序章
生まれた事が悪いのか。彼は苦悩した。
そして、何時しか何も感じなくなった。苦しみも、悲しみも、痛みも。ただ・・・一つだけ、分かるのはこれがただの逃げだと言う事だった。
逃げても逃げても、必ず終わりはあるのに。彼は理解していた。
それでも、逃げていたかった。
「・・・・・・」
溜息が零れる。すると、小さな嘶きが聞こえた。嘶きの方を見れば、そこには彼の愛馬が居た。美しい月毛の馬である。
そして、空にも月が出ていた。
彼女は愕然とした。彼女の理想とは違う現実に。
溢れ掛けた涙を彼女は振り払う。泣いている場合では無いのだと、知っているからだ。
華奢な肩を汚れたヒマティオンで覆う。元々は綺麗な桃色だった外套だが、今はその面影は無い。
「行きましょう」
彼女が口を開く。傍らの男性は言葉無く頷いた。
彼等は去る。生まれ育った地を捨てなければならなくなったから。そして、向かうのだ。楽園と呼ばれる地を目指して。
「エリシオン・・・私達を受け入れてくれるかしら」
彼女の囁きは強い風が吹いた事によって誰の耳にも届かなかった。
尤も、答えなど必要無かったのだ。今の彼女はただ進むだけだからである。
故郷に背を向けて。
「ふぅん・・・」
マウォルスはそれを聞き、眉を寄せた。状況は良くないだろうが、これは好機でもあるのだ。彼はそれを逃す訳にはいかない。
目的の為には、この好機を物にしなくては。マウォルスは帰還するであろうウルカーヌスを待ち侘びた。
「次は俺の手駒になってね」
残酷にも聞こえる言葉を放つ。しかし、その表情は穏やかであった。
彼にとって、信頼出来る存在のウルカーヌスが戻るのは嬉しい事である。そして、彼の望みの為にはウルカーヌスの力が必要なのだ。
それに、好機を物にする自信はある。マウォルスは確信していた。
彼の望みは叶うのだと、自分には叶える力があるのだと。
そして、この好機は望みの為に必ず手にするのだと決めたのだ。
行先は何処にあるのか。
それを彼女は知らない。知る術も無かった。
でも、歩みを止める訳にはいかなかった。彼女の歩みは止まらないのだ。それが彼女の望みの為の苦ならば、彼女はそれを惜しむ事は無い。
たった一つの望みの為、彼女は進む。彼を伴って。
彼は望みの為には必要な存在だった。絶対に失ってはならない人間なのだ。
灼熱の夏が始まった。
序章 終




