はじめての音 その3
――突然の言葉に、混乱して何も言えないでいると。
リーアの父親、トリステッセラがもう一度言った。
「……聞こなかったか? 娘を返せと言っている」
どうやら丁寧な口調はやめたらしい。相変わらず歌声のような美しく心地よい声なので少しばかり迫力が足りないが、どうやらかなり憤っていることが見て取れた。
「~~?」
俺たちと両親の間で、リーアがきょとんとした顔をしている。
「……ええと、ご両親の許しなく勝手にリーアを連れ出してしまったことはお詫びしますが、一応本人の了解を得ていますので」
っていっても。……十歳そこそこの子供を、本人が良いと言ったからって連れてくのは、どう考えても誘拐ですよね? 事案確定っ!?
どどど、どうしよう。
『父、りーあはおとなになった』
『じぶんのことは じぶんで決める』
リーアがホワイトボードをぶんぶんと振ってみせる。
「泳ぎも狩りも未熟なお前を、一人前と認めるわけには、ひとりで好きにさせるわけにはいかない。大人になったのならちょうどいい。このまま海に連れて行こう。父が鍛えてやる」
トリステッセラが手を伸ばし、ホワイトボードを振るリーアの腕をつかんだ。
「……えーっと。お父さんはこう言ってるけど、リーアはどうする?」
責任丸投げで、ティアが日和ったことを言う。
『りーあは~~』
リーアが何か書いている途中で、不意にそのホワイトボードが弾き飛ばされた。
リーアの母親、トリスエーナさんだった。
「わがままを言ってはだめ、トリストリーア。……母のこの腕のことを忘れたの?」
――その言葉は、まるで魔法のようだった。
リーアの顔から表情が抜け落ち、小さくがたがたと震え始めた。
トリスエーナさんの欠けた腕の先を見つめて、リーアが何か言おうとするかの様に口を開きかけて、あわてて自分の手で塞ぐ。
「……そういうけですから、トリストリーアは連れて帰ります」
トリステッセラさんが、また丁寧な口調に戻ってリーアの腕を強く引いた。
「例え、女神様であろうとも、我が家のことには口出し無用に願います」
そう言い放ち、一礼するとリーアの腕をつかんだまま神殿の外へと歩き出そうとした。
色が抜け落ちたようになりながらも、リーアは抵抗しようとしてそのまま引きずられていく。
……どうしよう。家庭の問題と言われてしまえば、勝手に連れて行った引け目もあって反対しづらい。しかし、明らかにリーアは嫌がっている。あれだけ両親に会えるのを楽しみにしていたようなのに。
――不意に何か、奇妙な気配が。
「……あ、マズっ!」
ティアが突然叫んで、空中にいくつものぱんつを生み出してリーアを囲んだ。
パンツバリアか? でも、なんで対象が内側向いてるんだ?
そう思った、次の瞬間。
「キライ!」
父親の手を振り払ったリーアが、大きな声で一言叫んだ。
魔王との戦いでも活躍したあのバリアが、一瞬で消し飛ぶ。
そして。
「くっ……!」
リーアの腕をつかんでいたトリステッセラさんの腕から、血が流れていた。
「……」
リーアはその様子を見るなり、口を手で押さえて瞬時に下半身を尾びれに変えると、空中に浮き上がって神殿から飛び出していった。
「リーア!?」
ああ、もう。最近、我が家ではたまにリーアが小声で話すこともあったけれど。
そのせいで気が緩んでしまっていたんだろうか。
誰も、親しい人を傷つけさせないって約束したのに!
「ティア、テッセラさんを癒したあとすぐ追っかけて! 浮遊つかえるお前じゃないと追いつけない」
「了解っ!」
ティアがテッセラさんに復元の魔法をかける。ついでに、ちょっと非難するかのようにエーナさんを一瞬見つめ。そちらにも復元の魔法をかけた。
「……何があったのかは想像がつきますけど。正直、見ていて気分が悪かったので」
金属音を立てて、エーナさんの腕の切断面を覆っていた銀の飾りが床に落ちた。
生えてきた腕を見て、エーナさんが絶句する。
何か言おうとしたテッセラさんを手で制して、「じゃ、太郎、あとは任せた」と言ってティアがリーアの後を追った。
「おう、そっちも任せた」
そう返してから、リーアのご両親に向き直る。
「……お互いに、何か悪気があってこうなったわけではないと思います。何があって、何を考えていたのか、もう少し話し合いませんか?」
俺の提案に、一瞬、顔を見合わせてから、リーアの両親は頷いた。
結論から言うと。やはりリーアの両親は、リーアのことを心配してああいう態度に出ていたらしい。
リーアのことを知ったのは、やはりわん子さんの放送だったようで、他のちび人魚さんたちとイモムシの追撃戦をしている様子を見て、「歌っている」リーアに驚いたのだという。
ご両親なのだから、当然、リーアのあの強烈な歌の力は知っていたようで、人前で言葉を話したり歌ったりしないように教育していたのだという。
他人を傷つけたりしないように。そしてなにより、他者を傷つけることによってリーア自身が傷つくことのないように。
だから、ご両親は人前で歌っているのが信じられなかった。そして、わん子さんの番組では映ってなかったはずだが、白く塩の柱のようになってしまったイモムシが映って、リーアが力を使ったことに気が付いてしまった。
「……わたしの腕は、リーアの歌が暴走したときに失われたんです」
エーナさんが、復元された左腕を見つめて言った。
「そしてそのときに、トリーアは何があっても、もう二度とあの力を使わないと、約束してくれました」
つまり非常事態だったとはいえ、俺やティアが無理矢理にリーアに歌わせたのだとご両親は疑っていたらしい。だから問答無用で連れて帰ろうとしていたのだという。
非常事態だったのだから~というのは言い訳にならない。
実は以前、闇神メラさんに相談に来ていて、あの力は女神でも制御できないと言われていたらしい。
「……リーアはたくさんの生き物を傷つけて、涙を流しました」
あの時は、殺した生き物は全て食べなければいけないという、悲壮な決意の涙にも見えたけれど。やはり、優しいリーアが傷付いてないわけがなかった。
「そして俺は、そして女神ティアは。二度とそんな悲しい想いをさせないと誓いました」
「口だけなら、なんとでも言えるでしょう」
テッセラさんが、俺をじっと見つめた。
「事実、トリーアは、わたしを傷つけた」
既に治ってはいるけれど、振り払われて傷つけられたことはテッセラさんにとっても衝撃であったのだろう。
「リーアは、うちでは最近、しゃべってくれるようになったんですよ」
「あなたのせいか」
非難するように見つめてくるテッセラさんを睨み返す。
「押さえつけて、何もなかったことにするのが解決方法だとは、俺は思いません」
確かに幼い子供であれば、何の気なしにうっかり力を振るってしまえば大変なことになるから、歌うな、そもそも言葉を発するなと躾けるのはまったくの間違いというわけでもない。
だけど、それがトラウマになるほど精神的に押さえつけられるようなものになってしまっているような気がしてならなかった。それは、良いことではないと思う。
最近リーアは、家では少しづつ喋るようになっていたし、ルラレラと一緒に歌の動画を作っていたのは自らの力を制御する訓練にもなっている。
たぶん、リーアは、そんな努力をご両親にも見て欲しかったんだと思う。
「これを、見てください」
俺は、リーアにお願いされてスマホに落とした動画の試作品を、ご両親の前に差し出して見せた。音声合成ソフトを使ったものではなく、リーア自らが歌ったバージョンのものだ。
「……これは」
「……」
歌声で、すぐにリーアの声だとわかったらしく、ご両親は黙って聞いていた。
「こんなに、楽しそうに歌うのね……」
エーナさんが、ぽつりと漏らした。
「歌えるように、頑張っているんです。だから、頭ごなしにその努力を否定しないで上げてください。歌が大好きなリーアに、歌うな、言葉すら話すなと、言わないであげてください」
「そうですか……」
二人だけで話したいこともあるだろうと、俺はご両親の前をいったん辞した。
「ティア、そっちはどう?」
『ん、捕まえた』
電話すると、すぐにティアが出た。余談だがスマホまでコピペされてるので自分の番号にかけるとティアが出るという不思議なことになってるのだが電話料金とかどうなんてるんだろな。
「こっちはご両親とお話した。リーア連れてきてくれれば、もう少し冷静に話し合えると思う」
『おー。ヘタレな太郎のくせに頑張ったんだ?』
「もとはおんなじく俺のせにえらそーなことゆーな。ってか、リーアはどんなだ?」
『やっぱね、つい、うっかり、でまた傷つけてしまったって、すっごいへこんでる。もうちょっと落ち着かせたら戻るから』
「そっかー。頼むな?」
『うん。……あ、ちょっと、リーア、だめだったら、ん、あ』
「ちょ、お前ら何やってんだ!?」
ぷつんと通話が切れた。落ち着かせるって、いったいナニやってんだあいつはっ!?
たっぷり1時間以上は経ってから、ティアとリーアが戻ってきた。
なぜか、ティアがリーアをお姫様抱っこした状態で。
「ただいまー」
「……おう、お帰り」
なんかため息を吐きたくなった。ティアの顔中にキスの跡がある。
「ってわけで、ご両親に娘さんをくださいイベント続行だよっ!?」
「イベントとかゆーな」
なんかテンション高めなティアに拳骨ひとつ落として、それから顔をぬぐってやる。
「ん、ありがと」
両手がふさがってるしな、ティアは。
「あと、ついでに」
こつん、とおでこを寄せて、簡単に情報の交換を行う。
「んー、概ね了解。太郎、マジがんばったんだ?」
「つーかお前の方はなにやってんだよ……」
なんかティアの方からの記憶はいっぱいフィルタがかかっててほとんどわかんなかった……。
マジで何してたんだこいつ。
「でへへー」
ティアがぺろりと舌を出した。
……でへへじゃねーよ。
三人で再びご両親を待たせた部屋に戻る。
「……」
「……」
リーアのご両親は、俺たちを黙って迎えてくれた。
「……」
「……」
つられてこちらも無言になる。
先の話し合いで、少しはお互いに事情がわかったのでまともな話し合いになると思ったのだが。
無駄な沈黙を破ったのは、リーアだった。
「ちち、はは、ごめんなさい」
小声ではあったものの、自分の口で歌うようにリーアが言った。
「……」
無言で両手を広げるエーナさん。
「……!」
それに気が付いたリーアが、エーナさんの胸に飛び込んだ。
「トリーア、お前の口から聞かせて欲しい。今、お前は幸せなのか?」
テッセラさんが、リーアの髪をなでながら尋ねた。リーアはその問いに、顔を上げて大きく頷いた。
「そうか」
ご両親は小さく頷いて、それから俺とティアに向かって頭を下げた。
「娘を、お願いします」
「え、はい」
ティアがぺこり、あわててと頭を下げる。
娘さんを私にくださいっ、って言う前にお願いされちゃったよとでも言いたげだった。
「ところで娘の嫁、というのはまあ理解しましたが。勇者様、娘の飼い主というのはどういうことなのか説明いただけますか?」
「うえっ!? え……ええーっとですねぇ……」
――なんて言い訳すればいいんだよっ!?
それからリーアのご両親に説明するのに、3時間かかったとだけ言っておく。
リーアEND。長々と引っ張ってきた割にはあっさり終わったり。
演出的な一部を除いて、基本的に各話内で語り手が変わる書き方はしない方針なので、ティア視点は書きませんでした。