42、「誰もいない、いない、いないから」
体感では五分か、十分くらいだったと思う。
息が続かないから、実際にはもっと短い時間だったのだと思う。
魔王ユラであるユイが「私」から顔を離して、ぱちくりと瞬きをして、はぁ、と深いため息を吐いた。
「……ほんとうに、貴女はひどいね」
目をさました魔王は、じっと避難する様に私を見つめて、またため息を吐いた。
「謝らないっていったしー?」
肩をすくめると。
「でも、責任はとってもらうからね?」
言いながら、魔王が両手を上げた。
「……あたしの負け。ほら、もう大丈夫だから、行きなさい」
魔王の声に応える様にブラのアーティファクトはしばらくぴかぴか光っていたが、一瞬強く輝くと、魔王の身体から血の汚れを消し飛ばした。それからもう一度ぴかぴか光ってから、魔王から離れて私の方に飛んできた。
「ん、お帰り」
するりと胸元に潜り込ませると、しゅるん、と動いて勝手に装着された。相変わらず付け心地は非常に良い。
「ってわけでーっ、勝者は女神ティア・ローちゃんでっす!」
寧子さんが、私の勝利を宣言した。
わん子「なんだかよくわからないですが、決着付いたみたいですよっ!?」
幼女領主「またタロウの嫁が増えたか……」
魔王ユイは破れたドレスの胸元を合わせて握りしめると、立ち上がった。それからクロの前に行って、「クロちゃん、今までごめんね」と言った。
クロは小さく首を横に振って、魔王ユイの前にひざまづいた。
「……じゃ、決着も付いたことだし戻ろう」
私が魔王ユイの手を取ろうとしたら、すっとかわされた。
「……」
無言で魔王ユイが指を鳴らすと、ユマの姿をした人形が起き上がって魔王ユイに寄り添った。
ユマの人形は私の復元が効いて、少なくとも表面上はすっかり元通りだ。
そのユマの人形が、お姫様だっこをするように魔王ユイを抱える。
「約束だから」
そう言って、魔王ユイはユマの人形と口付けをかわした。
「……えーっと?」
戸惑う私の目の前で、ユマの姿をした魔王が息を吐いた。軽く肩を動かして、何度か瞬きをして私を見つめてくる。反対に、抱きかかえられたユイの瞳からは生気が失われていた。
「……この身体、好きにすればいいわ」
そう言って、抱きかかえたユイの身体を私に向かって差し出してくる。
白い少年魔王の姿で、ユイのときのように女言葉なのがちょっとおかしかった。いやユマも体は女性のはずだけれど、これまでの少年のイメージが強すぎだったので。
「自分で言うのもなんだけど、結構かわいいと思うのよ? 大事にして欲しいな」
「いや、いらないから」
「……元は男なんでしょう? 別に、好きなようにして、いいんだけど」
どうしろっていうんですかっ。
石舞台から戻ってきたら、こっちのユイとユマが、シロクロと一緒に待っていた。
「……今度は、ちゃんと話聞いてくれるかな?」
私はユイとユマの前に、魔王ユイを突き出した。
「えーっと、太郎さん、結局何がどうなったんでしょう?」
ユイとユマの方は困惑気だ。
そういえば、結局画面で見てた人たちは何が起こったのか、よくわからなかったかもしれない。
「んとねー、つまり、この魔王はユマの成れの果てじゃなくって、ユイだったってこと」
端的に告げると、ユイとユマは顔を見合わせた。
「……そっか、そうだよね。むしろ、ユマだけが残るより、あたしが残る可能性の方が高い」
「落ち着いた今なら、わかる。確かに、ユイだ」
どうやら、その可能性も二人は考えていたらしい。端的な私の言葉ですぐに状況を把握したらしい。
対する魔王の方は、所在なげだった。なんだか、もじもじとして、頬を赤くして、ひどく恥ずかしげな様子だった。
「……」
「ユマの人形作って、自己同一化しちゃうくらい好きだったんでしょ、ユマのこと。このユマは正確には魔王であるユイと一緒に居たユマではないかもしれないけれど、本物のユマだよ?」
思わず口を出したら、魔王が顔を手で覆ってしまった。
「……言わないで欲しい」
どうやら、狂っていたときと違って正気になったら自分のやっていたことを思い出して恥ずかしくなったらしい。
ユマがユイと顔を見合わせて、小さく頷いた。そのまま、顔を隠す魔王ユイをそっと抱きしめる。
「失わなかった僕は、本当の意味で理解は出来ないかもしれない。けれど、今、僕はここにいる」
「……うん」
魔王ユイが小さく頷いて、ユマを抱き返した。
しばらくそっとしておこうとユイたちから離れたら、マイちゃんたち召喚組が勢揃いしていた。
「勇者さん、すごいです! あの魔王くんが降参するだなんて」
マイちゃんは少し興奮した様子で、しきりにぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「あたしには、どうすることもできなかったのに」
「いや、そんなことないよ。マイちゃんがいなかったら、この結果にはなってなかったと思う」
もしマイちゃんがいなかったら。本当の結衣のことを知らなければ。たぶん、私は魔王ユラの思惑通り、彼女を殺して終わっていたと思う。
「……」
マイちゃんの親友のみっちーさんは、ひどく不機嫌そうな顔だったけれど、ふん、と鼻を鳴らしただけで何も言わなかった。
「オンナ同士でキスするって、おまえヘンタイだなっ!」
魔法少女なタカシくんはなんだかちょっと顔を赤くしていた。意外と純情な子なのかもしれない。
「で、この後、みんなはどうするの?」
問いかけると。
『ん、決着がついたから、みんな元のセカイに帰る、かな』
ゆーりが、ホワイトボードにそう書いた。
微妙に縮んでいる寧子さんが、腕組みしながらそれに応えて頷いた。
「そだねー、決着自体はさっきのでついたけど、妖精大戦のルール上はまだゲーム終了してないから、帰ってもらわないとシステム上の決着にはならないんだよねっ! ってわけでとっとと撤収してくれると助かりまっす!」
『ん、了解、かな』
ゆーりが頷くと、みっちーさんが「ちょっと、待って」と声をかけた。
「どしたの、みっちー?」
マイちゃんが尋ねると、みっちーさんは腕組みして何か言いづらそうにしていた。
しかし、意を決したように。
「……わたしは、残るわ。夢が叶って、魔法が使えるようになったのに。帰りたくなんて無い」
と言った。
「それにこの子とだって、別れたくないわ」
そう言って、みっちーさんはお供の羽子さんをぎゅうと抱きしめた。
……どうやら、ひともめしそうな感じ?
手っ取り早く解決しちゃおうか。
「えーっと。一応、私には管理者権限あるから、ワールドパス発行できるけど、要る? それと、ここで身に着けた魔法とかの特殊能力って、ゆーりが許可すれば帰ったあとも普通に使えると思うんだけど。あ、ちなみにワールドパスもってるとこの世界に自由に行き来できるから」
ルラレラに事前相談なしにワールドパス発行しちゃうのはあれだけど、もともと掲示板組とか今回のゲームに協力してくれた人たちには渡す予定だったはずだから、マイちゃんたちに渡したって問題ないだろうし。
『ん、わーるどぱすは欲しい、かな。たまには遊びに来たい。だんじょんもまた作ってみたいし』
「じゃ、はい」
適当に体裁を整えて、電車の定期っぽい感じのワールドパスを創りだしてゆーりに渡す。
みっちーさんは、ぽかんと口をあけていたけれど。
ふん、と鼻を鳴らして私の手からワールドパスを奪い取るようにして持っていった。
「ほらほら、はやくてっしゅー」
ちみっこ寧子さんが、いそげいそげと、ぱんぱんと手を叩いた。
「じゃあ、いったん戻ってから、改めてまた来ますね。人魚さんたちにお別れも言えなかったし」
マイちゃんがそう言って小さく手を振った。
『じゃー、帰る、かな』
「うん、じゃあ、また」
手を振り返すと、ゆーりの足元に青い光で出来た巨大な魔方陣が浮かび上がった。
『召喚されてきたから、召喚で帰る、かな』
最後に狐面をちょっとずらして、ゆーりが笑った。
「また、ね」
転がる鈴の音のような、かわいらしい響きを残して。
マイちゃんたちは、ルラレラ世界から元の世界へと帰っていった。
「……」
……急に人が減ったせいか、微妙な寂しさを感じた。
「あれ?」
ちみっこな寧子さんが、首をかしげながらちょこちょこと走って私のところへやってきた。
「おかしいなー」
「どうかしたんですか? 寧子さん。あと、ずっと気になってたんですがなんで幼女化してるんですか?」
「えとねー、ちっちゃくなってるのは、うちの子達が創った世界だからかなっ!? でもって、問題発生。主プレイヤーである魔王ちゃんが降参したうえに、最後のフラグであるマイちゃんがこの世界から居なくなったってゆーのに、ゲーム終了できないんだよっ!? なんで?」
何度も首を傾げながら、寧子さんが光るウィンドウを立ち上げてカタカタを何か操作をし始める。
……そういえば、何か忘れてる気がする?
あ、イモムシバスターズはどうなってるんだろう。
まだつながったままだったウィンドウを広げる。女神対魔王の決着がついたあとはイモムスバスターズの様子を放送することにしたらしく、サボリさんや人魚さんたちが頑張っている様子が映し出されていた。
「手伝いにいくです」
みぃちゃんがそう言って、リーアとりあちゃんと一緒に出て行こうとして。
ぽん、と私からスズちゃんが出てきて、「どこへでもどあー、出すのです」ってドアを出してくれた。その様子を見て。
「あれ、そういえば、イコ、だっけ。マイちゃんのそっくりさんはどうしたんだっけ?」
いきなり襲い掛かってきたのを、魔王ユラが止めたあと。どこかで寝かされていたようだったけど。マイちゃんたちと一緒に帰ったのかな? って、イコはマイちゃんの並行世界の存在だから一緒に帰れるわけが無いのか。
「……え」
何か、ボタンを掛け違えているような、微妙な不安感を感じた。
「おっかしぃなー。マイちゃんもゆーりも元の世界に帰ったはずなのに、敵側のフラグがあと一個残ってるからゲーム終了できないみたい」
寧子さんがウィンドウから顔を上げて、それから私の方をみてぎょっとした顔をした。
「え、何?」
思わず後ろを振り返ると。
――まるで幽鬼のように、少女がぽつん、と一人、立っていた。
「……誰も居ない。いない、いない、いない。だから」
イコは壊れたレコードのように「いない」と繰り返しながら、首を斜めに傾けた。
「あたしは……まだ、終わりにしないっ!」
力を溜めるように、両手を胸の前で合わせて、イコが叫んだ。
「おや、イコちゃんにフラグの反応あり?」
寧子さんが驚いた顔をして。
これは、いったい、何がどうなってるんだろう。
そういえば、マイちゃんがルラを連れて逃げてきたのは、イコに命を狙われたからだとか言ってなかったっけ?
マイちゃんが死ねば、スズのフラグが無効になってさらにイコがフラグを得られるとかなんとか……。
――どうやら、最終戦のあと、隠しボスが出てきたみたいです。