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第二章 「侵入」 1

 ペロペロピローン。ペロペロピローン。

 相変わらずの卑猥な入店音が店内に鳴り響く。

「あらー。傘持って行かなかったの?」

 コンビニへと戻って来た俺の姿を見て、百合さんが驚く。

 水のしたたるいい男。と言うわけではないが、全身ずぶ濡れの俺は、コンビニの床に雫を垂らしている。あれから雨は本降りになって、ごらんの有様だとばかりに、服を絞って見せる。

「うん。天気予報見てなくて……。今朝は雨が降るなんて思えないくらい天気良かったからさ」

「なるほど、どおりで」

 指先に髪の毛先を巻きつけている上機嫌の百合さん。

「どおりでって?」

「うん。同じような人が多いのか、おかげ様で今日はビニール傘が良く売れるわ~」

 百合さんは、ニパッっと愛らしい笑顔を浮かべる。

「おかげ様って、こっちは、おかげでパンツの中までびしょ濡れだよ」

 ベルトに手をかけて、ズボンを脱ぐふりをしてみせると、百合さんがズボンの中身を覗き込んで笑った。

「ふふふ。武蔵ちゃん、むな志さんに似てきたわね」

「ばばばば、馬鹿言わないでよ。あんなオカマとどこが?」

 無意識にセクハラまがいの行為をしている自分を自覚し、ありえないほど体温が上昇して火照ってきた。こりゃ、パンツも自然と乾きそうだ。

 ペロペロピローン。ペロペロピローン。

 やや遅れてナナコが入店してくる。それを見て百合さんがちょっと怒った顔になる。

「武蔵ちゃん。保護者はきちんと、子供の面倒見なきゃ駄目でしょ?」

「別に俺はこいつの保護者じゃ……」

 言い訳をしようとした俺、「てい」と百合さんは軽くチョップを食らわせると、

「あなたがナナコちゃんね」

 天使の微笑みを向けてナナコに手を差し伸べる。

「…………」

 だが、当の本人は俺の背後に隠れていた。

「あら、嫌われちゃったかしら?」

 彷徨い空をニギニギする手。

「いえ、こいつは多分誰にでもこうですよ。だから、気にしないでください」

 百合さんは再び微笑むと、自らのエプロンを脱いでナナコの髪の毛を拭きだす。だがすぐに、

「これじゃあ駄目ね。武蔵ちゃん、お風呂。お風呂沸かしてきて」

 と振り向いた。



 で、どうしてこうなった。

「ちゃんと肩まで浸かって、百まで数えてあがるのよ~」

 すりガラスの向こうからの声に、バスタブの中で「うぃ~す」と返事をして、「はーち」、「きゅー」と続ける。

「…………」

 無言で差し向かいに座っている少女。

 俺とナナコは二人で入浴中だ。

 正確に言えば、百合さんによって、無理やり浴場へとぶち込まれた。

「何で俺まで一緒に入る必要があるんですか」と最後まで俺は抵抗したが、百合さんは俺とナナコの服を引っぺがしながら、「家族なんだから、浴場で欲情なんてしないでしょ」と訳の分からない言葉で(主に腕力で)、納得させられた。

 いや、仮に家族って言っても、この子の年齢くらいになるともう家族と一緒にお風呂になんて入んないだろ。

 視線をせわしなく動かす、妙に落ちるかない俺。しかし、ナナコの方は言われるがまま、恥ずかしがることもなく俺の前に鎮座している。

 何だか変に意識している俺の方が変な奴みたいだ。

 とはいえ、やはり俺自身も裸を見られるのは恥ずかしい。なので、湯船に鼻先まで付けて火照った顔を隠す。

 ブクブクブクブク――。

 ため息が、泡となって消えゆく。

 俺は一体何をやっているんだ。つい二三日前までは、男臭い平和な日々だったような気がするのだが……。

 俺は過去の日々を思い出すように、目線を水平線の先へと伸ばしてみる。と、狭いバスタブでは、その願いは叶わず、当然のように白い肌にぶつかる。これは、ナナコの首筋か……。

 それにしても、ほっそい首だな。

 この年頃の少女をまじまじと見る機会なんてないので、探偵としての痴的探究心――もとい、知的探究心に駆られそうになるが、俺は首を横に振ってそれを振り払った。

 ちなみに、本日の入浴剤は、乳白色に白濁した登別カルルスなので、その下までは見えない。

 お互い助かった。

 俺は体育座りの膝の角度を鋭利にして、ナナコと接触しないように注意する。

 さっきは、知的探究心に屈しそうになったが、改めて考えるとやはりこいつは他人でしかないので、『この人チカンでーす!』なんて言われたらシャレにもならない。俺の目の前には生まれたままの少女がいるのだから……。いや、これはもうこれはチカンどころの騒ぎじゃない。

 ま、こいつに関しては、その心配はないか。なんて安心していたら、

「何、見てる」

 不意のパンチに面喰う。

「なっ、何も見てないよ」

 別にやましい気持ちは何もなかったが、そっぽを向いて身の潔白を訴える。

「誰がガキの体なんて見るかよ」

「私はガキじゃない」

 まだランドセルが似合うような顔をした少女の横っつらを俺は苦笑いで見つめた。どう甘く見積もったって、この子のナリはようやく中学校に入学したといった感じだ。

「いや、どう見てもガキだから、子供だから。つーか、お前いくつなんだよ」

 やれやれと肩をすくめてみせる。

「十六よ」

「おいおい。そりゃ、無理があるだろ」

 呆れ顔で頭をかく。

 見るからに貧相な体つき。百五十センチもなさそうな身長。さっきチラッと、あくまでも偶然見えてしまったのだが、胸なんて膨らみがないどころか、真っ平らじゃないか。

「嘘じゃない」

 じっと俺の目を見て訴える。

 ナナコは熱が入ってしまったのか、湯船から肩が露出し、胸元がボーダーラインすれすれになっている。

「わっ、分かったから。ほら、肩まで浸かれって。湯冷めでもされて、お前に風邪なんて引かれたら、俺が怒られるんだからな」

 コクン――。

 ナナコはわずかにうなずき体を沈める。

 素直なんだか、どうなんだか。やはり、下の毛も生え揃ってないようなガキの考えることは分からない。

 これだから、俺はガキが嫌いなんだよ……。

「あひゃっ」

 ちょろりと、俺の足の裏を何かがくすぐる。唐突な触覚に変な声が漏れる。

 俺は足に触っているものを掴んで湯船から取り出す。

「何だこれ?」

 黒く、絹のように細く艶やかな糸の束が顔を出す。

「?」

 取り合えず、手にしたものを引っ張ってみる。腕をめいっぱい伸ばしてもまだその端にたどり着かない。『とったどー』と心の中で叫ぶくらい長さがある。

 と言うか、これナナコの髪の毛じゃないか。

 見ると、さっきまでは、背中にうまくまとまっていたはずの髪の毛が、意思を持ったようにもわもわと少女の体を覆うように絡みついている。どこから出てきたんだよこいつら。増えるワカメかよ。

「あのさぁ……」

「…………」

 ナナコは俺の言葉を待っているのか、静かに瞬きをして長いまつ毛を重ね合わせる。

「いや、何でもないよ……」

 何と言うか、俺にも経験があるが、子供の頃って、自分を少しでも大人に見せたいお年頃なのかもな。そう自分を納得させる。

 何はともあれこんな茶番は、とっとと終らせようと、百までのカウントアップを再開しようとする。が、

「あ~。いつまで数えたか分からなくなったじゃないか!」

 混乱して頭を掻きむしる。

「六十」

「何?」

「六十一……」

「…………」

「六十二……」

 まるで表情を崩さず一定のテンポで数値を数え上げていくナナコ。

 そういうことね……。

「ろくじゅ~さん……。ろくじゅう~よん」

 ナナコから引き継いだ数を、俺は声を張り上げて叫んだ。



 百まで数え終え、俺は先に風呂からあがった。

「ナナコちゃんは?」

 百合さんは洗濯物を畳みながら振り返る。

「まだ、入浴中。でさ、百合さん。良かったら、あいつの髪、洗ってあげてよ。俺じゃちょっとどうすればいいか、分からなくて」

「何? 髪くらい普通に洗えばいいじゃない」

「それはそうなんだけど、やっぱりほら、色々あるじゃん」

 肩をすくめて見せると、百合さんは、「仕方ないわね」と腰を上げた。

「そうそう。ナナコちゃんの着替えは? 見当たらないんだけど」

「あ~、それは――」

 何と答えていいのか言い淀んでいると。

 バタン!

 唐突に開かれる扉。

「もぉ~。パンツの中まで、ずぶ濡れよぉ~」

 甲高い声の野郎が、部屋へと入ってくる。

「ったく、そんな格好で入ってくるなよな」

 おつゆを滴らせながら仁王立ちしているオヤジに毒づく。

 濡れたシャツが体に張り付いて、乳首が透けてるじゃないか。

「はい、これ」と百合さんが畳みかけていたバスタオルをオヤジへと放り投げる。

「あら、お二人ともお揃いでどうしたの?」

「どうもしないけど、でも、オヤジ、丁度いい所に帰ってきたよ」

「何? タイミングばっちし? さすがは、水も滴るいいオカマってね」

 そんなオカマが、どこにいる? 無残にも化粧が剥がれたおっさんが、キメ顔でポーズをとっている。

「それ、あいつの?」

 オヤジが手に持つ、濡れたビニールの買い物袋を指差す。

「そう。これナナコちゃんの服よん」

 オヤジは仰々しくうなずくと、買い物袋を天へと掲げた。



                    *



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