嗚咽
テーブルに額を当てていた紅緒ちゃんも、そろそろと顔を上げて黄華さんの話に耳を傾けようとする。
そんな紅緒ちゃんに、ありがとうとお礼を言う黄華さんがベッドで休んでいる間に見たという夢は、元の世界の人達の過去と現在だという。
「まあ、それが事実だという証拠はありません。ただの夢――――私の願望かもしれませんけれどね」
そう前置きして、語り始めた。
黄華さんに直接手を上げたりはしなかったものの、言葉で辛く当たったお祖母さん。
彼女は名家の生まれで、様々な期待を背負って東雲家に嫁いできた。
女児をふたり生んだものの、なかなか跡継ぎが生まれないこともあって、姑さんをはじめ、周囲の人からかなり批判を受けていたらしい。
ようやく男児に恵まれたかと思えば、当時家元だった旦那さんに先立たれ、かなり厳しい環境での育児を余儀なくされたようだ。
そんな中、自ら茨の道を進もうとする息子が心配でならなかった。
陰口を叩く者もいる。
自然、嫁と孫を甘やかす訳にはいかなかった。
厳しい言葉で潰れるならそれまでだ。
逃げ道をあえて示し、それを選ぶならまた然り。
それでも、そうやってひとり守ってきた息子を喪った時は、感情が抑えられなくて誰かのせいにするしかなかった。
後に、それをどれだけ悔やむことになっても。
そして秀和さん、秀秋さん親子。
どうやら、秀秋さんは元々黄華さんに好意を寄せていたらしい。
父親とばかり親しくして、自分には客としてしか接してくれない黄華さんに、当てつけのように婚約者を決めたのだとか。
秀和さんはそんな秀秋さんの気持ちに気付いてはいたものの、黄華さんが心に何かを抱えていることを感じていたため、見守ることしかできなかった。
それでも黄華さんが心配で、自分が病だと知ってあんな提案をしてしまったが、結局自分が救われただけで、そんな状況を情けなく思っていた。
遺産については生前、秀秋さんに一応話をしていて、彼もそれを承知していたらしい。
秀秋さんは、もしかしたら今度こそ家族として自分を頼ってくれるのではと思っていたのだが、それでも壁を作ろうとする黄華さんにカッとなり、あんなことを言ってしまったようだ。
黄華さんが行方不明になって、大切な家族をふたりも無くしてしまったことを悔やんだ。
そして黄華さんが貰うはずだった分の遺産だが、奥様ともきちんと話をして、施設へと寄付したらしい。
奥様は秀秋さんの黄華さんへの気持ちに薄々気付いていたらしく、ずっと嫉妬していたようだ。
しかし、秀秋さんが自分とちゃんと向き合おうとしてくれたため、ふたりでやり直すことにしたらしい。
黄華さんに謝りたいと、ふたりは今でもその行方を探していた。
「……だからって、許されることじゃないわ」
静かに聞いていた紅緒ちゃんが、ぽつりと呟く。
「そうですね。……だけど、私も悪かったのだと思いました」
まだ子どもだったからだが、黒い靄を背負う祖母の苦しみに気付けなかった。
今思えば、厳しい言葉も自分達を思って言ったことだって、あったのかもしれない。
今まで忘れていたが、あの庭園の桜の下で一度だけ、お菓子をくれたことがあった。
親戚の者に心無い言葉を浴びせられた日、母とふたりで分けなさいと掌に乗せてくれた。
祖母の、分かりにくい優しさに気付いてあげられなかった。
そして他人との間に壁を作り、秀秋さんに惹かれた自分の気持ちを受け入れなかった。
その優しさに救われたこともあったのに、そっけない態度を取るだけで。
自分で一歩踏み出そうとしなかった。
秀和さんにも心配ばかりかけて、それに平気な振りをして笑って。
本音で向き合おうとしなかった。
秀秋さんの奥様のことだって、ちっとも気にかけようとせず。
まるで自分だけが悲劇のヒロインになったつもりでいたのかもしれない。
そう、黄華さんは苦い顔をして笑った。
「……結局、ちょっとしたことがすれ違ってしまっただけで、本当はそれぞれに思いがあったんですよね」
私の言葉に、ふたりが頷く。
人間はそんなに強くないから、誰かのせいにしてしまいたくなる時がある。
深い悲しみが訪れると、理性を保てなくなってしまう。
後悔もするし、立ち止まってしまうこともある。
「……子どもって、まだ世界の中心が自分なので、すぐケンカになっちゃうんです。僕は悪くない、悪いのはそっちだ!って」
突然の話題だったけれど、ふたりは静かに私の方を向いてくれた。
ケンカが起きた時の仲裁で大切なのは、必ず双方の気持ちを聞くこと。
「相手の気持ちなんてまだ汲めないから、私達大人がそれぞれの思いを分かりやすく伝えて、それからどうしたら良かったのかを一緒に考えるんです」
そうやって、人の気持ちを考えることを学ぶ。
「私達は大人ですから、それくらい分かるはずだと互いに言葉足らずなのかもしれませんね。大切なことほど言葉で伝えずに、相手に察してもらいたいと甘えてしまうのかもしれません」
すると、黄華さんが目を伏せてため息をついた。
「……私も、きちんと思いを口にすれば良かった。どうせ分かってくれない、って勝手に決めて、諦めて。相手の気持ちも、事情も考えなかった」
ほろりとその目から涙が零れる。
「それに気付いたなら、やり直せばいいじゃないですか。この世界で、幸せになれるように」
「そう、そうですね。私も、諦めた振りをしていたけれど、本当はずっと、幸せになりたいと思ってた……」
「これから、一緒に探しましょう?」
それから、泣くことを思い出したかのように嗚咽を漏らす黄華さんの震える背中を、紅緒ちゃんと私はそっと撫で続けた――――。




