瘴気
昼過ぎに瑠璃たちに見送られてから一時間程が経った頃。
レオンハルトとカルロスは前方、森の中深部から不穏な空気が流れ出ているのを感じ取っていた。
「団長も感じてます?や、これちょっとヤバいっすよね」
普段のような軽い口調を保ちながらも、カルロスの額にはじんわりと汗が滲んでいた。
今まで感じたことのない程の、強くて、暗い――――瘴気。
「私達だけでは手に負えないな。応援を呼ぼう」
努めて冷静にそう告げたが、レオンハルトも同じように、吐き気に似た何かに胸が締め付けられているようだった。
そうしてウィルやイーサンたちの隊に、通信魔法で連絡を取った。
「――――ほお。それで、この先に原因があるのは間違いなさそうだな?」
「ひどい空気だな。私もこれ程の瘴気は経験がない。恐らく、今までにないレベルの魔物が湧き出てくるはずだ」
すぐに駆け付けたイーサンとウィルも、強い瘴気に顔を顰める。
そして皆が悩んだのは、紅緒と黄華を連れて行くかどうか。
聖女としてこの討伐隊に加わったとは言え、自分達が経験したこともない強さの瘴気を前にして、危険を承知で連れて行っても良いのか。
「勿論、行くわよ」
「ええ、そのために来たのですから」
レオンハルトやウィルがいかに危険かを説明したが、ふたりの意志は変わらなかった。
ただ、自分達と同じように瘴気の強さを感じているのだろう、普段よりも余裕のない表情をしていた。
ここまでの戦いぶりで、ふたりの力がかなりの助けになることは実証されている。
複数の魔法を巧妙に使って魔物を倒していく紅緒。
絶妙なタイミングで支援魔法をかけてくれる黄華。
正直、厳しい戦いにはなるが、このまま共に戦ってほしいと誰もが思っていた。
「決まりだな。嬢ちゃん達も連れて行こう。遊びに来たんじゃねーんだ、それなりに覚悟してこの場にいるんだろうしな」
「……絶対に、油断はしないで下さいよ」
イーサンはそう言うが、この先に不安を感じてウィルは難しい顔をした。
この方々を死なせる訳にはいかない。
手練のアルバートやリオがいるとは言え、数で圧倒されては一人では守りきれないだろう。
いざとなれば、自分達も。
「レオン、私と他に三名ほどおふたりの護衛にまわる。前衛は頼んだ」
「ああ、頼む」
後方支援ができる騎士や魔術師と共に、魔法で戦闘に参加しつつもふたりの護衛を担うと申し出たウィルに、レオンハルトも頷いた。
「ちょっと待って下さい!僕達が信用出来ないんですか!?」
「そうじゃない。異常事態だ、聖女様の守りを固めるのは当然だろう」
リオの言葉に冷静に返したのは、アルバートだ。
同じ立場のアルバートにそう言われてしまっては、さすがのリオも口をつぐむしかなかった。
「あんた達が頼りになることは知ってるよ。聖女様サマの護衛についてるんだし、みんな分かってる。これは念の為の保険でしょ?だから俺も一緒に側につく。回復魔法もあるからさ、もしもがあっても、少しは対応できるはずだしさ?」
「私だって、あなたがいるから安心して戦いに参加できているんですよ?リオ」
カルロスと黄華の言葉に、リオは俯く。
「……そうですね、よろしくお願いします」
そして、ただの意地だと自覚しているため、素直にそう言った。
漸く話がまとまったことに、レオンハルトとイーサンはこっそりと息を付く。
ウィルとカルロス、そして第二の騎士二名を紅緒と黄華につけることが決定し、隊列を整え、中深部へと足を踏み入れた。
「くっ……やはり、急に魔物の数が増えたな」
「ああ、しかもどんどん強い敵も増えている。これは、やはり当たりだな」
襲いかかってくる魔物達を次々と倒しながら、イーサンとレオンハルトは眉根を寄せた。
出発してしばらく経つと、すぐに魔物が現れ始め、湧き出てくるように次から次へと襲ってくる。
先頭に立つふたりの戦闘能力が高すぎるため、今のところは順調に見えるが、これ以上数が増えると総出で攻撃にあたらなくてはいけない。
「炎の矢!」
「防護壁」
しかし、そんな不安に反して紅緒と黄華は落ち着いて魔法を使えている。
チラリと後方のふたりを見て、レオンハルトは息を吐いた。
慣れない野営の旅だというのに、文句一つ言わず、しかも戦いにも尻込みしない彼女達のことを、レオンハルトは心から感心していた。
そして、必ず生きて帰らせなくてはいけない、そう思う。
――――ルリのためにも。
「騎士達!聖女様方に遅れをとるなよ!」
「そうだぞ、お前等!嬢ちゃん達にばかり活躍させて、休んでるんじゃねーぞ!」
団長ふたりの言葉に、騎士たちは声を張り上げて魔物の群れへと向かっていった。
一時間後。
ようやく群れを壊滅させると、騎士達の息切れの音が辺りに響いていた。
「はっ。お前等、上出来だ」
「魔物の流れも収まったようだな。一旦休憩しよう。――――ああ、これがあったな」
そこでレオンハルトは小さな包みを取り出した。
中身は、瑠璃が作ったクッキー。
もしもの時のためにと全員に持たせてくれていたものだ。
「随分消耗しただろうからな、ここで頂こう」
俺も、私もと騎士や魔術師たちもクッキーを取り出し口に入れる。
さっくりとした食感のクッキーを噛んで飲み込めば、じんわりと体に力が戻るのが分かる。
かなりの回復量に、全員がほっと息を付いた。
「あれ?黄華さん、食べないの?」
「ええ、一つだけ頂いて残りはとっておきます。私は支援魔法をかけているだけでそれほど動いていませんし、リオたちが守ってくれているので安心して魔法に集中できましたしね」
ふーん、と紅緒はクッキーを頬張る。
さつまいもの仄かな甘みが口に広がり、思わず頬を緩ませた。
「……まだ、あと少しでしょうか」
「そうね。精一杯やるだけよ。無事に戻って瑠璃さんのご飯を食べないとね」
いつも自分達の帰りを温かく迎えてくれる瑠璃の笑顔を思い出し、ふたりは微笑み合った。




