空を夢見た男のお話
ちょっとビールの話が出てきます。
※未成年者の飲酒は法律で禁止されています。
人間は空を飛べない。それはたとえ誰に、たとえ私に言われてもわかっていることだろう。
何故人間は飛べない?
飛ぶ必要がないからだ。
飛ばなくても、人間は食事もできるし水も飲める。
飛ばなくても、人間は身の危険から自分を守れる。
飛ばなくても、人間は種の保存ができる。
要するに、人間は飛ばなくても生きていけるのだ。
では何故人間は飛びたいと願うのか。
それはほとんどの人間が空を飛べば自由だと思っているからだ。
だがその考えは空を飛ぶ者への冒涜だと私は思う。
さっきも言ったように、彼らは生きるために空を飛ぶのだ。つまり自分達が生き残るために選んだ道が空だった。
たとえ空へ飛んだとしても、空は彼らを自由に飛ばせるほど優しくはない。
大雨、雷、雪、様々な天災が空を飛ぶ者を襲う。
そんな、自由など考える暇などない、危険な場所なのだ。
ある日、二人の人間が空を飛ぶための装置を作った。
その装置は世界中に広まり、もうすぐ新しい移動の手段になりつつある。
しかし、私は別にそのことを否定したい訳ではない。
私はとうとう人間が空を飛ぶ時代が来たのだなと、少し感慨深くなってしまった。
前にも言ったように、生物とは飛ぶ必要がない限り絶対に飛べない。つまり、人間は空を飛ばなければならない時が来てしまったのだ。
何も生物の進化とは自分を成長させるものとは限らない。
人間は自分の近くにあった鉄や鉛を用いて、空を飛べるよう進化した。
それが彼らにとっての、進化の仕方なのだ。
なら我々だって空を飛べるはずだ。
鳥や虫は羽を使って飛び、人間は鉄を使って飛んだ。
なら我々も使ってみよう。自分達の身の周りにある、魔法を使って。
『魔法使いは空を飛べるか』
『著者、ランドール・オールマイン』
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パタン、と彼は読んでいた本を閉じる。
その本は真っ黒で、タイトルは書いていない。魔法使いの本はずいぶん使い古されているようで、シミや折り目が一つもない。丁寧に扱われているのがわかる。
「何を読んでいたの?」
「はい、我々は空を飛べるかという本を読んでいました」
ここで言う我々とは魔法使いのことだ。人間の前で魔法使いと言うのは彼らにとって不都合があるため、彼らは魔法使いを我々と呼ぶことにしている。
そして彼の隣の席に座り、彼に質問をした女の子は、先日彼の監視を任せられ、今は彼と同行している魔法使いである
「……箒に乗るの?」
「……少なくとも、私は箒に乗って空を飛びたくはないですね」
箒に乗って飛ぶ、というのはもしかするとできるかもしれないが、それが出来たとしても、彼は箒には乗りたくないらしい。その理由は、簡単に言うなら、鉄棒の上をまたぐようなものだ。
そして何故彼がその本を読んでいたかかというと、彼らは今飛行機に乗っているから、そのことに関する本を読もうと思ったのだろう。
彼らは飛行機に乗りロシアのモスクワへ行こうとしている。何故ロシアなのかというと、彼曰く、涼しいからだそうだ。
「私としては、魔法のじゅうたんがいいですね」
「じゅうたん……プッ」
彼女の反応に、彼は少しイラッときてしまった。そして少女は顎に手を当てて何か考えている
「人間が空を飛ぶ……ランドール?」
「ほぉ、その名前が出るとは、流石私の同行を任せられただけはある」
彼は少女の口からその名前が出てきたことに驚く。それほど彼の名前がマイナーなのだろう。
「書庫でそういう本をたくさん読んだけど、あれほど空に夢中になっていたのは彼しかいない」
「なるほど、本当にキミはなかなか見所のある子だ。たしかに、彼ほど空というものに夢を見た男はいなかったよ」
「……知ってるような言い方」
「知り合いですから」
「……いくつなの?」
「フフ、魔法使いに秘密はつきものですよ。しかし、彼についての話ならかまいませんよ」
「……聞く」
「いいでしょう」
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それは今となっては昔の話。飛行機というものが発明される少し前に遡る。
「うーん! これでも駄目かっ!」
スペインのとある町に一人の魔法使いがいた。名前は『ランドール・オールマイン』。彼が住んでいる家は外から見ても中から見てもとてもボロボロで、蜘蛛の巣がいくつもはってある。そんな家の中で、彼はある研究をしていた。
空を飛ぶ魔法
この時代、空を飛ぶというのは人間でも魔法使いであっても夢物語と思われていた。しかし、彼はただひとえに、空を飛びたいがためにその魔法を完成させるのに人生を捧げている。
魔法の研究は彼がやっているように、主に魔方陣を用いて研究されている。
詠唱を使えばもっと簡単だと思うが、詠唱は自分の中のイメージに影響されやすい。
だが逆に、イメージさえあれば魔法の発動はいたって簡単な場合もあるが、イメージといっも、そのイメージがあやふやな場合があり、それは魔法を使う時にとても危険なのだ。
例えば、魔法で波紋を広げてみるとしよう。波紋といえば石を池に投げた時に広がる小さな波紋のようなイメージがあるだろう。しかし、その小さなという規模のイメージを怠ってしまうと、最悪の場合小さな波紋のはずが大きい津波にななってしまうことがある。もちろん波紋だけでそんなことが起きることはないが、それと似たようなことがあるのだ。だから新しい魔法を作る時に詠唱を使ってはいけないのだ。もし詠唱で空を飛ぼうとしても、空を飛べない者が空を飛ぶイメージなどできるはずがないのだ。
話を戻すが、彼はこの家でずっと、食事や睡眠も惜しいくらいにそれに没頭していた。
そして彼、ランドールはくしゃくしゃと紙を丸めてそれを放り投げた。また失敗したのだろう。
「大切な紙を投げるとは、あまりほめられたことではないですね」
「んあ?」
ランドールはその声のした方向を見た。そこには茶色いローブに身を包んだ背の高い魔法使いがいた。彼の顔はローブに隠れて口辺りしか見えないが、それでも彼の心中を察するには十分だった。
「まあそう怒んなっての。この紙は自分で生成したやつだからよ、別に大切ってわけじゃねえよ」
「その紙を作るための費用はどこから出てると思ってるんですか」
「へっ、向こうから出して来るんだ。それで買った物をどうしようが俺の勝手だ」
「……」
「……」
二人は互いに睨み合い、周りに陽炎のようなものが現れる。そしてランドールに丸められ地面に落ちていた紙がコロコロと動きだし、家にギシギシという音が出始める。
それから数秒後、突然二人は互いに視線を外した。
「ハァ、こんなこと続けてもしかたねぇや」
「こっちの台詞ですよ」
そう言って、彼は近くにあった椅子に腰掛け、深呼吸する。そして数拍おいた後、机の上にドンッと大きなビンを置いた。
「約束通り、持って来ましたよ」
「おお! ……何年モノだ!?」
「――――何年モノですよ」
「そうか……こりゃ飲むのが楽しみだ」
ランドールは彼が持って来たビンを棚に入れ、中から別のビンを取り出した。
「それは?」
「ビールだよ。飲むか?」
「是非」
ビールとは冷蔵庫などでキンキンに冷やした物などが日本では一般的だが、昔はそういった便利な物がなかったため、その時代では常温でも美味しいビールというものが売られていた。
「くぅぅっ! やっぱうめぇわぁ!」
「そうですか、ツマミありません?」
「んだよ、ビールなんか水だよ水! ツマミなんていらねぇ!!」
日本でビールにツマミがついているというのは、主に肝臓の負担を軽くするためである。肝臓の中に、ある分泌物が出てきてそのビールを分解するのだが、日本人は大体がその分泌物が少ないため、ツマミを用意するし、酔いやすい。だがランドールは元々肝臓が強いため、ツマミは必要ないらしい。
水割りというものは日本くらいにしかないと言われているが、日本発祥ではなく既に別の国で作られていたと言われている。
「それで、頼んだ物は出来ましたか?」
「んあ? ああできたぜ。ったく俺の仕事を割いてまでやってやったんだからな。俺にこんな趣味があったことに感謝しやがれ」
「趣味で家計を支えているんですか。新しいですね」
「うっせ」
ランドールは片手にビールジョッキを持ったままビンを入れた棚とはまた別の棚に手を入れ、ガサゴソと紙を取り出しては投げていく。そしてようやく見つけたのか、ランドールはくしゃくしゃの紙の束を取り出した。
「相変わらず、雑ですねぇ。これを使って暴発とかしたらどうするんですか」
「別にいいだろ、俺がこの程度で暴発するようなやつなんか作るわけねぇだろ」
彼はくしゃくしゃの紙を一枚ずつ丁寧に広げ、その紙にゆっくり目を通す。
「……まあ、上々ですね」
「ハッ、何が上々だ。本当はよく出来ていると思ってるくせに」
彼はランドールの言葉に何も言い返さず、立ち上がって家から出ようとする。
「おい、もういいのか」
「ええ、目的の物は手に入りましたし」
「……また人を殺すのか」
「あたりまえじゃないですか」
ランドールの問に彼はすぐに返答した。その声色はさっきまでと変わり、暗く深い声になっていた。
「……おまえもよ、俺みたく何かに夢中になるもんとか見つけろよ。そしたら、おまえの見る世界もまた違って見えてくるはずだぜ」
「気が向いたらそうします。しかし、ここが私の見ている世界です。誰にも否定はさせません」
「否定してるわけじゃない。ただな、可哀想だと、思ってよ」
再びビールを口に含み、周りについたヒゲを拭く。彼はランドールの下を見て言った。
「可哀想なのは、あなたの方ではないのですか?」
「……」
「もう自分は歩けない、だから空を飛ぶことを目指しているのではないですか?」
彼の言葉に、ランドールは何も言い返さない。何故なら彼の言っていることが本当だからだ。そう、ランドールの両足は動かないのだ。
そしてランドールは徐々に肩を震わせ、大きく笑い出した。
「ハッハッハッハッハッ! どうだろうな、何分この研究を始めたのが小さい頃だったからな、理由とか忘れちまった!」
「……もういいです。私は帰りますよ」
彼はビールジョッキを机に置いて、ランドールの家から出ていった。
ランドールはそれを見届け、再び机の上の紙を見て呟く。
「……本当に、なんでだったろうなぁ」
そう言った後、ランドールは羽ペンを掴んで自分の研究を再開した。
「ハァ、ハァッ」
それから数ヶ月後、彼は柄にもなく街道を全力疾走していた。彼は右手に持っていたボロボロの紙を広げ、その内容を確かめていた。
『ランドール・オールマインを抹消せよ』
彼はその紙を懐に入れ、ランドールのいる町へ向かった。
とある町の真ん中で、数人の人間が誰かを取り囲んでいた。
「グァ!」
「くそっ、アイツは歩けないはずなのに、何故我々は近づくことすらできないのだ!」
黒いローブを纏った者が吹き飛んだ。その者の他にも同じ格好をしているのが数人いて、その中心に椅子に座った男がいる。
「簡単な話、越えてきた修羅場が違う」
その中心にいる、車椅子に座っている男、ランドール・オールマインはそう言って、詠唱を始める。彼らはランドールが詠唱をしている間に魔法を唱える。が、彼らより早くランドールが詠唱を終了し、再び彼らを吹き飛ばした。
「何故だ! あの規模の詠唱なら絶対に我々の方が早かったはず……」
「へっ、そんなこともわかんねぇのか。自分から先に詠唱して、相手も詠唱を始めたら途中で無詠唱に切り換える。簡単なフェイントだ」
「く、くそぉ」
ドサッ、と黒いローブを着た男が気絶する。ランドールの周りに、もう立っている者は一人もいなかった。
「精進しろや」
そう言った後、彼はどうにかしてここから移動しようとする。しかしずっと机の上で研究をしていた彼にとって、車椅子を動かすのはとても困難だった。しかし当時は自分で動かすといった構造はしていなかったので、動かせないのは普通なのだが。
「これはまた、洒落た物に乗っていますね」
どこからか男性の声がした。その方を見ると、ランドールがよく知っている人物がいた。ランドールは少し冷や汗をかいて彼に返事する。
「よぉ、こんなに早くまた俺のとこに来るなんてよ。俺の顔が見たくなっちまったのか?」
「違いますよ。ちょっと聞きたいことがありましてね。実はついさっきあなたを殺せという知らせが来まして、いったい何をしたんですか?」
「さぁ、なんだろぉな?」
ランドールは彼の質問に答えない。彼は少し黙っていたが、またランドールに質問する。
「その車椅子、どうしたんですか?」
「ハハッ、いいだろう? これは俺の足が言うことを聞かねぇから使ってみたんだがよ、いやかなり心地がいい――」
ランドールは途中で言葉を止める。ランドールの頬には小さな切り傷が出来ていた。ランドールは傷のあたりをさすると、彼を見た。
「容赦はしないってか」
「ええ、せめて同じくビールを飲んだ仲として、私は殺しましょう」
ランドールは詠唱を開始し、それを途中で無詠唱に切り換え彼に攻撃する。それによって彼の体が後方に飛ぶ。だが
「か、はっ」
ランドールの胸に、大きな傷ができていた。
「これは、ちょっとだめっぽい」
「これで終わりです」
彼はまた魔法を唱えようとする。しかしそれをランドールが手で制した。
「いや、もう俺は死ぬ。だから、ちょっと、俺の話、聞いてくれや」
「……わかりました」
「ハハッ、あんがとよ。この前、おまえ、なんで俺が空を飛ぶ魔法を作りたいのか聞いてきたよな?」
「ええ」
「それの、答えなんだがよ。かはっ、実は俺は、昔、足が動いていた頃から、これを夢見てた。それはよぉ、俺は、空に飛んだら、きっとこんなちまい家よりも、たくさんのものが見られると思ったからさ。空を飛んで、上からいろんなもんを見ながらさ、鳥みたいに海を渡ってみたいと思った。だが、この研究ももうおしまいだな。だから、おまえに最後の願いを聞いてくれ。俺の家に論文を書いた。おまえがそれを持っててほしい」
「わかりました」
ランドールは独り言のように呟く。そして両手を空に向け、掴むように手を握る。しかしその早さはとてもゆっくりで、震えている。
「……俺は、おまえより先にあっちに行く。おまえが来るのを、せいぜい待ってるさ」
「なら、あなたが待つのを止めるくらい、長く生きましょうかね」
「は、はっ、やってみろ」
ランドールの目の光がだんだん薄れていく。呼吸も早くなってきた。
「な、んだ。ふわふわする。は、はっ、そら、を、とぶのって、意外、と、かんたん、じゃん――」
そう言って、ランドールはゆっくりと目を閉じた。
「……そこのお嬢さん」
彼は家の裏の方を見て言った。するとそこから女性が出てきた。
「あなたが彼を車椅子に乗せて外に連れ出したのですか?」
「……はい」
「なるほど、合点がいった。だから彼を殺せと」
「あの、この人を、どうするんですか」
「ん? 出来れば土に埋めたいですが、あなたがしますか?」
「はい」
女性は車椅子に乗ったランドールを運んでどこかへいった。
「まさか彼にあんな人がいたとはね。さて、私は後処理をしますか」
彼は女性を見送った後、後ろにいるまだ気絶している黒いローブを着た人達と、さっきからずっと家の中でこちらを見ていた人間達を見て、言った。
+++++++++++++++++++++++++
「ということです」
「……」
「どうしました?」
「あなたは、残忍な男だと、あいつに聞いた」
「確かに、私は残忍な男でしたよ。しかし理由もなく殺すわけではないですからね。殺人鬼であっても、快楽殺人者ではないですから、私は」
「ランドールとは、友達だったの?」
「さぁ、どうでしょうね。私達は、そういうのとはほとんど無縁ですから。あと、彼の名前が知られていないのは、あの事件があったからではなく、あの魔法は彼が作ったわけではないですからね」
「空を飛ぶ魔法ではないけれど、それに近い魔法が他の魔法使いに完成させられた」
「そうですよ、彼には運がなかった」
「どういうこと?」
「エジソンが言いました。『発明とは九九%の努力と、一%の才能でできる』とね。しかしそれでは足りないのですよ。彼は百%の才能と努力がありました。しかし、その、ほんのちょっとの運がなかったのですよ。彼のいた町では設備が足りなかったことと、彼が女性に恋をしてしまったこと。だから魔法は完成しなかった。たらればですけどね」
「……わかった。ありがと」
少女は彼に礼を言って、アイマスクをつけて眠りについた。彼は持っていた本をしまい、少女と同じく眠った。
暗い闇の中を飛行機が飛ぶ。モスクワは近い。
※未成年者の飲酒は法律で禁止されています。