5、「ふにょんというか、ふにゃん」
「というわけでタロー。スライム倒せなかったのでお仕置きってゆーか罰ゲームよ?」
「いやロアさん、俺に倒せないとわかっててけしかけたでしょ?」
声を大にして言いたい。俺が「今の俺でも倒せるのか」と聞いたときに、ロアさんが明後日の方向に目をそらしたのは忘れていない。
しかしロアはふん、と鼻を鳴らして俺に人差し指を突きつけた。
「倒せる可能性はゼロじゃなかったんだし、だいたい勝てなかったらお仕置きするってあたしが言った時点で文句をいわなかったタローが悪いのよ。それはつまり、タローはスライムに勝てるって自信があったってことなんだから」
「ぐはっ! いや確かにゲロイムごとき瞬殺だと思ってたのは確かですが」
腕組みしてにやにや笑うロアに正論で言われてしまうと返す言葉も無い。
「というわけだから、あきらめなさい」
「……俺に何やらせる気なんですか?」
ため息を吐いて見つめると、ロアはなぜかぱちんと鎧の脇のベルトを緩め、前後からはさんでいる胸鎧をはずした。どういう構造になっているのか肩当てはついたままだ。
「剣もじゃまね」
言いながらロアは外した胸鎧と下げていた剣を腰のポーチに押し込んだ。相変わらず不思議なポーチだ。
「タローもリュックを下ろしてこっちによこす」
「え、はい」
言われるままに荷物を下ろすと、ロアは俺の荷物もそのままポーチに押し込んだ。ちっちゃなポーチにぬるりと大きなリュックが吸い込まれるのは見ていてちょっと不気味だった。
「ほいタロー、こっちに背中向けてそこにしゃがむ」
「……?」
疑問に思ったがロアに言われるまま背を向けてしゃがみこむと、不意に柔らかいものがふたつ背中に押し付けられた。
「な」
え、なんだ? 今何が。
「ほい、あたしの脚ちゃんと抱えて」
「え?」
わけもわからず、俺の後ろから挟み込むようにつきだされた二本の足をそれぞの手で抱える。すると、するりとロアの二本の腕が後ろから突き出てきて、俺の首に回された。
……これは、いわゆる、なんてゆーか、おんぶというヤツではないだろうか。
「ん、おっけー。じゃ、立ち上がって?」
「……あ、はい」
膝に力を入れて立ち上がると、思ったよりもずっと軽かった。やや小柄な女性とはいえ、普通に考えたら四十キロから五十キロくらいはあるはずなのだが、とてもそんな風には思えない。
というか、この背中のむにむにが。むにむにが。普段見た目にはそんなにあるようには見えなかったのに、流石に押し付けられるとその存在が感じられる。ふにょんというか、ふにゃんというか、それほど厚みは感じられないものの確かに存在する柔らかなその物体は、ほんの布数枚を隔てたところにあって、いやどうですかタローくん?んふふと問いかけてくるかのようだった。
――つかこのひとノーブラだろ絶対!
俺が手で抱えている部分も、膝の裏に近い部分とはいえ生足で直接素肌に触れている。そのすべすべした肌触りにちょっとばかりその付け根の部分を想像してしまって、それが俺の腰の裏辺りに押しつけられていることを考えてしまって、頭が真っ白になった。
……これ、ほんとに罰ゲームなのか?
「うん、タロー。あたしのような美少女を背中に乗っけて興奮するのもわかるけど、ちょっと落ち着きなさい。心臓の音がうるさいから」
「ひ、ひぃや、だって、なんの脈絡も無くおぶさってくるってなんなんですかぁ?!」
ロナさんモードの時はともかく、ロアさんモードだとまだまだ十分に若いけれど美少女というには少し歳がいってるんじゃないかなとか余計なことを考えながら叫んだら声が裏返った。
「ん、ソディアが邪魔ね。足に当たって痛い」
するりと破魔の剣ソディアが鞘ごと抜き去られた。背中で見えないが、どうやらポーチに仕舞われてしまったようだった。
「むーロアさんだけおんぶずるいのー」
「わたしたちもあとでおんぶしてほしーのー」
俺の現状を知ってか知らずかちみっこどもがぶーぶー不満の声を上げる。
「んー、後でかわったげるから」
背中のロアさんがのんきな声で答えて、それから俺の首に回した腕に少し力を入れた。
「罰ゲームの説明ね。次に何か、人なりモンスターなりに出会うまで、あたしを背負って歩いてもらいます。足腰を鍛える修行にもなるからちょうどいいでしょ?」
「え、はい。でもロアさんそんなに重くないですよ? 修行になるんですか?」
「あら、あたしがただタローにおっぱい押し付けるだけなわけないでしょう?」
見えないけれど、きっとロアさんがすごくいい笑顔で微笑んだような気がした。
その瞬間、ずん、と肩と腕に重みを感じて思わずロアさんを落としかかる。回された腕が、ぎゅうと俺の首を締め上げ、息が詰まり、背中の感触なんか楽しんでいる余裕が無くなった。
「ご、ふっ」
なんとかロアを抱えなおし、やや前傾姿勢になって背中で支えるようにする。
「おー、意外に耐えたねぇ。倒れなかったのは感心、感心」
「い、いきなり、重くなりましたけど、今のなんです、か?」
「前、二次元ポーチの話ってちょっとしたよね? かさ張るものをぺったんこにするから収納が楽になるアイテムだって。でもこれ重さはほとんど変わらないんだよね」
背中のロアが、がっきりと俺の首に手を回したまま、少しづつ力を入れていた。
なにこの人、子鳴きじじいの親戚かなにかかっ?!
「でもって、あたしは魔法で重量を軽くしてたわけです。ちなみに今ポーチには重さ的にはだいたい二トンくらい、いろいろ入っているわけですがー」
そこでいったん切って。俺の右の耳をロアの吐息がくすぐった。
「……タローはどこまでいけるかな~? じゃ、次は二百キロいってみよーか?」
――鬼や、このひと鬼やっ!
加減されていたとはいえ、当然俺は数歩も歩けずに地面に押しつぶされることになった。
その後「ふたりいっしょじゃなきゃいやなのー」と騒ぐルラレラを前後幼女サンドイッチでおんぶ&だっこすることになったり、みぃちゃんにお姫様だっこを要求されたりといろいろあったけれど、最終的に「重さ変えられる魔法とかあるんだったらそれ直接俺にかければいんじゃね? おんぶとかしなくても鎧とかでいんじゃね?」ということになってなんかロアさんの胸鎧をつけて重さを増やした状態で歩くことになった。
「……重いけど、このくらいなら歩けるな」
ふうふうと息を吐きながら、ソディアで草をなぎ払いながら歩く。修行ということで結局草払いも復活することになったのだ。
「もっとおんぶしてほしかったの……」
「さいきんスキンシップがちょっとたりないの……」
ぶつぶつ言うちみっこどもの頭をなでてやる。
「おまえらも歩きっぱなしだけど足とか平気か?」
「へいきなのー」
「じつは地面からいっせんちくらい浮いてるの」
「ほー」
少し浮いてるとかドラえもんみたいだな。ヤツはだから靴とか履かないらしいが。いやどうでもよかったそんな話は。
「今日は結構あるいたなー、俺もうくたくただよ」
大体四日くらい歩けば街に着くって話だったが、斜めに行っちゃったのでたぶんもっとかかるだろう。どこかでまた方向変える必要があるんだろうが、どうしよう。
「タローは軟弱なのです」
後ろを歩くみぃちゃんが、くいと俺のシャツの裾を引っ張った。
「ん、なに?」
振り返ると、みぃちゃんが背伸びして俺の額に指を突きつけた。
そのままみぃちゃんが小さく何かつぶやくと、少し疲れが和らいだ気がした。
「気休めですが回復魔法なのです」
「おう、ありがとな。みぃちゃん」
思わずみぃちゃんの頭をなでようとして、「おっと危ない」と手を引っ込める。またみぃちゃんに爪を突きつけられてしまうところだった。
みぃちゃんはお耳をぴこんと動かして、ふん、と小さく鼻を鳴らすとついと視線をそらした。
……なんかちょっと不機嫌そう?
ちょっと考えて、みぃちゃんの頭に手を伸ばすと、待ってましたとばかりにしゃきんと伸びたみぃちゃんの爪が俺ののどもとに突きつけられた。
「……」
無言で小さく微笑むみぃちゃん。
「……うん、わかってるよ」
かまわずそのまま、みぃちゃんのお耳をそっとなでた。
「……あ、」
みぃちゃんのお耳は相変わらずすべすべとした絹のような素敵な肌触りだった。でも、お耳の感触を楽しむのではなく、あくまで優しく頭をなでることに集中する。
俺がちみっこどもの頭をなでるときに、なんかよくうらやましそうな目で見てたんだよな、みぃちゃん。
「……ん」
気持ちよさそうに目をつぶったみぃちゃんの頭をもう一度だけなでてから、俺は再びソディアを手に草をなぎ払いながら歩き始めた。
「……みぃが陥落したの! さすが幼女たらしなの」
「おにいちゃん、なかなかやるわね! ねこみみ三級を進呈するの!」
「人聞きの悪いことゆーな。ってかねこみみ三級ってなんだっ?」
ちみっこどもにでこぴんしながら言うと、ロアがじーっと俺を見つめてきた。
「……うん、やっぱり今のうちにちょんぎっちゃったほうがいいよね?」
「いや何をですかっ! ってゆーか俺に同意を求めないで下さいっ!」
「ん、だってほら。みぃちゃんもなんかまんざらでもなさそうだし、このままだとタローがみぃちゃん傷物にしそうだし?」
指をチョキの形にしてロアがちょっきんちょっきんと指を動かす。
「そんなことはしませんから、やめてください……」
「……みぃちゃん、目的忘れてないよね?」
ロアがみぃちゃんに声をかけると、みぃちゃんのねこみみがぴこん、と立った。
「……忘れてないのです」
「別にタローといちゃつくのが悪いって言ってるわけじゃないんだけどね。みぃちゃんがそれでいいなら、ソレでもいいのよ?」
「いえ、大丈夫なのです」
「何か、重そうな話?」
「……こっちの話だから、タローは気にすること無いわ」
ロアはそう言って一度深く息を吐いた。
「それよりタロー、今日はどうするの? もう少ししたら日も落ちそうなかんじだけど、夜は向こうに戻る?」
「いえ、なるだけ早く街に着きたいですし……」
「――夜に歩くのは止めときなさい。死ぬわよ?」
言う前に止められた。
「……まぁ、それ以外でもせっかく来たわけですから、死に戻り以外ではなるだけこちらを満喫しようかなと」
ぶっちゃけ草原しか見てないけどねっ!
「もう少しいくと川にでるのー」
「おっきなかわなのー」
ちみっこどもが両手を広げて川の大きさを示そうとしているようだが流石に伝わらない。
「水場があるなら、今日はそこまで行って野宿にしましょう」
「ええ、了解です」
ロアの提案にうなずいてから、なんとなくロアには話をはぐらされたような気がしてちょっともやもやした。何か目的があってこのルラレラ世界にやって来たと聞いてはいるが、いったいどういう目的なのかは聞いていなかった。俺には何も手助け出来ないことなのかもしれないが、話してもらえないのはちょっとだけ寂しかった。
「かわなのー」
「おみずちゃぷちゃぷなのー」
沈む夕日が遠くに見える。前回は修行に夢中で気がつかなかったが、この世界でも夕焼けは赤いようだ。
さらさらとかすかに流れる水の音。流れはそれほど激しくなくゆったりとしていて、川幅も思っていたよりは広いようだ。百メートルほどはあるだろうか。水深はわからないがこの分だと結構深さもありそうだ。
「あんまり水場に近すぎても危ないしね、この辺でいいかな」
ロアが草を円形になぎ払い、ポーチからいろいろ取り出しながら野宿の準備を始めた。
俺も草をなぎ払いながら拾って置いた木の枝を真ん中に積み上げてライターで火をつける。
ロアに返してもらったリュックから寝袋やら毛布やらを引っ張り出して、火の回りに並べたところで。
「……ん? 今何か聞こえませんでしたか?」
俺は耳を澄ましながら周りを見回す。みぃちゃんもお耳をぴこんと立てて、せわしなくぴこぴこ動かしている。
「静かに」
「――!」
ぼしゃんという水音。
――まさか、誰かが、溺れている?
再び水音。
「……――!」
声にならない悲鳴。
誰かが、溺れているっ!
俺は借りていた鎧を脱ぎ捨てた。ソディアもその場に放り投げて、川に向かって駆け出す。
「――今行く!」
川の中ほど辺りに、水しぶきが上がっていた。
遠目でよくわからないが水面から小さな頭と、宙をつかむように伸ばされた小さな細い手が見えた。
子供だろうか。周りに誰もいないのに、こんなところに一人で?
――迷う間もなく俺はシャツとズボンを脱ぎ捨て、川に飛び込んだ。