まずは酒場でいっぱい その4
「ちびどらが仕事の話があるって言ってたが、用があるのはお前さんの方なんだろう?」
奥から戻ってくると、テーブルの上を片付けていたおおかみみさんが俺をじろりとねめつけて笑った。
「ええ。でも、なんで?」
リアちゃんは後で仕事の話があるとっただけで、特に何も言っていなかったはずだが。
「ばかおめぇ、獣族の耳はただくっついてるわけじゃねぇんだぞ?」
おおかみみさんは歯をむき出して笑い、「ついてきな」とと俺を促した。
どうやら俺達が話しているのをしっかり聞いていたらしい。
どうしようか、と見回すと、大人しく席に座っていたちみっこふたりが、
「いってらっしゃいなのー」
「がんばるのー」
と手を振ってきたので「じゃ、ちょっと行って来るからここで大人しくしててくれ」と応えて、おおかみみさんの後を追った。
「……ほんとうは、だな。一見のヤツに任せるような仕事じゃねーんだが、お前さん向きの仕事がひとつある」
おおかみみさんは厨房に洗い物を持っていったあと、カウンターの中に俺を招き入れて言った。
「ここだけの話、すごくおいしい話でな。誰でも出来てそれなりに金になるという、お前みたいな駆け出しにゃもったいねー依頼だ」
言いながら、しゃがめ、というように手を上から押さえるような仕草をするので、疑問に思いながらもカウンター中でしゃがみこむ。
「いや、俺、ほんと何も出来ないですよ? 魔法とかもまったく出来ないし、剣の修行は始めたばかりだし」
「剣も魔法も必要ねぇ。ってゆーか、お前もちびどらみてぇに英雄目指してる口か? ってああそうかお前さん勇者なんだったな、そういう冒険求めるのもしょうがねーかもしれんが」
おおかみみさんは、苦笑しながら依頼版の下の方、カウンターに隠れて通常は見えないあたりに下がっている板を一枚はがした。
「これはお前さんの冒険心を満たすような、そういう仕事じゃねぇ。嫌なら断ってもいいが、どうする?」
「……どんな仕事なんですか? 事情がありまして、長期に渡るものやあまり長時間拘束されるような仕事は難しいですし、この街から離れるようなものもちょっと難しいんですが」
「がはは、駆け出しの癖に条件だけは多いんだな。今言った条件は一応大丈夫だな。やる気があるなら詳しく説明するが?」
おおかみみさんが、にやにやと笑いながら、板をぶらぶらと揺らす。
「ほんとに俺に出来そうなら、やってみようと思います。説明してもらえますか?」
ちょっとだけ考えて、おおかみみさんにお願いすると。
「……零点だな。おめぇ、うまい話にゃ裏があるもんだぜ? 聞いたらもう、断れねぇ、そんな依頼だって割とあるもんだぞ? 考え無しにうなずくような馬鹿は、やってけねぇぞ?」
おおかみみさんが、意地の悪い顔で言った。
「いえ、俺はリアちゃんを、あなたの言うチビドラちゃんのことを信用していますから。そのチビドラちゃんが信用しているらしい、あなたのことを疑う理由が今の所ないので」
「ふん……。まぁ、いいだろう。詳しい話をしてやる」
おおかみみさんはちょっとだけ鼻を鳴らして、居心地悪そうに床に胡坐をかいた。
「単純な仕事だ。夫に先立たれて一人寂しい未亡人の相手をしてやるだけさ。それだけで金がもらえる楽でおいしい仕事だぜ?」
「……え?」
なんかイケナイお仕事じゃないの、それって?
「やる気があるなら、こちらから先方に連絡を入れておく。夜にまたこの酒場まで来てくれ。先方の都合が良ければ今夜にでも案内する」
「いや、ちょっと俺、そういうのは」
「がはは、心配いらねーよ、別にお前さんの仲間に余計なこと言ったりはしねぇ」
「いや、そういうことじゃなくて」
「んー、あ、もしかしてなんか勘違いしてるか?」
にやにや笑いでおおかみみさんが言った。
「依頼の内容は、”若い男性を紹介してほしい”って感じでな、必ずしもエロイことする必要なんかねーんだぞ? ま、求められたら受けるか断るかはお前さんの自由だわな」
「……再婚相手でも探してるんですか?」
「さてな、これまでにも何人か紹介してるんだが、どうにも先方が満足するようなヤツはいなかったらしくてな」
「これまで依頼受けた人から、何か聞いてないんですか?」
「……そいつぁちょっと言えねぇな」
「どういうことです?」
「知らないからな。なぜか、この依頼受けたヤツは何も言わずにこの街を去ることが多くてな」
「……なんかすごくやばそうな気がするのは、俺の気のせいでしょうか?」
「ここまで聞いて、今更やらないって、そんなこたぁいわねぇよな?」
……なんだかんだと押し切られてしまって、そして俺は改めて夜に酒場を訪れていた。
あのあとリアちゃんとすらちゃんを起こして、一度神殿にちみっこたちを連れて戻った。酔いつぶれてしまったリアちゃんとすらちゃんは神殿に戻るとまた寝てしまったので、街の案内は結局うやむやになってしまった。
ロアとみぃちゃんは、神殿に戻っておらず、メラさんに言付けがあったようで、なんか今日は街に宿とって泊まるということらしかった。
疲れたのかちみっこどもとリーアも早めに寝てしまったので、俺は一人でそっと、酒場を訪れたのだった。
「来たな。クローネ、案内してやれ」
酒場に顔を出すと、すぐにおおかみみさんがくろねこさんに声をかけた。
「わかったにゃー」
くろねこさんはエプロンのようなものを外すと、すぐに俺の側に来て手を引いた。
「あの、え、いきなりですか?」
慌てる俺に、おおかみみさんが歯をむき出しにして笑った。
「おう、このところあの依頼やるやつがいなくてな。どうも先方も待ち焦がれていたらしい。今夜すぐにでも来てほしいとさ」
「早く、いっくよ~?」
くろねこさんにずりずりと引きずられるようにして、俺は店を出た。
「……お仕事だから案内するけど、ちびどらちゃん泣かせる様なことしちゃだめだにゃ~?」
くろねこさんことクローネさんは、夜の闇の中、らんらんと光る猫のような目で俺を見つめて、言った。明かりとかなくても、どうやら月明かり程度で道がわかるらしく、俺は足元が覚束無いのに、クローネさんはどんどん早足で俺を引きずるように先を歩く。
「いや、あの、別にそういう関係じゃないですし」
「言い訳は男らしくないにゃぁ~?」
チクリ、と握られた腕に痛みが走る。ちょっとツメを立てられたらしい。
「痛いですって」
「……ん、そろそろだよ」
俺の抗議に耳を貸さず、クローネさんは大きな建物に向かって歩みを進める。
この街ではあまり見かけなかった、二階建ての建物のようだ。いくつかの窓からは明かりが漏れていて、どうやらガラス窓らしいと判断する。
ずいぶんと、お金持ちっぽい?
大きな門をくぐった後、入り口らしい大きな扉をスルーして、クローネさんと共に裏に回る。
勝手口のような扉には小さな明かりがぶら下げられていて、その下に幽霊のように黒い執事のような服を着た年配の男性が立っていた。
「お待ちしておりました」
俺達に気がつくと黒執事は丁寧に一礼した。
「この子ですにゃ」
クローネさんに押しやられて前に出る。と、執事さんが上から下までジロジロと見つめてきた。
「……ふむ。とりあえずご案内しましょう」
なんか、すごく不満そうというか、まぁこいつで我慢するかーみたいな、しょうがないという雰囲気がありありと感じられてちょっとへこんだ。
「……じゃ、がんばってきてね、ゆーしゃくん」
クローネさんは小さく手を振って、夜の闇の中に溶け込むように消えた。なんか忍者みたい。
「あ、帰りは……」
声をかけようとしたときにはもうどこにも姿が見えなかった。
真っ暗な中をずっと引っ張られて来たので、一人で戻れそうにないのだが。明るくなればまた違うだろうか。
「こちらへ。お嬢様がお待ちです」
「あ、はい」
執事さんに促されて、勝手口から屋敷の中に入った。
……ん? お嬢様? 未亡人とかっておおかみみさんは言ってたような?
普通は奥様、とかになるんじゃないのか?
問いただそうと思ったが、その前に執事さんが扉の前で止まったのでタイミングを逃した。
「まずはこちらで身支度を。中に湯を張った桶と着替えが用意してありますので」
「……え、俺そんなに汚く見えます?」
一応、人に会うというので神殿のお風呂で綺麗にはしてきたのだが。
「こちらの指示に従っていただけますか?」
丁寧ではあるが、有無を言わさない口調で執事さんが扉を開けた。
「詳しい指示は中に御座います。字は読めますでしょうか?」
「……はい」
「では」
うなずくと、中に入るように促された。訝しみながら中に入ると、部屋の壁にはいくつかランプが据付けられていて、そこそこの明るさだった。部屋の中にお湯を張った桶と、その他にもいくつか桶やツボが置いてある。
「……順路?」
木の板になにやら書き付けてあって。
・武器や装備の類はこちらの籠にお入れ下さい。
・まずはお湯で身をお清める下さい。髪までしっかりと汚れを落としてください。
・壺のなかの香油を顔や手足にすっかり塗ってください。
・香油をよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか。
・余分な油をふきとったら、からだ中に壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。
・清め終わったら、こちらの服にお着替え下さい。
「……なんか、どこかで見たような?」
宮沢賢治の、注文の多い料理店とかがこんな感じじゃなかったか?
ってゆーか、人に会うのにここまでやらされるのはいったいどういう魂胆だ?
依頼受けたヤツが何も言わずに街を離れるって……まさか行方不明ってことなんじゃないだろうな?