浄化と光と鎮魂と
紅緒ちゃんの転移魔法が完了し、閉じていた目を開くと、そこは薄暗い空間だった。
「ここは……」
転移初体験のアルが周囲を見渡すと、縋るような声が上がった。
「瑠璃さん!」
突然かけられたその声に、すぐ側の地面を見れば、倒れた人を抱えうずくまるようにした黄華さんがいた。
恐らく黄華さんのものだろう、その人にかけられたローブらしきものは、赤黒く染まっていた。
かなりの重症に違いない。
「どうしたんですか!?この人は……」
「ウィルさんです!私を庇って……お願いします!助けて下さい!!もう、体温が……」
下がっていると言いたいのだろう、ボロボロと泣いて顔を歪ませている。
「アクアマリン副団長……」
アルもまさかという顔で覗き込んでいる。
意識のないその人の青い顔を見れば、確かにウィルさんだった。
黄華さんを庇ったって……。
ローブに隠されて見えないけれど、それ程の重症、普通に治療をかけただけでは治しきれないかもしれない。
だけど。
「やってみます。いえ、やってみせます」
さっと膝を付き、ウィルさんの腹部に手をかざす。
「置いていかれる哀しみを知っているんです、必ず、戻って来て下さい!――――『治療!』」
このまま死ぬなんていけない。
黄華さんに、自分のせいでと思わせて逝くなんて。
ちゃんと、助けてくれてありがとうって、お礼くらい言わせてあげて下さいよ。
「……このまま死なないで下さいよ」
ほら、こんなに心配してるアルの気持ちだって、まだ聞いてないでしょ?
それに、貴方だって――――。
じわりと滲んだ涙が、銀色に輝いてぽろりとウィルさんに落ちる。
渾身の思いを込めて魔力を流すと、新しい呪文が脳裏に浮かんだ。
「『最上級治療』!戻って来なさい!」
ぐっ、とかなりの量の魔力が流れ出ていったのが分かる。
すると、眩い光がウィルさんを包んだ。
キラキラした金と銀の粒子。
レオンの呪いを解いた時よりも、更に強い光。
それらがウィルさんへと降り注ぐと、ローブに染み込んだ血までもがさらりと消えていった。
そして少しずつ粒子と光が消えていくと、先程まで薄暗かった空間が、明るくなっていた。
周りをよく見れば、棒のついたライトのようなものが騎士さんの手の中にあったり、落ちていたりしている。
あの光のおかげなのかな?
「う……」
「ウィルさん!」
黄華さんの声にはっと視線を戻すと、ウィルさんが軽く身じろぎをした。
恐る恐る被さっていたローブを取ると、深い傷があったであろう腹部は、服こそ破れたままだが綺麗になっていた。
顔色も戻っている。
これできっと大丈夫なはず。
「よ、かった……」
ずっと私の隣で震えていた紅緒ちゃんが安堵の涙を流す。
よしよしと軽く抱き締めて背中をさすれば、きゅっと抱き返された。
黄華さんも掠れた声で「よかった」と呟くと、ぎゅっとウィルさんの手を握った。
アルもほっと息をついている。
「ルリ!ウィル!」
するとそこへレオンやイーサンさん、カルロスさん達が駆け寄ってくる。
そうか、みんな一緒に戦ってたのね。
それ程に強い魔物ということは……。
何気なく振り向くと、そこには氷漬けにされた魔物がいた。
「っ!」
さすがに驚いたが、なんとか悲鳴は飲み込んだ。
それにしてもすごく大きいけど……犬?
しかも頭がふたつある。
それだけではない、双頭の魔物の中心部、お腹の中にうっすらと黒い塊が見える。
これは……。
「恐らくだが、コイツがスタンピードの原因――――親玉なのだろう」
レオンが隣に並ぶと、魔物を見上げてそう言った。
どうやらスタンピードとは、その原因となる一体の強い魔物を倒すと収まるものらしい。
その個体が他の魔物を集めているのか、生み出しているのか、それは分からないが、とにかくこいつを倒せば解決するはずだとレオンは言う。
「ルリ。急に現れて驚いたが、ウィルを助けてくれてありがとう。話は安全な所に戻ってからゆっくりと聞く。まずはこいつの息の根を止めなくては」
氷漬けにされているだけで、まだ完全には死んでいないらしい。
レオンが手をかざして魔力を操作すると、器用にも一部だけ氷を溶かしたらしい、魔物の首の周りだけが現れた。
「とどめは俺がやろう。青の聖女殿は見たくなかったら、顔を逸しておけ」
「いえ。ちゃんと見届けます」
きっぱりと告げると、上等だとイーサンさんが笑う。
そして大剣を構えると、大きく跳躍して一撃で魔物の首を切り落とした。
鈍い音と飛び散る血にぐっと顔を顰めたが、目は逸らさない。
首がしっかりと切れたのを確認すると、レオンが全ての氷を溶かした。
すると、ゆっくりと二つに分かれた魔物の体がその場に倒れる。
これで大丈夫、と安心したいところだが、お腹の中の黒い塊、あれがすごく気になる。
「ねえ、レオン……」
あれは何かと問えば、そんなものは見えないと戸惑いがちに返された。
イーサンさんにも視線を送ったが、首を傾げて何のことだと言われる。
そんな、でも確かに。
そうしているうちに、黒い塊がすうっと倒れた魔物の体から抜けて、ふよふよと漂った。
「え!?何あれ!?」
「紅緒ちゃんにも見えるの?」
「私も、見えます。黒い何かがオルトロスから抜け出ました」
紅緒ちゃんだけじゃない、少し落ち着いたらしい黄華さんも、同じ方向を見て目を見開いている。
「ひょっとして、あれが女神様が言っていた……?」
『大量発生を起こす、その"核"をさがすのじゃ。それは、心を救う"想いの力"ーー聖属性魔法で浄化できる』
「あれが、“核”?」
核らしき黒い塊は、ゆっくりと移動している。
「ひょっとして、次の体を探してるとか?ゲームとか漫画でよくある話よ」
紅緒ちゃんの言葉に、私達はぎょっとする。
もしそれが本当なら、早く何とかしないと。
ええと、女神様は聖属性魔法で浄化できるって言ってたよね。
「瑠璃さんの出番ね」
「お願いします」
「いや、でもふたりの力も必要だって言ってましたよね?一緒に、やりましょう」
静かな闇への眠り、聖なる光での導き、その力が必要だって言っていたもの。
それならばと紅緒ちゃんも隣に来てくれた。
黄華さんもそっとウィルさんの体を横たえて私達に並ぶ。
「何だかよく分からんが……頼んだぜ、嬢ちゃん達」
イーサンさん達も見守ってくれるようだ。
ごくり息を飲み、そっと瞼を閉じればいつものように呪文が頭に浮かぶ。
「浄化」
「光の導き」
「鎮魂」
ほぼ同時に唱えられた私達の魔法は、黒い塊を柔らかな光で包み、さらさらと真っ白な粒子へと変えていく。
粉々になったそれは、天井から降り注ぐ一筋の光に導かれ、すっと登っていった。
そして核となった魔物や辺りに倒れている魔物達の体も同じくして、こちらは温かい闇に包まれさらさらと黒い砂になり、後を追うように光へと導かれる。
その全てが消えると、ふっと元の景色に戻った。
ただし、ここで戦いがあったなどとは分からない程に、魔物の姿はきれいに消えていたが。
「これで、本当に終わりですね」
幻想的な光景に、しんとしばらく沈黙が落ちていたが、黄華さんのその一言でわっと歓声が上がったのだった。




