桜の記憶
途中、ご不快に思う表現があるかもしれません。
あくまでも話の中のものなのでご容赦を……
急いで黄華さんを覗き込むと、その瞼が震え、ゆっくりと目が開かれた。
「黄華さん?分かりますか?」
「え?あれ、私……どうしたんでしたっけ」
起き上がろうとする黄華さんを止め、そのまま横になっているよう促す。
「もう!心配したのよ!最近様子が変だし、顔色も悪いのに無理して……」
紅緒ちゃんが涙ぐんでそう言うと、黄華さんは驚きを見せた。
「心配、してくれたんですか?私を?」
「当たり前じゃない!」
信じられないという表情からは、やはり自分なんてとの思いが見える。
「とにかく、体は大丈夫ですか?調子が良さそうなら、お土産があるのでお茶にしましょう?」
きゅう。
用意していたお菓子の包みを見せると、小さくお腹が鳴ってしまった。
「る、瑠璃さん……」
「あはは……お昼食べてなくって」
シリアスになりきれない私の馬鹿!
「ふっ」
顔を赤くしていると、黄華さんがくすくすと笑った。
「お茶、淹れますね。少し待っていて下さい」
「……美味しい」
上品な香りの紅茶を一口飲んで、黄華さんがほっとした顔をする。
良かった。顔色も良いし、飲食も大丈夫そうだ。
そういえば医務室だけど良いのかなと思ったので、扉の外にいるアルに声をかけると、すぐに許可をもらってティーセットの用意も手配してくれた。
黄華さんが目を覚ましたことを伝えると、リオ君がほっとした顔をしていた。
みんな心配だったよね。
紅緒ちゃんはすっかり私の持ってきたお土産に夢中になって、にこにこしながらお菓子を頬張っている。
「ホント美味しい!フルーツケーキもだけど、この白いやつ!なんて言うんだっけ?懐かしい!」
「スノーボールですよ。……本当ですね、優しい味がします」
少し眉を下げる黄華さんに、私はおずおずと話しかけた。
「あの、ひょっとして何かありました?私達で良かったら、話してくれませんか?黄華さんが辛い思いをしているのに、何もできないのは私達も辛いです」
「そうよ。……元の世界で何かあったの?」
紅緒ちゃんも隣で心配そうにしていると、黄華さんは少しだけ目を見開き、はあと息をついた。
「……面白くも何ともないですよ?」
「そんなの求めてないわよ!」
「どんな話でもちゃんと聞きます。それに、話すだけでも気が楽になるかもしれませんよ」
ちゃんと話してと訴えれば、黄華さんは困ったように微笑んで、やがてゆっくりと口を開いた。
「昔話です。愛情に飢えた、惨めな女のーーー」
幸せだと思っていた。
幼い頃は。
大好きなお父さんとお母さんがいて、ふたりとも優しくて。
いつも『大好き』ってぎゅっとしてくれるから、それだけで満たされていた。
あれ?って思ったのは、物心ついてきて、祖母の私を見る目に、嫌悪が覗くのに気付いてから。
小さい頃から人のオーラみたいなものが見えた私には、祖母はちょっと怖い人だった。
いつも背中に黒い靄が見えたから。
だけど、お父さんがいつも手を繋いでくれていたから、安心できていた。
広いお屋敷。
着物姿の父や祖母。
季節ごとに木々が色付く立派な庭園。
格式高い家なんだ、って気付いたのはもう少し大きくなってから。
茶道家元を父に持つ私は、幼い頃からお茶のお稽古を嗜んできた。
それが当たり前だったし、何の疑問も持たなかった。
『上手いぞ』と頭を撫でてくれる父。
『すごいわね』ってちょっと困ったように笑う母。
褒められるのが嬉しくて、一生懸命取り組んでいた。
そんなある日。
『全く……あんな女との間に子なんて作らなければ』
『桜子のことをそんな風に言うのは止めてくれ!』
何気なく通った部屋の引き戸の隙間から、父と祖母の争う声が零れてきた。
いけないと思ったのに、私は立ち止まってしまった。
それが、この先の私を狂わせてしまったのかもしれない。
『あんな水商売で生きてきた女……。この東雲家の嫁に相応しくないと何度も言っているのに。貴方を慕う女性は多い。離縁しなさい。まだ間に合うわ』
『私は、絶対に桜子と黄華と離れない!』
そう言うと、父は別の引き戸から出ていった。
今のって……。
呆然とその場に立っていると、戸を引いた祖母が目の前に立っていた。
『ああ、聞いていたの。はあ……お前さえ生まれてこなければ、あの子は今頃……』
ため息をついて私の横を通り過ぎる。
私さえ、生まれてこなければ?
冬の訪れを告げる冷たい風が、私の髪を揺らした。
あれ以来、祖母に会う機会はほとんどなくなった。
同じ家に暮らしているはずなのに。
庭の桜も、芽を出したのに。
どうして、この家の中はこんなに冷たいんだろう。
母の笑顔も、少しずつ減っていた。
父は難しい顔で考えていることが多くなった。
桜、早く咲かないかな。
そうしたら、みんなでまた綺麗だねって笑い合えるのに。
『え……?』
『あの子が、死んだ?』
その知らせは、突然だった。
『運転手が、心筋梗塞を起こしたらしくて……。轢かれそうになった子どもを庇って、家元が代わりに……』
『う、そ』
『い、いやああああー!!』
涙を流して打ちひしがれる母。
父の名前を叫びながら泣き続ける祖母。
……私の誕生日だからって、プレゼントを買いに行ったから。
黒い靄が見えたのに、それを伝えなかったから。
だから、お父さんは。
『ーーのせいで』
祖母が私を睨む。
『お前さえ、いなければ……!』
父の葬儀の日、庭園の桜が咲いた。
『黄華、お母さんと行こう?』
葬儀の後、しばらくして私と母は東雲家を出た。
泣きはらして目の腫れた母が手を繋いでくれたけれど、その手はとても弱々しくて、冷たかった。
振り返った先には、満開の桜が風に舞う。
ああ、もうここには帰って来れないんだ。
小さな手荷物を持って、私と母はあてもなく歩き続けた。
まるで、迷子のように。
それでも何とか二人で住む場所を見つけて、母は朝晩と休みなく働いてくれて、私も学校に通うことが出来ていた。
少しずつ笑顔も戻って、小さな幸せも見つけられるようになった。
私の誕生日には、ふたりで小さなショートケーキを半分こして食べたけれど、すごく美味しかった。
また、ここから一歩ずつ前に進めば良い。
そう、思っていた。
『末期?』
『はい。娘さんの他に、ご家族はおられますか?恐らく貴女の体はもう……』
16歳の冬。
母の余命が告げられ、私達のささやかな幸せは打ち砕かれた。
その後母が亡くなるまでの3ヶ月のことは、あまり覚えていない。
『やっとあの人のところに行ける……。ごめんね、黄華』
そう涙を流して、母は亡くなった。
私の誕生日を待たずに。
まだ春を感じることができない、寒さの残る弥生の空。
私は、ひとりぼっちになった。
こんなどシリアス中ですが、書籍化について活動報告を書かせて頂きました。
ご興味のある方はご覧頂けると嬉しいです(◍•ᴗ•◍)
ブクマや評価、誤字報告などいつもありがとうございます!




