隣のお姉さんが毎日ミルクをくれます
ぴんぽーん。
「はぁーい……」
インターホンの音で目を覚ました僕は、むくりと起き上がり、よろよろと玄関に行く。
ドアを開けると、目の前には乳牛柄のパジャマを着た金髪……いや、明るい黄土色?の髪をしたお姉さんが立っていた。
僕はこのお姉さんを知っている。
「おはようございます南川さん」
「ええと、おはよう……ごめんね……朝早くからインターホン鳴らして」
「いえいえ、いい目覚ましになってるのでむしろありがたいです」
南川さん。
僕の住む201号室の隣、202号室に住むお姉さんだ。下の名前は知らない。毎日こうやって、インターホンを鳴らしにくる。僕を起こしにくる……というわけではない。そうだったら嬉しくて夜も眠れないし。まぁそんなわけはないんですがね。当たり前とも言う。
「ええと、どうしました?」
何の用事で来たかは知っているけど敢えて聞いてみる。
「いえ、あの、牛乳が一本余っちゃって……良かったらおすそ分けしようかな……って」
南川さんの左手には牛乳瓶が握られている。
牛乳瓶なんて温泉とか田舎でしか見ない気がするぐらい今となっては珍しい光景だ。
南川さんは、牛乳瓶の配達サービスを利用しているらしい。五百ミリリットルのが一日二本。でも一本飲みきれなくて余ってしまうんだそうな。でも、捨てるのも牛さんに申し訳ないのでこうやって僕のところにほぼ毎日おすそ分けにくるのだ。
それなら毎日一本にしてもらえばいいのに、なんて思わなくもないけど、まぁ他所さまのことに口突っ込むのも変なので、素直に「ありがたや」と思って受け取っている。
実際、牛乳はカルシウム取れるし水分補給になるし役に立つからね。
今日も断る理由はないのでありがたく受け取る。
「なんか毎日毎日ありがとうございます」
「いえいえ、私こそありがとう……です。余っちゃうと捨てるしかない……ので」
「飲み終わったら牛乳瓶受けに置いときますね」
「あっ……はい。大丈夫です」
「ええと、それじゃまた」
「えっ……ええはい失礼しました」
もらった牛乳はすぐ飲みきるわけではない。まぁ何せ五百ミリリットル、清涼飲料水のペットボトル一本分の分量だからね。
朝食のお供にちょっと飲む。
会社の昼休みにちょっと飲む。
夕方、帰りの電車に乗る前に残りを飲みきる。
だいたいこんなサイクルだ。
そして、日が落ちて家に帰ると、空になった牛乳瓶を洗って、南川さんの住む202号室のドアの横にある牛乳瓶受け?に置く。早朝に空になった牛乳瓶を業者さんが持っていくんだそうな。見たことないけど。
そして今日も昼がやってくる〜。
「また騎士くんは牛乳とパンか〜飽きないねえ〜」
先輩の田中さんの言葉に僕は苦笑する。確かに、ここのところずっと牛乳とパンの組み合わせだからね。でも不思議と飽きないし、他のものを買いに行くって気にならないので良いんだけど。考えなくていいし。
そうそう、このパンもおすそ分け品である。南川さん特製ではない。別の女性である。念のため、注釈。
ちなみに、『騎士』とは苗字である。嘘みたいだけど本当です。
「いいな〜いいな〜俺もお隣のお姉さんから牛乳貰いたかったなぁ」
「またそんなこと言う……あなた妻子持ちでしょうが。奥さんに報告しましょうか?『おたくの旦那さんに浮気の兆候があります』って」
「おっとそいつは勘弁してくり〜」
「冗談ですよ」
「いいなーお隣さんのみ・る・く」
「まだいいますか……ていうかその言い方だとものすごく卑猥な響きなんですが」
「おぉう〜?どっこがえっちなのかなぁ?」
「黙れこのエロオヤジ」
「うわーん課長、部下がいぢめてきます〜」
「課長。こいつシバいていいですよ」
ちなみに課長、バリバリのキャリアウーマンです。
しかしそれにしてもミルクねぇ……確かに牛乳も母乳も同じ『ミルク』だけど……白いし。
……南川さん特製ミルクだったら……?
なんかウスイ=ホンにありそうな展開だけど、まぁそんなこと現実にあるわきゃねーわな。
そんなこんなで牛乳をまたちょっと飲んで仕事に戻りましたとさ。
なおこの牛乳、甘いのが特徴。
***
同じ頃。
202号室の南川さんは布団で枕を頭に抱えて「〜〜!!」。悶えていた。
「はわわ……今日もあげちゃったよバレてないかなバレてないかなあれ私の母乳っていうかミルクだしそういう体質だから仕方ないけど痴女って思われたらどうしようあわわわわん………!」
南川さんには秘密があった。
それは母乳が出やすいという体質だった。
一日におよそ五百ミリリットル。普通に考えてありえない量の母乳が出るのだ。子供もまだ居ないのに。医者にも診てもらったが、原因はよくわからないそうな。今のところ、この特異体質のせいで何か身体に不調が出たことがないのは不幸中の幸い?である。
しかしこの特異体質には一つ問題?があった。
一日五百ミリリットル出る母乳。これをその日のうちに体外に出しておかないと代謝によくない(かもしれない)ことだ。
今日はまだしていないが、どこかで搾乳マシーンで絞り取らないといけないだろう。
「はわわわわまた今日も絞って貯めて明日また騎士くんにあげることになるよねそうだよねそうしないと冷蔵庫が埋まっちゃうしもったいないしあわわわわ」
そう。搾り取ったぼ……ミルクは、牛乳と称して隣に住む騎士くんにあげていた。もちろん最初からそうだったわけではない。
「はわわわ元々ここらへんに住む野良猫さんにあげてたのに大家さんがエサやり禁止とか言い出すからでも捨てるのもったいないしあたふたしてたら騎士くんに声をかけられてあわわわ……」
***
とある日の早朝、『エサやり禁止!』の立て札と、割られた陶磁器の器を前に、南川瑠奈はどうしようか迷っていた。
捨てるのはもったいないからと、搾り取ったミルクをこの辺に住む野良猫にあげていたわけだが、この具合ではもう無理だろう。
どうしようかな……と途方に暮れていたその時。
「あれ?南川さん、ですよね?そこで何してるんですか?」
びくうっっ!として振り返ると、二十代くらいの若い男の人がいた。ええと……確かお隣の騎士くんだ……。ゴミ捨ての帰りかな?
「ひゃあっ?!え、ち、ちがいますなにもしてませんよ……よ!」
「いやそんなに挙動不審にならなくても……あれ、牛乳瓶?珍しいですね」
「あ、あの、これは、その…………〜〜!……あの!これ!うちで!余ったんですけど!いりますか?」
「え……?いいんですか?こんなに?」
「いいいいですよよよよよ」
気がついたら南川さんはミルクを騎士くんにおすそ分けしていた……。
***
そして今日に至るまで、ずるずるとミルクをおすそ分けする奇妙な隣人関係は続いている。
「ああああ……いつ、いつ本当のこといおう……でもヘンタイって思われたらイヤだしイヤだもんイヤだもん……うううう……!」
結局、翌日も南川さんは騎士くんに牛乳瓶を渡したのでした。
「あのあのっ!牛乳一本余ったんですけど……よかったら……いりませんか……?」