25、「迷宮最深部 黒い、魔法」
すみません、たぶん後から大幅にいじります……。
→2014/06/28 大変申し訳ありません、大幅に修正しました。特に後半が別物になっています。またたいした表現ではありませんが残酷な表現がいくつもありますのでご注意ください。
「――!」
息を呑んで、思わず後ずさる。
今のは、何だ。あれは、シェイラさんなのか?
確認しようにも、俺にはもう一度死体を懐中電灯で照らす勇気は無かった。ほんの数秒照らしただけとはいえ、明らかに、あれは生きていなかった。
通路の中で、尻餅をついたまま、じりじりとさらに後ずさる。あれが、シェイラさんだったとして。この近くには、あのシェイラさんを、あんな姿にした何かが、居る、もしくはある、ってことだ。
「ひ」
思わず、情けない悲鳴が漏れた。
情けない。ああ、情けない。だがしかし、まさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。俺にはその覚悟がまったく足りていなかった。
『マスター、落ち着くがよい』
――いつの間にか、腰のソディアを握り締めていたらしい。脳裏に響く優しい声に、少しだけ我に返る。
「いや、だって、死んで……」
ああなっていたのは、俺の知り合いの誰かだったかもしれないのに。
それが俺自身でなかったこと、そうして付き合いの薄いただの案内人であったことに安堵にも似た感情を覚えている自分に反吐が出た。
『――落ち着けと言っておる!』
やや強い口調でソデイアが言った。ぞわり、と俺の意識に干渉してくる気配があって、俺の中の恐怖や不安といった感情が徐々に薄まっていき、冷静な思考だけが動き出す。
「……今のはソディアが?」
『あまり使用者の精神に干渉するのはよくないのだがな。我は武器のアーティファクトの特性として、戦闘時における恐怖や不安を押さえ、精神を高揚させる力もある。落ち着いたか、マスター?』
「すまん、人の死体なんて見慣れんもので」
『では落ち着いてもう一度見よ。あれは、本当に案内人であったか? 我には違うように見えたが。少なくともアレは昨日今日死んだわけではあるまいよ』
「……え?」
言われて、恐る恐る通路の端まで四つんばいで進む。
『安心するがよい。敵の気配は無い。もっとも近くに案内人の気配もないのだがな……』
それはあんまり安心できない気もするが。
一度大きく深呼吸して、ふと気がついた。
よくドラマや小説など、殺人現場で鉄錆びのようなと形容される臭い、つまり血の臭い。そう言った臭いがまるでしないのだ。であるなら、もしかしたら俺が死体だと思ったものはもしかしたらただの見間違いだったのかもしれない。
流石に兜の無い鎧一式を首のない死体と見間違えたりすることはない。胸のふくらみで女性であることは一目で見て取れたし、見たのが一瞬とはいえ、確かに人間の姿をしていたということは確信できる。とするならば、あれはもしかしたら人形だったのかもしれない。迷宮には魔法生物とかが多いって話だったから、壊れた自動人形みたいのをただ見間違えただけなんだとしたら。
――あるいは。
不意に思いついたくだらない想像に、俺は内心苦笑しながらため息を吐いた。
……そうだよ、もしかしてこれって、またシェイラさんの引っ掛けなんじゃないのか? これまでにも散々罠にはめられてきたし、騙されてきたし、今度もその類でないとどうして言える?
俺達があんまり次々と強敵を倒してゆくものだから、意趣返しにちょっと驚かせてやろう、と、そういうことなのではないだろうか。オバケ屋敷的な感じでさ、きっとシェイラさん、どこかに隠れて俺が悲鳴あげたり、みっともなく後ずさりしたのを見てにやにやほくそ笑んでいるに違いないんだ。
ちょっとだけ楽になった気分で、意を決して先ほど首なしの女性が見えた壁の方を懐中電灯で照らす。
闇の中に、先ほど見たモノが、先ほどと同じように浮かび上がった。
「――っ」
思わず、息を呑んだ。
先ほど見たときは驚きのあまり一瞬で明かりををそらしてしまったからよくわからなかったが。
そこに居たのは。
直立した状態で肩の辺りを壁にクギのようなもので打ち付けられ、首をはねられ、心臓を抉り出された、女性の死体だった。鋭利な刃物ですっぱりと切り落とされたようなその首の断面からは虚ろな空洞が覗き、しかし不思議とその首の周りには血の後が無い。ぽっかりと開いた胸の暗い空洞からは大量に血が流れ出た跡があり、しかしすっかり乾いてしまっているそれはどす黒く彼女の全身を染めていた。
……胸をえぐったあと、首をはねたのだろうか。
これは、人形なんかじゃない。明らかに、殺されている。
あまりに残酷なその様子に、思わずもどしかける。が。
『マスター、良く見よ』
ソディアの声にやや落ち着きを取り戻した。見たくは無かったが、それでももう一度懐中電灯で照らす。
まず服装が違う。首が無いせいで低く見えるのかとも思ったが、体型もシェイラさんほど背が高く無いようで、むしろ子供に近い様だった。血に濡れてどす黒く染まった服も、何か粗末な頭からただすっぽりと被って腰を結んだだけのような簡素なものであり、シェイラさんが着ていたの迷宮の制服とは異なるようだった。
「シェイラ、さんじゃ、ない。けど、やっぱり、人が、死んでる」
『間違いなく死んでおるな。安心せよ、不死者の反応もない。しかし、このような迷宮の未踏の地に死体とは奇妙ではあるな』
……言われてみれば確かに奇妙だ。骨になっているわけでもない、かといって死んだばかりというわけでもない。血は乾いているようだがまだ腐敗している様子もなく、せいぜい死後数日といった感じだろうか。そんなものが、どうして誰も足を踏み入れたことの無い場所に?
確かここ、二千年くらい前の遺跡とかいってなかったか?
……あるいは、シェイラさんが知らなかっただけで、この迷宮の別の誰かが。ここを使っているということなのだろうか。こんな、残酷なことをするために。
『ふむ、一度戻ったほうがよいかもしれぬな? 我もマスターも、こういった事態に役立つ技能も知識ももっておらぬ』
「……いや、でも、シェイラさんは」
『周りを照らしてみるがよい。トビラのようなものがあろう? 案内人はそこから先に行ったのではないか?』
言われて、部屋の中をぐるりと照らす、あまり広くない部屋の中には雑多なものがおかれていて、棚やテーブルなど意外と生活感というものがあった。奥の方に小さな木の扉のようなものがあり、わずかに開いているようだ。
『みたところ、魔術師の研究室といった風情だが、何か仕掛けや魔法がかかっておっても我らにはわからぬ。一度戻るべきだ』
「……いや」
俺は小さく首を横に振った。
「仲間に、こんなものを見せたくはない」
通路の端の、シェイラさんが取り付けたらしいロープを確認する。何かトリモチのようなものでしっかりと貼り付けられたロープは、思いっきり引っ張ってもびくともせず、俺の体重くらい余裕で支えてくれそうだった。
『マスター、無謀と勇気を履き違えるものではないぞ?』
「そんなつもりはないよ。どうやらシェイラさん、ああ見えて仕事は早いっぽい」
部屋の中を照らすと、何かチョークのようなもので丸く印がつけてある場所があった。罠か何か、意味のあるものだろう。それを避ければたぶん平気だ。
『……我は武器に過ぎん。戦闘以外では役に立てぬぞ?』
「自己責任ってね」
俺はロープをつかみ、通路の反対側、スライム部屋の方に向き直り声を上げた。
「部屋の中を少し調べる! 少し時間かかるかもしれないが心配しないでくれ!」
少し待つと「わかったよっ! 気をつけてねっ!」と寧子さんの返事が聞こえた。
向こうは寧子さんがいるから心配ない。俺は、よいしょ、とロープを伝って部屋の中に降り立った。
まず、真っ直ぐに扉の方へ向かう。注意深く床を確認しながら、印を踏まないように進み、扉に手をかける。意外にホコリのようなものは床に溜まっていないようだ。これは、本気で現在も使われている場所だと疑った方がいいのだろうか。
警戒したままゆっくりと扉を開くと、奥はまた緩やかな下り坂となって通路が続いているようだった。
「シェイラさーん! 大丈夫ですかー?!」
通路の奥に向かって声を張り上げてみる。が、しばらく待っても返答はなかった。
「しかたない、部屋の中を調べるか」
俺まで奥に行っても今はどうしようもないだろう。それよりもまず、やらなければならないことがある。
『調べたところで何かわかるものでもあるまい?』
「……せめて、あの亡くなってる人をなんとかしてあげたい」
壁に磔とか、いくらなんでもあんまりだしな。出来ることなら横にしてあげて、布か何かかけてあげたい。
『先ほどまで怯えていたくせに、な』
「それを言うなよ」
念のため懐中電灯はベルトに紐で縛りつけ、ソディアを両手でしっかりと握ったまま先ほど見た死体の場所に歩みを進める。
「……」
近くまで寄ると、あまりの痛々しさに目を背けたくなった。間近で見ると、まだ少女といってもいいほどの小柄な体格だった。立ったまま、肩のところを釘のようなもので打ち付けられ、つま先がわずかに床に触れる程度。昆虫採集で、捕まえた昆虫を虫ピンで箱に固定するような、そんな無造作な行為。これは、人を人とも思っていない行為だ。
俺は黙って目をつぶり、一度手を合わせて黙祷した。
「……ソディア、この釘抜けるか?」
『我を振るうのはマスターだぞ?』
「ん、やってみる」
意識を釘に向ける、と脳裏に光点がいくつか浮かび上がった。
ん、とソディアを振るうと、金属音がして釘が床に落ちた。どこをどう斬ったのか自分でもよくわからない。ふら、とその場に少女の遺体が崩れ落ちた。
そっと抱き上げて、近くのテーブルの上に横たえる。何かかけてやるものをと部屋の中を見回して、本棚のようなものにかけられていたカーテンのようなものを見つけたので、引っぺがしてかけてあげた。
もう一度手を合わせて黙祷する
『その行為に意味はあるのか?』
「ただの、感傷だ」
「こふー?」
……今なんか変なのが聞こえたような。
『マスターっ! 後ろだっ!』
「……っ!」
あわててソディアを構えて背後を振り返ると。
肩に大剣をかついだ、仮面の狂乱戦士が音も無く立っていた。
――こんなときにっ?! こんなところでっ?!
それともまさか、この場所はこいつの?
あの大剣で首を刎ねられそうになったときの恐怖がよみがえった。
「こふー、ってなんだお客さんじゃないですかー」
目の前の狂乱戦士が、ひょいと自身の仮面を外した。
その、気の抜けた声は。
「……シェイラさん?!」
「仮面つけてるときはファナちゃんですよー? はずしたから今はシェイラですけどねー?」
変身してるときに本名で呼ぶのはヤボってもんです、とシェイラさんが小さく笑う。
ってゆーか、やっぱりシェイラさんがあの狂乱戦士だったんかいっ。
「ところでどうしてここに? 向こうの部屋で待っててくださいって言ったじゃないですかー?」
「いや、だって、あんまり戻ってくるの遅いから、心配したんですよ。この部屋入ったら、人も死んでたし……」
さすがにてっきりシェイラさんだと思ったとまでは言わない。
「あー、前お話したの覚えてないですか? この迷宮、黒魔法の研究をしてた魔術師が造ったって話」
ぐるり、とシェイラさんが部屋を見回す。いつの間にか大剣と仮面はどこかに仕舞ったようで、俺の貸した懐中電灯を顔の下から怪談でもするような感じで照らしている。
「世界にいくつも穴をあけたとか言ってましたっけ?」
「そうそう、そこの人はそのためのイケニエってゆーか、そんな感じだったんでしょうねー」
シェイラさんは布を被せた遺体に両手をあわせ、なむなむとつぶやいた。こっちにも仏教的なお祈りの仕方があるらしい。
「首がない、胸をえぐられている、つまり飛頭族でしょう。今ではもう御伽噺の中でしか語られていない存在ですが」
「デュラ?」
「なんでも繁殖の時期になると、首から上が身体から離れて飛び回り、番いの相手を探すっていう種族だそうで。首が離れて生きてるとか、信じられませんよねー」
「……それ、ほんとに生物ですか?」
アンデッドとかなんじゃね? デュラ……デュラハンとか? 首無し騎士ってあれは妖精だったっけか?
「首が離れても生きてるって、その秘密がが頭部、特に脳のあたりと、身体、心臓のあたりにあったらしくってですね、その体内で生成される宝石のような物質が、世界に穴を空けるのに必要だったらしいですよー?」
「……だから、首がなく、胸がえぐられている?」
「そゆことですねー。ちなみに、この迷宮が発見されたとき、同じような死体が、確認されただけで四千五百七十三人分あったらしいですよー。人間一人分に満たない分を合わせるとおそらく一万人くらいは犠牲になってるんじゃないかって話。大昔の話とはいえ、ずいぶんとやんちゃする人がいたもんですねー」
シェイラさんの言葉に絶句した。
「……」
「まあ、そういうわけです。そちらの彼女は当迷宮のスタッフで荼毘に付しますので」
「……お願いします」
息を吐いた。
こんなのが、何千人、もしかしたら一万近いって。
『すでに過去のことであろう? 今更マスターが思い悩むことでもあるまい』
「……」
確かに今更どうしようもないことではあるのだが、そう簡単に割り切ることは出来なかった。
「状態保存の結界があるようですし、たまに変なのが見えたりするのってここのせいだったんでしょうかねー。穴がまだあるようだと、いろいろ危険なんですがねー」
部屋をあちこち調べながらシェイラさんが言う。
通路の先に進んできた彼女の話だと、似たような小部屋が他に三箇所あり、同じように磔にされた死体があったらしい。
「四方に配置された結界で何か恒常的に穴を空ける実験でもしていたのか。何にせよ大事になる前に発見できてよかったですよ」
ばさばさとその辺のものをかき集めては、シェイラさん腰のポーチに詰め込んでゆく。
「……その研究が、悪用されたりは?」
思わず声をかけると、シェイラさんは首を斜めにした。
「飛首族が絶滅しちゃってますからねー。無理と思いますよ? まぁこういった資料は、発想や実験手法などが研究機関にいい値段で売れたりするので」
分け前はちゃんと上げますので安心してくださいねーと言われた。
俺が心配しているのはそういうことではなかったんだが。
「ちなみにボス部屋につながる道もあったので、今後はショートカットとして利用することも考慮にいれてますよ。まあ、神殿に連絡して浄化してもらわないとあとあと問題起きそうですがー」
シェイラさんは小さく伸びをして、それから両手を合わせた。
俺がカーテンで包んだ遺体をそっと抱き上げると、するりとそのままポーチの中に押し込む。
一瞬そんな物みたいな扱いは、とおもったものの。
「倉庫の方に、リュナっちたち呼んでありますから。きちんと、弔います」
シェイラさんの言葉に無言でうなずいた。
「……さて、そろそろもどりましょうかー?」
「はい……」
俺はほとんど何も無くなってしまった部屋の中をぐるりと見まわした。
何にも出来なくて、ごめんな。
心の中で、顔も、名前も知らない誰かに謝る。
……ありがとう。
ロープを伝って通路に戻ろうとしていたとき、そんな声が聞こえた気がして、振り返る。
一瞬だけ、儚く微笑む青白い少女の姿が見えた気がした。
2014/06/28 修正前の状態だとわりとどうしようもない方向にぐでぐでと突き進みそうだったので軌道修正いたしました。こういうことはなるだけしないようにします。申し訳ありません。