1、「女神と遊ぼう」
スーツの裾を掴んだまま静かにこちらをじっと見つめて微笑んでいる二人の幼女を、俺はため息を吐きながらそっと見つめ返した。
自分たちのことを女神だとか……。勇者がどうとか……。
……これは、あれだ。
俺にも覚えがある。うん、ものすごーく覚えがある。
「あー……、お嬢ちゃんたち。今はまだ夢見がちな子供で通るかもしれないが、もっとずっと大きくなったときにものすごーく困ることになるからな。その病気をこじらせるんじゃないぞー?」
幼女の肩に手を乗せ、自省の念と共にしみじみつぶやく。
俺が中二のときに書いた自分が主人公の小説……。
くそぅ、一瞬意識が飛びかけた。思い出しちゃダメだ。あれはダメだ。
思い出しちゃダメだ。思い出しちゃダメだッ! 思い出しちゃ、ダメ、だッ!!
ぶるんぶるんと強く頭を左右に振って、浮かび上がりかけた黒歴史を霧散させる。
「おにーちゃん?」
「???」
困惑気な二人をごまかすように、幼女の頭をなでながら立ち上がり俺は言った。
「……いいかい。その妄想は絶対に形に残さないように。それはいつかお嬢ちゃんたち自身を殺す毒になる」
ああ、こんなセリフが出てきてしまうところが既におかしい。
くそッ! 過去に毒され始めているのは俺の方かッ?!
「おにいちゃんがなにをいっているのかわからないよ?」
洋風幼女が、首を傾げて俺のスーツの裾をくいくいとひっぱり。
「病気とか、毒とか、なんのおはなし?」
和服幼女が俺の顔を見上げて怪訝そうに言った。
「経験者は語るというやつだ……。今は分からなくてもいい、いつかきっと分かる時が来る。だから俺の忠告をどこか心の片隅にでも留めておいて欲しい」
って、オイ。だから、一桁代の幼女に何を熱く語ってるんだ俺は。
おれは しょうきに かえった!
……正気に戻った以上は迷子に関わった大人としての対応を取らねばなるまい。
最近は子供にGPS機能付きの携帯電話とか持たせてる親も多いらしいが、この子たちは持っているだろうか。
「お嬢ちゃんたち、親と連絡を取る手段はあるかい? なければ家の電話番号か、親の携帯電話の番号とか覚えてないか?」
「ままにお電話?」
「連絡はつくけど、わたしたちのママに何か用があるの?」
幼女二人は顔を見合わせ、肩から提げていた小さなポシェットから小さな携帯電話を取り出して見せた。
「それなら話は早い。連絡して迎えに来てもらいなさい」
俺も会社に遅れるって電話しなきゃいかんな。
「ん?」
「どうして? すぐに……」
「ああ悪い、ちょっとおにいちゃんは電話するんで静かにしててくれないか」
何か言いかけた幼女を制して、手早く上司に遅刻する旨連絡する。今朝は外部との打ち合わせの予定はなかったし、うちは割と緩めなので連絡さえしておけば結構時間に融通が効く。
地下のせいか妙に電波状況が悪かったが、なんとか通じたようだった。
電話が終わったところに、駅員さんらしき人が通りかかったので呼び止めて事情を話すと、ああいいですよこちらでお預かりします、とうなずいたので後は駅員さんに任せることにする。
「俺が巻き込んじゃったみたいなのに、無責任に放り出して悪いな。じゃ、駅員さんあとはお願いしますね」
幼女二人の頭をなでて、ぽんと肩をたたく。
まだ幼女二人は首を傾げていた様だったが、俺は丁度やって来た電車に飛び乗った。幸いそれほど混んでいないようだ。
「じゃあな、ふたりとも。中二病をこじらせるんじゃないぞー?」
小さく手を振って吊革につかまる。
「……え、なんで? でんしゃが」
「……はぁっ!?」
幼女二人がまだ何か叫んでいるようだったが、発車のベルで何も聞こえなかった。
その後、何事もなかったように普通に電車は目的の駅に到着し、俺は日々の糧を得るべく勤労に勤しんだ。
……しかし朝の幼女たちかわいかったな。写真くらい撮らせてもらえばよかったか。
残業もなく、定時で帰宅して自分の部屋のあるアパートに帰り着いた俺は、朝の奇妙な出来事を思い出していた。
「……勇者になって、ねぇ」
アパートの階段を登り、部屋の前で鍵を探しながらひとりごちる。
十年前の俺なら、大喜びだったかもしれないが……。
社会人二年目のしがないサラリーマンは、もうそんな夢などみる暇がないのですよ。
建付けの悪いドアをガチャガチャと音を立てて開き、一人暮らしで誰もいないことはわかっているが、つい習慣で「ただいまー」と声をかけて入る。
すると。
「おかえりー」
「おにーちゃんおそかったねー?」
帰り着いた俺の部屋の中では、朝会った幼女二人が仲良く俺のベッドの上でごろごろしていた。
「……は?」
鞄をドスンと床に落として、思わず間抜けな声を上げてしまう。
「……ふはははー」
「……あはははー」
幼女二人はいそいそと立ち上がって、俺の側に来て、ふたりして俺のスーツの裾をしっかりと掴んだ。
「しらなかったのか、ゆうしゃよー?」
「めがみからは、にげられない!!!」
むっふー、と幼女二人が鼻息荒く得意げに胸を張った。
「……いやそれって、大魔王のセリフだろ?」
思わずつっこむと、和服幼女が親指を立ててにやりと笑った。
「おにーちゃん、これ、でてほしいの」
洋風幼女がポシェットから取り出した携帯電話をこちらに差し出してきたので、言われるままに受け取ると、とたんにブルブルと震えだしたので、いぶかしみながらも通話ボタンらしきものを押す。ディスプレイの表示は「ママ」。たぶん親からの電話なのだろう。
「……はい、ええっと」
なんて受け答えすりゃいいんだ? 子供の電話にいきなり知らない男が出たら、なんと思われるだろうか。
……誘拐犯とか思われて通報されたらどうしよう?
『んー、思ったよりいい感じじゃない?』
電話の向こうから、若い女性の声がした。
「……えっと、あの、その」
そういや俺、この子たちの名前すら知らないな。なんて言ったらいいんだろう。
「お、おまえの娘達は俺が預かっているっ!」
ってこれじゃまんま誘拐犯のセリフだしっ?
いや実際うちにいるわけだから、変な意味じゃなくてお預かりしている状態なのも確かだし、だから。
「いや、えっと。あの、お宅のお嬢様方をうちでお預かりしております……?」
てゆーかとっとと迎えに来い。オネガイシマス。
『あー、キミキミ、そんなきょどらなくても、ちゃんとこっちは状況把握してるから安心してねっ?!』
くすくすと電話の向こうでちいさな笑い声。
「え、あ、はい」
少し落ち着いた。
『では、改めまして。どーもー、双子ちゃんの母親でーっす。女神やってまーす。うちの子たちがお世話になってますぅ~』
「はあ」
軽い。しかも今変なセリフがあったような?
『なんかうちの子たちが言うには、勇者候補にお話聞いてもらえなかったっていうから、代わりに事情説明しようかな~とお電話かわってもらいましたっ!』
「は……?」
……おい、勇者、だと?
まさか。親も病気か? 病気なのか?
『ものすごーく簡単に話すと、キミ、うちの子たちが作った異世界の勇者に選ばれました。いぇーいよかったねっ! ぱちぱちぱちぱちぃ~』
「あの……、電話、切って、いいですか?」
『知らなかったのか……? 女神からは、逃げられない……!!!』
「いや、だからそれ大魔王のセリフだっつーの」
『おおう、先にやられちゃってたかー。あははー』
「あははーじゃなくて」
『若いのにノリ悪いぞぉ~? まぁ、でも、まずは話聞いてちょうだいな♪』
「断る」
『もう少しそっちのセカイのキミに分かりやすい言葉でいうとぉ~、うちの子たちが頑張って新しい世界を創ったので、そのテストプレイをして欲しいってことなのよ』
「断るって言ったろ、人の話を聞け」
『なんていったっけ、ぶいあーるえむえむおーあーるぴぃじぃ? そっちのセカイじゃまだ実現されてないとおもうんだけどさ、あんな感じでうちの子が創った世界を遊んでほしいわけさー』
「……」
VRMMORPGだと?
あれか、仮想の世界で、五感とか本物みたいに感じられる夢の技術。
今の技術でそういったものが可能とはちょっと信じられないが、もしそういったものが実際にあるというのなら、なるほど……異世界というのも分からないではない。
仮想現実と呼ばれる技術を利用すれば、確かにまるで異世界のような現実と異なる世界を、本当に自分の身体で実際に歩き回るように感じられることが出来るだろう。
『お、ちょっと興味でてきたかなー? 正確にはプレイヤーはキミだけなのでオフゲーみたいなかんじかもだけど、いずれは大勢のお客さんを呼び込んで月額課金でウハウハ計画なのさっ!』
「……つまり異世界で勇者になれというのは、そのなんだ、仮想現実を利用したゲームか何かをプレイしろという話だったのか?」
もしかすると、今朝の奇妙な出来事も仮想現実を利用した何かだったのかもしれない。
『んー、ゲームじゃないんだけどね。似たようなものと認識してくれればいいかな~?』
「……で、具体的に俺に何をしろと?」
『うふふ~、勇者げっとだぜーってカンジかな? そちらの都合もあると思うし、異世界に行ってもらうのは週末だけで大丈夫。ああ、行ったっきりで戻ってこれないなんてこともないから安心してねっ?! 交通費と必要経費はこちらから支給するよ。学生のバイト代程度だけど、謝礼も出します。こちらからお願いするのは、セカイを遊んでもらうことだけっ! 出来れば月一回程度レポート提出してもらえるとありがたいかな。期限は特に区切らないけど、とりあえず最低何ヶ月かはやってもらうことになるよ~』
「……」
つまり、まだ実現していない仮想現実の世界で遊べてお金までもらえる割のいいバイトということか。
『やる気になったみたいねっ? じゃよろしくね~っ!』
こちらの回答を待たずに、ガチャンと音を立てて電話が切れた。
向こうは固定電話か。
……名前すら聞けなかったな。というかこっちも名乗ってないが。
無言で携帯電話を洋風幼女に返す。
「今更だが、自己紹介しておこうか。俺は鈴里太郎だ。よろしくな?」
右手を差し出して言うと、洋風幼女がそっと俺の手を握って「わたしは、ルラ」と微笑んだ。
和服幼女はにやりと笑いながら俺の左手を両手で握り締め、「レラよ、よろしくね」と言って俺のわき腹の辺りに頬をすりよせた。
……ところでなんで幼女二人が俺の部屋にいるんだろう?
今更のように思ったが、その疑問に答えるものは誰もいなかった。