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楽園物語  作者: 如月瑠宮
第一章 初恋
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出会い

 アイアコスはある場所に向かっていた。楽しみを抱えながら。

 彼は、アトラス唯一の息子だ。四人の子供の中、彼だけがアトラスを継げる。そんな彼の手はある物を握っていた。これからの楽しみに使うのだ。

 彼の足取りは軽く、目的の大広間まで直ぐについてしまった。中を窺えば、新顔がアトラスに跪いていた。

 アイアコスは笑みを深める。楽しみで仕方が無いのだ。最近、彼は自身以上の手練れと出会わない。それが、少々不満だった。

 久々に新たな傭兵をアトラスが雇うと聞き、彼は期待しているのだ。

 そして、その期待は正しかった。


 男はアトラスの前に跪く。アトラスは一段高い場所から新たな傭兵を見下ろした。男の名はウルカーヌスと云う。赤茶の髪に紺の瞳。精悍な顔立ちにアトラスは好感を持った。

「良い目をしておる。精進してくれ」

「はい・・・アトラス様」

 意志の強い眼をしているウルカーヌスを見る者は皆、彼に良い印象を抱いただろう。大広間に集まる者達は美しい青年に見惚れた。

「父上」

 皆が見惚れている中、大広間に新たな人物が入ってくる。その人物は、金髪に空色の瞳で、アトラスを父と呼ぶ。空色の瞳がアトラスと同じ彼こそがアトラスの第二子、息子のアイアコス。

「・・・何だ、その出で立ちは」

 父が目を見開くのをアイアコスは楽しげに見つめる。腰の辺りまで捲り上げたトゥニカに膝下までのブラカエを身に纏い、その手には剣が握られていた。そして、傍らの従者の手にも剣が。

「新しい傭兵が気になったので」

 少々、物騒な息子にアトラスは溜息を吐く。たっぷりとした布で作られたトガを軽く持ち上げ、僅かな段差を降りる。ウルカーヌスの前に立つと、苦笑いを浮かべた。

「すまぬが、アイアコスと手合わせを所望する」

「それは・・・構いませんが・・・」

 ウルカーヌスの目には困惑がある。雇い主のアトラスの息子に対して、どれ程の力を出せばいいのか、判断出来なかったのだろう。もしもの事があったら、ウルカーヌスに非が無くとも無事ではいられない。しかし、その心配は不要だった。

「得物は剣で良いよな。此処には、これしかないし・・・実力を見たい」

 従者が剣を渡す。ウルカーヌスは決めた。アイアコスの言葉を正確に読み取れたのだ。実力を見たいから、全力で来いと。ウルカーヌスは馴染ませる様に、数度握り直した。

「じゃあ・・・行くぞ」

 今までの柔らかな笑みを消し、斬りかかるアイアコスの眼は鍛錬を積んだ剣士の物。

 剣の打ち合う音が大広間に響く。音だけでも、相当な手練れ同士の打ち合いだと判る。

 アトラスは感心した。アイアコスは将軍の息子ながらにエリシオン一の手腕を持つ。それと互角に打ち合うウルカーヌスに対して。

 アイアコスは久しぶりの感覚に目を見張る。自分とまともに打ち合える者は本当に久々だった。今では、滅多に掻かぬ冷や汗が滲む。

 冷や汗を掻いたのはアイアコスだけではない。ウルカーヌスも重い一振り一振りに焦っていた。

「ほぉ・・・これは中々見応えのある」

 アトラスは従者に葡萄酒を持ってくるように言う。そして、既に一人の娘が座っている寝椅子に腰掛ける。

「お父様、見世物ではありません」

 艶やかな赤毛を結い上げ、生成色のキトンを着た娘はアトラスの長女、エリテュイア。母の違う弟であるアイアコスの手合わせで酒を飲もうとする父を窘める。新緑の瞳が咎める様にアトラスを見つめた。

「心配はいらぬ。少し飲むだけだ。長くなるであろう」

「・・・少しだけですわよ」

 従者が持ってきた杯をエリテュイアが受け取る。中身を確かめてからアトラスに渡す。華やかな外見とは違い、愛情深い娘にアトラスは笑む。アイアコス寄りの従者の嫌悪に満ちた目に気付きながら。

 アイアコスの母が隣国クレウテの名将の娘であったのに対し、エリテュイアの母は富を持つが移動民族の長の娘であった。異民族であるエリテュイアの母はある日、男を作って駆け落ちまでしてしまった。その後は、行方も生死も分からない。

 そんな母を持ってしまったエリテュイアが陰でふしだらな女の娘、娘の方もどうだかと言われているのをアトラスは知っている。

 アトラスだけではない。多くの従者や奴隷、アイアコスまでもが知る事だ。

 しかし、エリテュイア自身は派手な見た目に反して、家族思いの優しい女性である。アトラスの娘の中で一番繊細なのは彼女であろう。

 現に今もアイアコスを心配している。面には出さないが。

 長く続いた打ち合いも、そろそろ限界だろう。アトラスの杯には、僅かな葡萄酒も残っていない。

 二人の手から剣が音を立てて落ちる。痺れる手に、荒い息。二人は顔を見合わせ笑う。

 達成感に似た、何かが満ちるのをアイアコスは感じた。充実した満足のいく内容の打ち合いだったと。

 二人が微笑み合い、周りも二人の様子に和やかな空気が流れる。

 すると、豪快な笑い声が木霊した。驚く事にその声は明らかに少女のそれ。ウルカーヌスはただ呆然としているが、他は呆れ顔や困り顔になっている。

「貴方、凄いのね。兄様と互角なんて」

 明るい溌剌とした声だった。ウルカーヌスはその言葉で少女が誰か分かった。

 アイアコスと同じ金の髪は女性にしては短く、肩の辺りで切り揃えられている。好奇心に満ちた瞳は空色。

 少女の名は、アイグレー。アトラスの次女であり、アイアコスの同母妹だ。

 ウルカーヌスはアイグレーの姿に眉を寄せた。トゥニカの上にペプロスを着てはいるが、丈は女性がする長さでは無い。膝の見えている短さははしたないと言われるだろう。そんなペプロスの両肩を留めるのは味気無いポルパイ。身に着けている物だけなら、まるで少年の様。

 眉を寄せながらも、目が離せないウルカーヌスは落ち着かない心地だった。長女のエリテュイアならまだしも、女らしさの全く無いと言える少女に動揺してしまっているのが、何よりも恥ずかしかったのだ。

「貴方、名前は?」

 真っ直ぐな空色が彼を見つめる。アイグレーの興味はウルカーヌスに注がれているのだ。彼女は好奇心のまま、彼に近付く。詰められた距離にウルカーヌスは戸惑う。

「アイグレー、はしたないから止めろ」

「でも、兄様」

 アイアコスが困惑する彼からアイグレーを離す。不機嫌になる妹の反論を目だけで抑えると、アイアコスは姉の元へと連れて行った。

「姉上、アイグレーを頼みます」

 ハッとしてじたばたと幼子みたいに暴れ出すアイグレーを呆れた様に見ながらエリテュイアはゆっくりと立ち上がる。

 隣のアトラスは愉快そうに子供達を見ている。恐らくは、いつもの光景なのだろうと、ウルカーヌスは考えた。

 優雅な仕草で異母妹に近付いたエリテュイアは、丈を短くしているゾーナを解く。不機嫌を通り越して拗ねた妹のペプロスを女性らしい長さ、膝が隠れる様にしてから、もう一度ゾーナを巻き直す。

 アイアコスが頼んだのは、やはりと言うべきなのか妹の格好の事だった。ウルカーヌスは息を吐く。

「短いのが良かったのに」

 幼子が拗ねているのを見ているかの様に感じるアイグレーの落ち込み。

「アイグレー・・・貴女も年頃なのよ。そんな格好をする貴女が悪いの」

 母親の様に妹を諌めると、エリテュイアはウルカーヌスに目を寄越す。アイグレーの無垢な空色とは違い、匂やかな緑の視線。男を落ち着かせなくさせる、それ。見つめられたウルカーヌスは罪悪感を味わう。何故、そんな感情が浮かぶのか・・・ウルカーヌス自身にも分からなかった。

「・・・ウルカーヌスと申します。アイグレー様」

 エリテュイアの視線を払う為に、アイグレーに頭を下げる。ウルカーヌスが様子を窺うと、アイグレーは一瞬不思議そうにしてから笑った。

「ウルカーヌスね。これからよろしく」

 笑顔のアイグレー。そんな彼女に対して鼓動が早くなる。叱責したい気分になったウルカーヌスは頭を上げられない。

 そんな彼を訳が分からないように見つめるのはアイグレーのみ。周囲は楽しげに二人の様子を窺っていた。


 二人の出会いはそんな感じだった。

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