6、「水も滴るいい幼女」
……実を言うと、俺はあまり泳ぎが得意ではない。
溺れている誰かを助けなければ!と後先を考えずに川に飛び込んでから意外に水が冷たいことに気がついて、「あれもしかしたらちょっとマズイんじゃね?」とちょっと冷静に思ったりもしたのだが、「今更やっぱやめました俺には無理でした」なんて人の命がかかった状況で適当ぶっこいて引き返すわけにも行かない。
川岸から見たときにはそれほど流れは速くなさそうに見えていたが、川の中ほどに差し掛かるにつれて川底が深くなっているためか思った以上に流されて、なかなか思うように近付くことができない。こちらだけでなく、向こうもどんどん流されていく。
くそ! 追いつけるか?
内心舌打ちをしながら、まだばしゃばしゃと水しぶきを上げている誰かの背中側になんとか回りこむ。
「落ち着け、今助ける!」
後ろから脇の下に手を入れ羽交い絞めするように抱きしめると、長い緑色の髪が広がって俺に絡まった。思っていたよりもずいぶんと小さい。子供のようだ。水に濡れた肌はぬるりとしていて、がっしり捕まえていないとつるりと俺の腕から抜け出てしまいそうだった。服か水着でも着ていればもう少しなんとか捕まえようはあったのだろうけれど、上半身には何もつけていないようだ。
「―――!!!」
声にならない悲鳴。驚いたのかバタバタと暴れるが、後ろからがっちり押さえ込んでいるので大丈夫、離してしまう事は無い。バタバタと手も振り回しているが、流石に後ろには手が届くことは無い。
「大丈夫だから、落ち着け!」
つか、俺もあんまり余裕無いんだよっ!
暴れる子供を抱きかかえながら、顔が水に浸からないように背泳ぎの要領でバタ足しながら岸を目指す。
「大丈夫だから、な」
ぎゅっと抱きしめると、わかってくれたのかそれとも気でも失ったのか子供の身体から力がぬけた。これ幸いと羽交い絞め状態から、左腕を大きく前に回して片手で抱きかかえる状態に移行し、右腕も水を掻くのに使う。大分流されてしまったが、手を使えるようになったのが大きく、なんとか足が川底につく所まで泳ぎきることができた。
「はぁはぁ……」
荒い息を吐きながら、子供は無事かと抱きかかえた腕の中をのぞきこむと。
「……」
無造作に伸ばされた長い緑の髪の間から、不思議な色に輝く透明な瞳が俺を見上げていた。何か虹色のコンタクトレンズのようなものでもはまっているのだろうか。その不思議な瞳は、瞬きひとつしないで俺を見つめている。
「……大丈夫か?」
声をかけると、返事の代わりにぎゅうと小さな手で俺の腕に抱きついてきた。水を飲んだりはしていないようだ。
お姫様だっこをするように胸の前で抱えあげようとして。
「ん?」
……その子供に足が無いことに気がついた。
いや正確には足が無いわけではなく、魚というか。いや、ウロコらしきものはないしイルカとかクジラとか、アザラシみたいに、二本の足がくっついて先っぽがヒレのようになっていると言えばいいのか。
これってもしかして……にんぎょってやつ?
足がつくようになったのでざぶざぶと川底を歩きながら岸へ向かうと、川岸ではルラとレラがバスタオルを持って待っていた。
「にんぎょげっとなのー?」
「ぱんついっちょで手づかみとかおとこらしいのー」
「タオルありがとな。あとすまんが俺の服拾って来てくれないか」
バサリと人魚?にタオルをかぶせ、抱きかかえたままキャンプ地に駆け出す。火の側で温まらないと、俺も風邪を引いてしまいそうだ。
やや薄暗くなってくる中、火の明かりを頼りに上流にむかってキャンプ地にたどり着いたら、ロアが俺を見てじと目でつぶやいた。
「……ぱんついっちょで女児を抱えて荒い息を吐いているタローまじ犯罪者」
「いや違いますから」
今はロアにかまっている暇はない。タオルで人魚の身体を拭いて水気を落としてから火の側に広げた毛布の上に寝かせる。
「水は飲んでないようだが、どこか怪我とかしてないか?」
人魚は服のようなものは何も着ておらず、わずかに首と腰の周りに何か装飾品のようなものをつけているだけだったので、ざっと全身を見回す。上半身は特に問題ないようだったが、魚のようになっている下半身は岩にでもぶつけたのか細かいすり傷がいっぱいついていた。
リュックから水のペットボトルを取り出し、傷口を洗う。一箇所特にひどい裂傷がある。木の枝か何か刺さりでもしたのかもしれない。少し血がにじんでいたので何度も丁寧に傷口を洗ってから、傷薬を塗りこんでやった。
「――!」
人魚が声にならない悲鳴を上げた。胸の前で祈るように両手を組んで、じんわりと目に涙を浮かべる。
「しみるか、ちょっと我慢しろ」
ケガをしたときの用意に持ってきた大判の絆創膏をぺたりと貼ってやって、ようやく息を吐く。ふと気がつくと、なぜか皆が俺を唖然とした表情で見つめていた。
「……どうかしたのか? ん、ルラレラ、服ありがとな」
ちみっこどもが持ってきてくれた服を受け取り、濡れたパンツだけ着替えればいいかなと思っていると。
「んーと……タロー?」
ロアが腕組みしながらつんつんと俺を指差した。
「自分が今何をしたかわかってる?」
「……何の話ですか?」
訳がわからず首を傾げると、みぃちゃんが黙って人魚を指差した。
いつの間にか、人魚の下半身は二本の足になっていた。子供らしく胸もあるとは言えないし、下半身もお魚みたいだったからまったく気にしていなかったが、裸である。すっぽんぽんである。
「……ちょ」
慌てて目をそらそうとして、見てはいけない部分がしっかり隠されているのに気がついた。
……俺が貼り付けた絆創膏だった。
「もちろん、有罪よね?」
「有罪なのー!」
ルラとレラが顔を見合わせてうなずいた。
「とうぜん有罪でしょ」
ロアが腕組みしたまま同意する。
「有罪なのです」
最後にみぃちゃんが両手を獣の手にして吐き捨てるように言った。
「……すんませんしたーーっ!」
全会一致で有罪を告げられた俺は、その場で飛び上がって地面に頭をこすりつけた。スカウター騒動に続いて本日三度目のじゃぱにーずDOGEZAであった。
「謝るのはこの子にでしょ?」
ロアに頭を踏んづけられて回れ右をさせられる。
「――?」
上半身を起こした人魚は、小さく首を傾げて何度か瞬きをした。川では虹色に思えた瞳はなぜか澄んだ蒼色に変わっていて、あどけない表情は何もわかっていないように見えた。
「すんませんしたーーっ!」
人魚に向かってもう一度頭を下げると、人魚はもういちど小さく首を傾げて俺の腕を引っ張った。
「?」
引っ張られるままに左手を差し出すと、人魚は俺の手を自身の小さな白いお腹の上に乗せた。
それからまた祈るように両手を胸の前で組んで目をつぶった。
「……何、どういうことだ?」
俺のしたことに対して腹を立てているというようには思えない。
「お腹を見せるのは動物だと服従を意味する場合があるですが……」
みぃちゃんが訝しげに人魚を見つめる。
「飛沫族にもそういう習性があるなんて話は聞いたこと無いけど、なんかこれ、まな板の上の鯉っていうか、なんか好きにしろっていってるみたいよね?」
ロアも腕組みしたまま首を傾げた。
「スプラッシュ? 前ルラとレラに聞いたような。この世界の異種族だよな? そのスプラッシュって喋れないのか? こっちの言葉通じるんだろう?」
よく考えてみたら、ロアにみぃちゃんはこことは別の異世界から来たわけで、このルラレラ世界に住む人間に会うのは初めてなのだ。言葉が通じないとかだったらどうしよう。
「個人としてはそのかぎりでないけれど、種族としてしゃべれないということはないの」
「この子はしゃべらないだけなの。ねんれいてきにもちゃんとこちらの言葉は通じているはずよ」
俺の問いに、ちみっこどもが答えた。つまり、何か事情があって言葉を口にしないだけであるということか?
「俺の言ってることわかるか?」
話しかけると、人魚は小さく目を開けてうなずいた。
「言葉が話せないのか?」
この問いには首を横に振った。
「事情があって話さない、ということなのか?」
うなずいた。
「文字は書けるか?」
リュックからノートとペンを取り出して人魚に差し出すと、ちょっと悩んだ様子でそれから小さくうなずいた。
「俺は鈴里太郎という。君の名前を教えてもらえるか?」
人魚は最初ペンの使い方に戸惑っていたようだが、すぐにノートにひらがなでさらさらと書き始めた。
『とりすとりーあ』
「トリストリーアっていうのか。リーアって呼んでいいか?」
『よい』
どうやら、普通に意思疎通は出来るようだ。
「まずは謝らせて欲しい。俺は君が溺れていると勘違いしてここまで連れてきてしまったらしい。それにその、すまなかった」
『あやまるちがう』
『わたしはたろうにつかまった』
『たろうはわたしを煮て食おうが焼いて食おうがじゆう』
さらさらとノートに文字が書き綴られてゆく。平仮名が多いが漢字を使えないというわけでもないようだ。
「いや、煮て食おうが焼いて食おうが自由って」
『わたしは今まで自分の手でつかまえたものを食べて生きてきた』
『今度はわたしのばん』
『だからたろうはえんりょなくわたしを食べるべき』
「いや、食べたりしないから」
『はらわたがきっとおいしい』
……お腹の上に俺の手を乗せたのはそういう意味かいっ!