夫だと思った。
私とは違う。
過去を乗り越えて、これから輝いていくのだろう。
少しだけ傷んだ胸に気付かないふりをして、私は職務に励んだ。
その知らせは突然だった。
スタンピード、聖女様方を喚んで以来、初めてとなる。
当然のように我々第二騎士団と第三騎士団から部隊が送られることになり、なんとそれに聖女様方が揃って参加すると言うのだ。
……正直、冗談だろうと思った。
スタンピードだ、ただの日帰り討伐とは違う。
しかも最近何故か訓練に参加している青の……いや、ルリ様まで。
異世界から何の了承もなく喚ばれた身、断れば良いものを。
「私が決めたことで、陛下や宰相様達に強要されたわけではありません。こんな私でも役に立てると分かって、私が、やりたいと思ったんです」
毅然とそう答えるオウカ様の姿に、思い出すのは、あの時のエリーの姿。
我儘王子を間近で護衛など、断れば良いと言った私に、彼女が答えた言葉。
『仕事でしょう?私が、決めたことだわ。こんな私でも役に立てるのなら、やりたいと思うの』
……同じことを言わないで欲しい。
そう言って、エリーは逝ってしまったのだから。
決意の表情に、ただ十分気を付けるようにとだけ言い残し、出立となった。
はっきり言って、今回の遠征はかなり過酷になるはずだった。
それなのになぜだろう、快適に思えるのは。
「はい、ウィルさんもたくさん食べて下さいね」
「……はい、ありがとうございます」
そうお礼を言って、手づから渡してくれるスープの椀を受け取る。
理由は分かっている。
にこりと笑う、このルリ様の料理のおかげだと。
正確には、この美味しくて回復効果まである料理と、三人の聖女様の一生懸命料理を用意して下さる姿だ。
普段は無骨な騎士達があーでもない、こーでもないと苦戦するこの時間が、女性三人の和やかな姿に癒やされるひと時と化した。
……何名か面白くない顔をする者もいるが。
そう、その上なぜかルリ様がカーネリアン殿とふたりきりで話し込んでいる様に、レオンの冷気が漏れ出てしまっている。
そんなレオンを、オウカ様は肯定した。
「“心を乱す”と言いますが、それほど瑠璃さんを想っているということでしょう?理屈ではない感情を持つから、相手を誰にも譲れないと思うのではないでしょうか」
自分は経験したことがないけれどと言う彼女の言葉に、ひとり考える。
今までにそんなことはあっただろうかと。
レオン程ではないが、それなりに女性に囲まれることのある私は、エリーと婚約する前に女性と親しくする機会も、まあ、あった。
彼女たちにも、エリーにも、そんな感情を持ったことがあっただろうか?
……少しだけ、そんな感情を持てるひとりの女と出会えたレオンを、羨ましく思った。
そうして目的地である町に着き、問題の森に入ることになる。
町での歓迎を受けるという、初めてのことに騎士達のやる気はかなり高い。
その上、今回は拠点地に戻れば味の保証がされている食事が待っている。
魔物まで美味しく仕上げてしまうのだから、相当だ。
そして、我々と共に戦うベニオ様とオウカ様の魔法のおかげで、かなり戦闘が楽になっていた。
……スタンピード対応遠征とはこういうものだったか?
そう思ってしまうくらいには、順調だった。
しかし、森の中深部に近付いてきた時、レオンから通信が届く。
合流地点に到着すれば、その瘴気の濃さに自然と眉根が寄る。
遂に、見つけたのだ。
“親玉”は近い。
「……絶対に、油断はしないで下さいよ」
危険だと伝えても、ベニオ様とオウカ様は共に戦うと言って譲らなかった。
嫌な予感がしたが、騎士達の士気を考えれば止めることは出来なかった。
“今度は”必ずお守りする、そう自らの神経を尖らせた。
だからだろうか。
ベニオ様を庇おうとするオウカ様にいち早く気付いたのは。
そして、体が勝手に動いた。
死を前にして、彼女が笑ったから。
どこか満足そうに。
貴女はこんなところで死んでいい人ではない。
これから、幸せになるんだ。
私とは違う。
どうか幸せになって欲しい。
死を覚悟してぎゅっと目を閉じるその姿を、守りたいと思った。
そしてその思いが、彼女の体を押した。
瞬間、腹部に猛烈な痛みを感じた。
ああ、これでやっと。
やっと、エリーに謝れる。
ふっと意識を沈め、このまま消えるのだろうと思った時、唇から温かいものが流れてきた。
それが自分の体を僅かに癒やしたことが分かったが、それでも傷はかなり深かったのだろう。
私の意識は、まだ浮上しなかった。
もういい、このまま――――。
そう思った時、凛とした声が聞こえた。
「置いていかれる哀しみを知っているんです、必ず、戻って来て下さい!」
哀しむ?
誰が?
――――そうだ、あの人が自分を庇って他人が死ぬことを、哀しまない訳がない。
このままでは、幸せになどなれない。
私は、死んではいけない。
「戻ってきなさい!」
「ウィルさん!」
強い思いと自分を呼ぶ声に、私は引き戻された。




