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楽園物語  作者: 如月瑠宮
第一章 初恋
6/30

前夜

 婚礼は翌日に迫っている。屋敷はいつになく忙しい。

 喧騒を聞きながら、アイアコスはウルカーヌスと酒を飲み交わしていた。杯に満たされるのは、ただ強いだけの物。上質では無いそれをアイアコスは水の様に飲む。

 ウルカーヌスは彼の飲み方に不安になった。何時もの彼ならば、こんな悪酔いする様な飲み方はしない。少なくとも、ウルカーヌスは初めて見る。

 アイアコスはここ数日、平静を装った。装いは完璧に近い物である。彼は何時も通りを演じ続けたのだ。

 でも、人には限界がある。アイアコスはもうギリギリの所で保っている。

 美味くも無い酒は彼の気持ちを晴らすには丁度良かった。味わう必要は無く、ただ酔う為にあるような酒。

「ウルカーヌス。悪いな、こんな酒に付き合わせて」

 アイアコスは目の前で少しずつ飲み下していくウルカーヌスに謝罪する。この強い酒を彼に付き合って飲めるのは数少なく、ウルカーヌスはその中の一人。

「いいえ」

「・・・お前はヘスペリエの結婚をどう思う?」

 真剣な眼差しが問い掛ける。ウルカーヌスはそれを受け止めた。

「申し訳ありませんが・・・政略的な物としか思えません。晴れやかさの無い婚礼だと思います」

 ウルカーヌスは素直に思う事を言う。彼は、この結婚に幸せは無いと確信している。もっとも、アトラスの屋敷に居る者ならば、誰だって思う事だ。それだけ、この結婚は政略的であり、差別的である。

「そうか・・・」

 アイアコスは寂しげに笑った。

「そうだよな。晴れやかな婚礼なら、この屋敷はもっと明るい」

 暗く沈んだ屋敷を嘲笑う様に。

 ウルカーヌスはアイアコスの初めて見る表情に戸惑う。彼はどれだけ、耐えたのだろう。妹に対する理不尽を。

 そして、最大の理不尽が今なのだ。ヘスペリエを大切にする彼が苦しまない筈が無い。

 だが、アイアコスは自制する。彼の立場は将軍(アトラス)の後継者。奴隷(ヘスペリエ)を特別扱いしては問題が起こるだろう。

「アイアコス様」

 ウルカーヌスは理解した。彼が苦しみ、怒り、耐えるのを。

「・・・暗くなってしまったな。話を変えようか」

 アイアコスは苦笑を浮かべ、再び真剣な顔になる。その眼はウルカーヌスを真っ直ぐ射抜く。そして、紡がれたのは・・・彼が噎せるには充分な内容だった。

「お前、アイグレーをどう思っている?」

 ウルカーヌスはそれを聞いた瞬間、盛大に噎せた。聞いたアイアコスが驚く程だった。

「・・・すまん」

「いいえ」

 噎せた為か、彼の返事は掠れていた。だが、答えを拒否する事は許されなかった。

「そうですね・・・・・・」

 守りたいと思う。この手で。

「活発で明るくて、少年の様にされる方で・・・」

 抱き締めたいと思う。この腕で。

「でも、健気で優しい方だと思います」

 ウルカーヌスは愛しい者を前にした様に微笑む。そんな顔を見たら、気付くだろう。

「こんな風に思う方は初めてで・・・」

「初恋か?」

「・・・ええ、そうです」

 アイアコスは彼のアイグレーへの感情を予感していた。だからこそ、訊ねてみたのである。此処まで、聞けるとは思わなかったが。

 彼は彼の微笑みに喜びを感じた。一人の妹はこれから望まぬ結婚を強いられる。もう一人の妹はきっと、幸せな結婚が出来るだろう。ウルカーヌスが実力のままに戦功を挙げたならば、二人の結婚は許される。

「ウルカーヌスにばかり話させてはいけないな」

 アイアコスは笑みを浮かべながら言った。

「俺の初恋は許されないものだ。今もそれを引き摺っている」

 和やかに笑いながら言う内容に、ウルカーヌスは驚いた。彼はかなりの美形だ。望まなくても、女性が寄ってくる。そして、望む女性は手に入るだろう。それだけの名声が彼には備わっている。

「内緒だぞ」

 無邪気に見える笑顔はその女性を想うからだろうか。


 二人はこれから強襲する。小さく笑い合い、驚く顔を想像した。楽しげな二人は、アイグレーとヘスペリエだ。彼女達は擦れ違う奴隷に口に指を当てて静かにする様お願いした。悪戯を企む子供に、年配の者は微笑んだ。

 そして、二人はある一室の前に着く。こっそりと近付くと、物音がした。彼女は部屋に居る様だ。二人は笑う。

 部屋の入り口には布が掛けられ、目隠しの役割を果たしている。その為、中の様子は分からないが、大丈夫だろう。

 二人は勢い良く布を跳ね上げた。

「姉様!」

 アイグレーの元気な声が一室に響く。その一室はエリテュイアの部屋。

「アイグレー・・・ヘスペリエまで。何を考えているの?」

 エリテュイアの目が初めにアイグレーを捉え、次にヘスペリエを捉えると驚きは増した。このような悪戯はアイグレーがするものであり、ヘスペリエは後から謝りに来るのだ。いつもなら。

「えへへ・・・姉様と居たくて」

「ごめんなさい、お姉様。止める所か、私まで・・・でも、私も・・・」

 二人の妹の気持ちを察したエリテュイアは二人を迎え入れる。

「しょうがない妹達ね・・・一緒に寝ましょう」

 ヒマティオンを更に二枚用意する。ヒマティオンは外套だが、眠る時にも使用する。

 姉妹は並んで眠りに就く事にした。

 最初で最後の事。三姉妹は初めて三人で眠る。互いの温もりを感じ、それを覚えていられる様に。そう願いながら、三人は眠りに落ちた。

 その頃、アトラスはヘスペリエの部屋を訪ねていた。最後の夜に話したかったのだ。しかし、末娘の姿は無かった。

 アトラスは仲の良いアイグレーの許に行ったのかと思い、アイグレーの部屋に向かう。だが、そこにも姿は無い。更に言えば、部屋の主の姿も無い。

 アトラスは辺りを見渡した。そこに、ナウシカアが通り掛かる。屋敷の主の姿に彼女は頭を下げた。

「ヘスペリエとアイグレーはどうした?」

「お二人でしたら、エリテュイア様の部屋に向かわれましたが」

 アトラスは目を見開く。そして、寂しげに呟いた。

「そうか」

 納得した響きを持った呟き。二人の娘は母親にも似た優しさを持つ姉の許を最後の夜を共に過ごす場所として選んだ。きっと、父では埋められないだろうものがある。子供達に母は居ない。他ならぬアトラスが奪ったも同然である。ならば、そこにアトラスは入れない。

 ナウシカアはアトラスの背を見送る。その背中は不思議と晴れやかであった。

 屋敷で唯一の晴れやかさがそこにはあった。


 エリシオンとクレウテの間にはガラティア川がある。その川の上流。そこに、ある一団が待ち伏せていた。

 ティフォン族である。彼らは情報を得ていた。此処をクレウテのアイサースが花嫁を連れて通ると。花嫁はアトラスの娘だ。クレウテとエリシオンに打撃を与えられる機会を彼らは待つ。

「ティフォン族・・・」

 その彼らを見る目があった。その眼は楽しげに笑う。

「アトラス最愛の娘か・・・こちらが貰い受ける」

 楽しげな声はまだ少年と言って良い。彼がこれから名を馳せる事になるのは、まだ誰も知らないのだった。

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