まずは酒場でいっぱい その5
――さて、一体どうしたものだろうか。
俺は湯気の立ち上る湯の張られた桶をぼんやりと見つめながら考えた。
指示通りにするべきなのだろうか。それとも、どうにもヤバゲな雰囲気がしまくりまくってるので、ここから脱出する手段を考えるべきか。
ランプに照らされた部屋の中を見回す。入ってきた扉のほかに出入り口はない。扉と反対側の壁に窓のようなものがあるが、木窓のようでガラスではない。叩き壊して窓から脱出なんてことは難しそうだ。
もう一度、指示を書き付けられた板を見る。
香油の入ったツボを手に取り、臭いをかいで見る。オリーブオイルのようなものだろうか。
たぶん何か植物系の油っぽい。ハーブのエキスでも入っているのか、何かいい匂いがする。
塩のツボを手に取る。これ身体にすり込めってなんの拷問だ。手にとってなめると、塩だった。一度焼いたものだろうか。こちらも何か混ざっているようで、ちょっと薬品っぽい味がする。
うむう。
唸っていると、入り口の扉がノックされた。
「何かわからないことがあれば、お手伝いいたしますが?」
扉の向こうから執事さんが声をかけてきた。
やっぱりすぐそこで待機してるんだよな。
「……いえ、大丈夫です」
扉に向かって答えて、それから俺は指示に従う決心をした。
何か理由があるのかもしれない。
そう判断したのは、注文の多い料理店とは違って油や塩が薬品っぽかったせいだ。例えばこれが全身消毒みたいな意味合いで、病原菌の類を近づけさせないため、というようなことも考えられる。
意を決して、服を脱ぎ、お湯で身体を洗い始めた。どうやらお湯にも何か入っているようで、なんだか身体がスースーした。
指示の通りに香油を体中に塗りたくり、最後に塩で身体をこすってから用意された服を着る。
真っ白な、まるで病院着のような服だった。和服の着物のように、簡単に前で合わせるようになっているだけの服だ。下着は用意されていない。
「……ぱんつ、どうしよ」
一度脱いだものをまた穿くのは、なんか気持ち悪いしなぁ。
悩んでいると、入り口の扉が開かれた。
「準備はよいようですな。こちらへどうぞ」
執事さんが、外に出るように促してきた。このタイミングのよさ、まさか中を覗き見てたんじゃないだろうな?
「……いやまだぱんつはいてないんだけど。このままでいいのか?」
「こちらにいらっしゃった時のお召し物は、こちらで洗濯してお返ししますので」
執事さんが部屋の中に入ってきて、俺の服を入れた籠を小脇に抱えた。
「こちらへ。ご案内します」
しかたなく、執事さんの後に続いた。
執事さんはランプを片手に暗い廊下を歩き、そのまま階段をのぼってゆく。
黙って後を付いてゆく俺は、内心不安でしょうがなかった。
「……こちらです」
執事さんが、ある扉の前で立ち止まり、軽くノックをした。
「お嬢様、お客様をお連れしました」
「……」
中から返事のようなものはなかったけれど、執事さんはそっと扉を開けて俺を中に入るように促した。
「……えっと?」
「さあ、お嬢様がお待ちかねです」
部屋の中に押し込まれるように、背を押され、バタンと扉を閉められた。
「……あー」
部屋の中を見回す。部屋の中はランプのひとつもなく、ただガラス製らしい窓からの月明かりだけが、薄いカーテンを通してぼんやりと部屋を照らしていた。
窓の側には天蓋の付いた豪奢なベッドがあり、そこに誰かが横たわっていた。
「えーっと、初めまして……」
どうやら、大きな口を開けた山猫はこの部屋にいないらしい。
少し安心した俺は、部屋の主に向かって一礼した。
「……」
ベッドの上の誰かは何も答えない。先ほど執事さんに何も答えなかったし、もしかしたら眠ってるんじゃないか、なんて思った瞬間、カーテンがさっと横に引かれ、月明かりにその少女の姿が浮かび上がった。
「――っ!」
思わず、息を呑んだ。
軽くウェーブを描いた長い銀の髪。薄暗い部屋にも関わらず、わずかな光を反射して光る金の瞳。細いあご、華奢な肩。ベッドから半身を起こしてこちらを見つめるその少女は、まるで人形のように美しかった。
――生きているものとは思われないほど。
蒼白く見える肌は、決して月明かりの下であるせいだけとは思えず、何か重い病を患っているのかもしれないと思った。
その容貌はまだ幼く、十を越えているとは思えない。しかし、その佇まいは落ち着いた妙齢の女性の物で、ただ静かに光る眼差しでこちらを見つめていた。
「……もっと近くへ。ここからでは貴様の顔が見えぬ」
やや甲高い、幼い声。
「え、はい」
慌てて近付こうとして、それから幼いとはいえ見知らぬ女性が横たわる場所へ、そうそう近付いてよいものやらと思い直して、部屋の中央あたりで歩みを止める。
「……ふむ、よかろう」
少女は俺を見つめて小さくつぶやき、細い手で手招きした。
「何をしている。はやく服を脱いでこちらへこい」
「……は?」
何を言われたのか一瞬よくわからなかった。
いや、こんな幼い少女が何を。
「聞こえなかったのか? はやくこちらへきて、相手をせよと言っている」
「……いや、それ犯罪でしょう?」
俺が思わず声を上げると、ベッドの上の少女は怪訝そうに眉をひそめた。
「……何も聞いておらんのか?」
「いや、夫に先立たれて一人寂しい未亡人の相手をしてくれ、とは聞きましたが」
ちょっとエッチな想像をさせられる依頼ではあったが、それはおおかみみさんが俺をからかってのことで、せいぜい話し相手になってくれ的な内容だとばかり思っていたのだが。
まさかほんとに(性的な意味で)相手しろってことだったのか?
「わたしがその未亡人なのだが」
ベッドの上の少女は、億劫そうに身体を起こしてこちらへ向き直り、ベッドの端に腰掛けた。
「……まさか貴様も、わたしのような容姿では勃たんという輩か?」
「……」
いや、俺ロリコンじゃねーし。かわいい、なでなでしたいと思うことはあっても、えろいことしたいとは思わないよ。
答えない俺を見て、ベッドの上の少女は深くため息を吐いた。
「……あの犬っころめが! また役に立たんものをよこしおって」
「えーっと、あの」
「ヤツが寄こす男は、やれ、田舎に残した妹を思い出すだの、娘の顔がちらついて無理だのとなんだかんだとわたしを抱こうとはせん。かといって穴さえあればなんでもいいという輩ではこちらの身体が持たんしの」
人形のように美しい少女は、悪態をつく様も美しかった。
「……あの、聞いてもいいですか?」
「ふん? その気がないならさっさと去れ。金は執事から受け取るがよい」
「いえ。そういうことを求める、何か、理由でもあるのでしょうか?」
「……男とて、金で女を買うであろう。女がそれをするのに理由が必要か?」
吐き捨てるように少女はつぶやき、ベッド脇のテーブルの上の瓶からグラスに注いで一気にあおった。アルコールの臭い。どうやらワインか何か、お酒のようだ。
「なぜかはわからないが、どうやらあなたは行為を楽しむため、というよりそれが必要だから求めている、というように思えます」
だいたい、あの前準備なんなんだって話。ただえろいことをするのにあんなことをわざわざする必要があるとは思えないし。
「……確かに切羽詰っておる。が、貴様はわたしを抱く気はないのであろう?」
「何を目的として、どうしたいのかがわかれば、協力できることもあるのではないかと」
「……ふむ」
少女は手にしたグラスを軽く回してしばらく思案していたようだったが、じろりと俺を睨んだ後、一気に飲み干した。
「妥協しよう。無理にわたしを抱けとは言わないが、添い寝くらいはしてもらうとしようか」
グラスをテーブルに置くと、少女はベッドにもぐりこみ、布団をめくって片側を開けた。
少し迷ったが、いつもルラレラと寝てるのと大して変わらないし、添い寝くらいは問題ないだろうと思った。
「それくらいなら」
うなずいてベッドの側に行くと、少女はふん、と小さく鼻を鳴らした。
「香油はきちんとすみずみまで塗ったな? 耳の裏など塗り忘れはないな?」
すんすんと臭いをかぐように鼻を何度もならして、少女が言った。
「うっかり塗られていない場所にわたしが触れでもしたら、貴様の命がないのでな」
「は?」
「早く、来い」
「え、ちょっと、」
袖をつかまれて、布団の中に引きずり込まれた。
「下手すると命がないって、どういうことだっ?」
「寝物語に教えてやろう」
俺の胸に、頬を寄せながら少女が微笑んだ。
「……わたしは、冥族。他者の精気を奪って生きながらえる生き物なのだ」
――それって吸血鬼とか、そっち系ですかっ?!
なんか眠くなくて、ちょっと続き書こうかな、と思ったらそこそこの文章量になったのでちょっと短めですが書いて出しデス。早く生活習慣戻さないとヤバイですね……。
うまくまとまればその6で終わるかなぁ。




