通信
『お前さえ、いなければ……!』
『貴女が、親父を唆したんだろう!?』
ああ、またあの夢だ。
もう思い出せないくらい、黒い靄で塗り潰されたあの人達の顔。
私がいなければ?
いなければ、貴方達は幸せになれた?
大丈夫、私は消えます。
もう、ここに未練なんてないから。
……でも、大好きだったお父さん、お母さんと、あの庭園だけは、ずっと忘れない。
みんなで一緒に見た花達。
巡る季節と共に咲き、そして散っていく。
春、好きだったのにな。
最後に見たのは、桜吹雪。
もう、二度と見ることはできないーー。
ーー王宮。
「え?黄華さんどうしたの!?」
「……ああ、紅緖ちゃん。おはようございます」
「ひどい顔色よ?大丈夫なの?」
「ちょっと、嫌な夢を見ただけですから、気にしないで下さい。でも、今日の講義は、お休みさせて頂きますね……」
弱々しく微笑みその場を去ろうとする黄華を、紅緖は引き止めることができなかった。
「瑠璃さんなら……」
物陰でその呟きを聞いていた人物は、唇を噛むと、徐に歩き出したーー。
恥ずかしくもリーナちゃんに弱音を吐いてしまった翌朝。
私はレオンに連絡を取ろうとしていた。
エドワードさんやエレオノーラさんが使っているという通信魔法、風と水、両方の属性持ちであればそれほど難しくないというので、教えてもらったのだ。
どちらかだけの属性だと難しいらしいんだけど。
水鏡に相手の姿を映し、風で声を伝えるんだって。
相手のおおよその居場所が分かれば発動できる。
今は一人きりなので成功するかどうか不安だったけれど、レオンの姿をイメージしていると、大きめの水盤に張った水がゆらりと揺れた。
「あ、ホントに映った!レオン、聞こえる?」
『!?ルリ?これは……通信魔法、か?』
恐らく王宮の廊下だろう、いつもの騎士服に身を包んだレオンが水盤に映し出された。
「すごい、本当につながった!ごめんね仕事中なのに突然」
『いや、大丈夫だ。姿が見えないのが残念だが、声はしっかり聞こえる。私も水盤があれば良かったのだが……生憎、今は近くに水を溜めておけるような物がなくてな』
そっか、レオンも水盤を使って通信魔法ができるんだ。
聞き慣れたレオンの声に、何だか嬉しくなってしまう。
いつの間にか、この声だけでこんなに安心できるようになってしまった。
ほっとして目に涙が滲んでしまったのを拭い、気取られないよう、努めて明るい声を出す。
「あの、ね。少し相談したいことがあって。近いうちに会えないかな?」
『ああ、勿論だ。何なら今からでも会いに行きたいところだがな』
冗談めいたレオンの台詞に、ぷっと笑いがこぼれる。
こんな何気ない会話が、嬉しい。
『今夜、寄せてもらっても良いか?明日は公園が開放される日だろう?そちらに泊まるから、明日一緒に行こう』
「覚えててくれたの?うん、嬉しい。行きたい」
そう、女神様騒動であれっきりになっていた公園だが、工事が終わり明日開放されることになっている。
さすがほとんどの作業を魔法で行うとあって、早い。
まだ2、3週間しか経っていないのに。
以前からシトリン伯爵とは約束していたのだが、レオンも一緒に行けるのなら嬉しい。
話を聞くと、もともと明日は休みを取って一緒に行くつもりだったんだって。
夜ラピスラズリ邸に来て、驚かせようと思っていたらしい。
通信魔法が使えるなら、これからいつでも連絡できるなって微笑まれた。
すごく嬉しそうに笑うから、胸がポカポカしてこそばゆい。
「じゃあ、夕食用意して待ってるね」
『ああ、なるべく早く行く』
「うん、また夜に」
そう言って魔力を流すのを止めると、水盤の水が波立ち、映っていたレオンの姿も消えた。
レオンに話を聞いてもらえることになり、心も随分落ち着いてきた。
昨日、リーナちゃんに相談できて良かった。
「今日はふたりの好きなものを作ろう。あ、そうだ。たくさん作って、紅緖ちゃんと黄華さんへのお土産にしよう。明日公園の帰りに王宮に持って行けばいいよね」
昨日は結局そのまま帰ってきてしまったが、黄華さんのことも気になるし、そうしよう。
そして私は何を作ろうかと考えながら、テオさんの元へと向かったのだった。
『うん、また夜に』
それから風がさあっと吹くと、魔力の流れも消えた。
どうやら通信魔法が切れたようだなとレオンハルトはひとつ息をつく。
「相談、か。嬉しいような、恐いような、複雑な気分だな」
頼ってもらえて嬉しい反面、無意識に色々やらかしてくれる自分の恋人が、今度は何を言い出すのだろうかと少し不安にもなる。
しかし、結局それはいつも誰かを思ってのことだったり、この国のためだったりするので、やれやれと思いながらもつい甘やかしてしまう。
それが、不思議と嫌ではないのだ。
きっと、自分と同じように感じている人間は多いだろう。
シーラや護衛のアルフレッドも、恐らくは。
さて今日は定時で帰れるようにしなければと思いながら廊下を歩き始めると、向こうから固い表情のウィルがやって来るのが見えた。
「どうした、ウィル」
「レオン……いや、何でもない」
何でもないという顔ではないだろうとレオンハルトは訝しむ。
「青の……いや、ルリ様に会ったら、伝えておいてくれないか?"できるだけ早く話を聞いてあげてほしい"と。そう言えば、あの方なら分かる」
「……ああ、今夜ラピスラズリ邸に帰る予定だから、そのように伝えよう」
頼む、と言うと、ウィルはすぐに去って行った。
いつの間にかルリと呼んでいることも気になったが、それよりも不自然な様子に、眉根を寄せる。
「私は、あいつのことも心配なんだがな」
しばらくそのうしろ姿を見つめ、レオンハルトは踵を返した。




