33、「死に至る病」
――暗闇の中、ツー、と電話の発信音のような音が聞こえる。
その音がプツン、と切れた瞬間、視界が明るくなった。
ぐるりと見回す。飾り気のない、白い部屋。壁も天井も床も、すべてが白一色。
白いカーテンのゆれる窓際に置かれた白いベッドの上に、目以外がすべて真っ白な誰かが横たわっていた。鮮血のような紅い瞳。見開いているということは、寝ているわけではないんだろう。白いシーツに隠されたその人影はずいぶんと小柄なもので、子供なのだろうと思われた。
「――誰だ」
不意にかすれたような、子供特有のカン高い声がした。ベッドに横たわる子供、なのだろうか。幼い割に誰何するその口調には詰問するような響きがあり、不快感を隠そうともしていなかった。こちらに目を向けることなく、紅い瞳で天井を見上げたまま、その子供はもう一度誰何の声をあげた。
「――誰だと聞いている。用がないならさっさと出て行け」
ぶーんと小さく機械音がして、子供の横たわるベッドの一部が半身を起こすように折れ曲がり、さらにはゆっくりと回転して正面をこちらに向けた。じろり、とその紅い瞳がこちらをにらみつけてくる。幼いながらも整った顔立ち。長く伸びた白い髪はゆるくまとめられ肩から前に垂らされていた。検査の際にでも結び忘れたのだろうか。病院着らしい白い服は胸元が開いていて、わずかに膨らみかけの乳房が見えそうになってた。
「ふん、僕の体が不自由なことを知りイタズラでもしようと忍び込んだのか? あいにくだが不審者にいいようにされるような趣味はないのでな。これが最後の問いだ。貴様は誰だ? 答えないのならナースコールを使う」
「……えっと」
俺はなんと答えたものか迷った。状況がよくわからなかった。ここはどこなのだろうか。
マイちゃんが、ユイの記憶を見せる、と言っておでこをこつんとしてきたのは覚えている。
しかし、どうやら単純に誰かの記憶を見せられる、というわけではなく。もしかして俺は、記憶の中の世界に入ってしまっているのだろうか。
……そして、目の前のこの少女は、誰なんだろう?
自分のことをボクと言い、まるで少年のように振舞っているがどう見てもその姿は女の子で、その姿に見覚えはないのだけれど、どうにもその口調に聞き覚えがあるような気がして何かが引っかかる。
「はッ、時間切れだ。三分以内に人が来る。逃げるなら今のうちだぞ」
つまらなそうに吐き捨て、こちらに興味を失ったかのようにベッドの向きを元の向きに戻す少女。
「……君は、どこか身体が悪いのか?」
状況が理解できないまま、俺は思わず口に出してしまった。
「こちらの問いには答えず、質問を返してくるとはなんとも無作法で無遠慮な侵入者だな? 見てわからないならば言ってもわかるまい。しかし、まあ、どうやら僕自身を目的としてここに来たわけではないということか、貴様は」
再びベッドが回転して、その正面をこちらに向けた。じろり、と上から下までこちらを値踏みするかのように見つめ、少女はふん、と鼻を鳴らした。
「病院に誰かの見舞いに来るような格好じゃないな。登山でもするか、あるいはどこかの洞窟でも探検してきたようなふざけた格好をして。たまさか僕の病室に迷い込んだだけだというなら今すぐに去れ。そうでなくともナースコールをしたのは本当だからすぐに人が来る」
言われて、ようやく自分の格好に気がついた。先ほどまでの、巫女装束ではなくなっていた。シルヴィのダンジョンを探検していたときの動きやすい厚手のジャージ姿になっていて、いやそれどころかいつのまにか「俺」は鈴里太郎の格好になっていた。ぱたぱた、と体の各部を触って、確認する。
見知らぬ少女の病室に忍び込んだ、変な格好の男。これは確かに不審者以外の何者でもなかった。
「ええと、俺は鈴里太郎といいます。なんでこういう状況になっているのかさっぱりで。君は誰でここはどこなんだろう?」
「はッ、いまさら名乗ってももう遅い。それにその歳で迷子だとでもいうのか? もっと笑えるウソをつけ」
少女が吐き捨てた。そのとき、背後でスライド式のドアがゴロゴロと小さな音を立てて開いて。
「やっほー! ユマ、来たよーっ!」
背後を振り返ると、花束を抱えた女の子が入ってきた。
「……あれ、珍しいね、お客さん?」
きょとんとした顔で、俺をみつめるその顔は。
「……君は、ユイ、ちゃん? ということは……」
つい先ほど、ウィンドウ越しに会話をしたユイの姿に間違いなかった。そして。そのユイがユマと呼ぶということは、この白い少女はもしかして……。
ゆっくりとベッドの上の少女の方を振り返る。
言われてみれば、という程度ではあったものの。髪をもう少し銀色っぽくした上で少年のように短く切りそろえれば、あの白い少年魔王に見えなくもない、と思えた。
じろじろ見つめる俺を不快に思ったのか、ひどく不機嫌そうな顔で少女はぎろりと俺をにらみつけてきた。
「……貴様、ユイの知り合いか?」
「えー、ユマのお客さんじゃないの?」
ユイと、ユマと呼ばれた白い少女が顔を見合わせる。
「まさか、魔王ユラ?」
思わず指差してしまって。
「誰が魔王だ」
むっとしたような顔で、白い少女が不機嫌そうに言った。
どうやら普段から何でもないことにナースコールを使っていたらしく、日頃からあまり看護師の心証がよくなかったようだ。やってきた看護師は「なんでもない、帰れ」と白い少女に言われてひどく疲れたような顔で「またですか」とひとつため息を吐いて、いかにもな不審者である俺のことなどまったく気にすることなく出て行った。
こういった長期入院間患者っぽい病室だと訪れる人も限られているようだから、普通は俺みたいな場にそぐわない格好をした男がいたら確認のひとつもしそうなものだけど……。
「……しかし、貴様は格好だけでなく頭の中身もふざけているようだな?」
白い少女、巫女神由真は俺をちらりと見てつまらなそうな顔で息を吐いた。
「僕が魔王で、貴様のセカイを攻めている、そう貴様は言ったが、頭が膿んでいるとしか思えないふざけた妄想だ。ここではなく、貴様が行くべき病院は他にあるんじゃないか?」
「……」
まあ、確かにそう言われても仕方がないとは思うけれど。
相変わらずの嫌味ったらしい口調ではあるものの、どうやら由真は俺に興味を抱いたらしくユイちゃんにパイプ椅子を持ってこさせて俺に勧めた。
「ユマ、それってさ、セカイツクールの話なんじゃなぁいっ? あたしはやったことないけど、通信対戦できるらしいよ?」
ベッドの横にはアンテークっぽい木で出来た椅子に座ったユイが腰掛けていた。わざわざこんな椅子を病室に運び込んでいるところを見ると、ユイはかなり頻繁に由真の病室を訪れているのだろうと思われた。
「ねえねえ、太郎さんの創った世界ってどんなかんじなの? あたしちょっと興味あるな!」
ユイはかなり人懐っこい性格のようだった。きらきらと顔を輝かせて、興奮したように足を揺らしている。
「俺が創ったわけじゃないんだけど……」
勇者として招かれて、いつの間にか女神になっていただなんて、なんとも説明しづらい話なのでもにゃもにゃと口ごもってごまかす。
ああ、でも、スマホで撮った写真とかあったかな。記念撮影みたいなのは何度かしてるし。
尻のポケットからスマホを取り出してから、ふと、この状況でスマホの中身とか見られるんだろうか?と一瞬、首をかしげる。
そこに。
「おや、太郎さま、なんとも変わった場所にいらっしゃるんですね!」
ひょこん、とスマホからナビが飛び出てきた。俺の手を伝って肩まで駆け上がって、ぐるりと部屋の中を見回す。
「……それは、なんだ?」
驚いた顔で、目を見開いて由真が言った。
「ボクはナビ。太郎さまのナビゲーターなのですよ!」
俺の肩の上で、小さく胸を張るナビ。
「うわーかわいい! って、えー、なんでナビゲーターがこっちで実体化してるの?」
ユイも驚いたようで、ナビを見つめて目を白黒させている。
「……え? こういうものじゃないの?」
俺はナビしか知らないから、一般的なセカイツクールのナビゲーターというものがどういうものかはよく知らなかった。ルラレラ世界の光神ミラが元はルラレラのナビゲーターだったらしいけれど、現在は世界神であってナビゲーターではないし。
「ほら。あたしのくろちゃんは、こんなだよ」
そう言ってユイが携帯端末を取り出して画面をこちらに向けた。ガラケーというやつだろうか。スライド式の携帯電話らしきその端末の荒い画面にはアニメ調の三頭身くらいの黒い男の子が映し出されていて、フキダシで「こんにちは、私はクロです」と表示されていた。
ああ、そういえばナビも最初はこんな感じだったよなーと思い出した。ガラケーで動くとはとても思えないくらい自然なアニメーションをしているところも同じだった。
「おおー! こちらこそこんにちわですよー!」
ナビがぴょこんとユイの手に飛び乗って、ガラケーに映るクロに向かって丁寧にお辞儀をした。突然、手に乗られたユイは驚いたようで「はわわ、かわいい」ってなんだかほにゃーんとしている。
「しかし、セカイツクールを持ってるってことは、ユイちゃんも女神なの?」
魔王ユラであるユマは当然、セカイツクールのユーザーであろうと思っていたけれど、幼馴染だというユイの方までセカイツクールのユーザーだとは知らなかった。
「えー、女神だなんて、ハズカシイ……」
なんだか照れたように身をよじらせるユイ。
「なにが女神だ。はッ、くだらねー」
不機嫌そうに由真はそう言って俺をにらんできた。
「由真ちゃんは、」
「気安く僕の名前を呼ぶな」
「もう、ユマってばツンケンしちゃってー」
ユイが小さく笑いながら手の上のナビをそっとユマに差し出した。
「近くで見たいならそう口に出して言いなさい」
突き出されたナビは、「うにゅ?」と首を一回ひねって、それから「了解ですよー!」とぴょんと由真のベッドに飛び降り、膝の上あたりにちょこんと腰掛けて由真を見上げた。
「えへへー」
ナビがにこにこと愛想を振りまく。
由真はわずかに口の端を吊り上げて、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。しかしどうやらユイの行動は正しかったらしく、機嫌を直したらしいことは何となく感じられた。
紅い眼はわずかに細められ、膝の上のナビを見つめている。性別は不明だがナビも見た目だけはかわいいし、年頃の少女としてはああいった小動物っぽいものに興味を示すのも当然ではあったが。
……気難しいっていうか、面倒な子だよなー。
内心で俺は、ため息を吐いた。
ナビが由真の肩によじ登ったり、頭の上に上ったりしている間に、ユイちゃんからいろいろ話を聞くことが出来た。
由真は白子という先天性の色素異常であること。事故で脊髄をやられて半身不随になり、ほとんど身体を動かすことが出来ないということ。その事故で両親も失っていること。
いろいろあって、だからちょっとひねくれちゃってるけど、ほんとは優しいいい子なんだよっ、と由真に聞こえないようにだろうか、ささやく様に俺の耳元でそう言ってユイは笑った。
ユイとそんな話をしているうちに、気がつくと由真は膝の上にタブレット型の携帯端末を乗せてナビと何やら楽しげに話していた。
由真が楽しそうな顔をしている、というのがちょっと驚きで、何を話しているのだろう、と思っていたらナビがぴょこんと顔を上げてこちらを向いた。
「太郎さま! ちょっとお呼ばれしたので行って来ますね!」
「ん? どこかに行くの?」
「由真様のセカイにちょっとお邪魔してきますっ!」
いうなり、ナビが由真の膝の上のタブレットに飛び込んだ。
「あー、ずるーい! あたしはまだ一度も招待してくれてないのにー!」
ユイが口を尖らせて由真に詰め寄る。
「……ふん、まあいい機会だ。他人に見せるのはまだ恥ずかしいシロモノではあるが。ユイもおいで。だが、そこの不審者。貴様は当然、却下だ」
「興味がないといえばウソになるけど、あとでナビに聞くことにするよ」
ひらひらと手を振って、いってらっしゃい、と言うと。
むすっとした顔で、由真が口の端を吊り上げた。
「はッ、まさかセカイにログインした僕たちの身体にイタズラする気じゃあるまいな? 気が変わった。貴様も来い、強制だ」
「初対面で信用がないのはわかるけど、男性すべてを性犯罪者みたいに考えるのはやめて欲しい……」
……どうやら俺が食い下がって、世界を見せてください、とでもお願いするのを期待していたのだろうか。本当に天邪鬼というか面倒な子だ。要するに、そろそろ他人の意見を聞きたくなるレベルにまで世界が出来上がっていて、自慢したい感じなんだろう。
それより、世界にログインすると身体がこちらに残るらしいところが気になった。精神だけ世界に入る感じなのだろうか。あるいはよくあるダイブ型のVR技術的なものなのだろうか。
俺がルラレラ世界やセラ世界に行くときには電車で身体ごと行くわけで、現実世界の方に身体が残ったりはしない。この二人の持つセカイツクールは仕組みが違うのだろうか?
「……そういえば、ちょっと気になっていたんだけれど、二人のセカイツクールって誰からもらったの? やっぱりこの世界の女神様からなのかな」
「何を言っているんだ貴様は」
由真が、いぶかしげに俺をにらみつけた。
「セカイツクールなんて、少しネットをあさればそこら中に転がっている、よくあるアプリに過ぎないだろう。第一、神なぞ存在するものか」
「え?」
あんな非常識なアプリが、そこら中に転がってるって。それ大丈夫なのか?
……ああ、でも、わりと聞き流していたけれど。魔王ユラと剣を交えた際にずいぶんと不思議なことを言うなぁと思っていたことを思い出した。ネットの記事ではセカイツクールを手に入れた人が最初にすることは~みたいなことを確か言っていた。
ネットで記事になるくらい一般的にセカイツクールが広まっている世界なのかここって。
寧子さんの世界だと、俺とルラレラくらいしかたぶん持ってないと思うんだけど。そういった点でもずいぶんと認識が違うようだ。
そして、神なんかいないと言うということは。
「君が、世界を創るように、この世界を創った人がいると考えたことはないのかな?」
「はッ、馬鹿らしい。それこそ神じゃあるまいし」
馬鹿にするように吐き捨てて、由真はふん、と鼻を鳴らした。
「……そっか」
今、全てを話してもきっと無駄だろう。ここがどういった場所なのかはわからないけれど、実際に過去の由真や結衣がいた世界だとは思えない。おそらくはマイちゃんが使った特殊能力のせいで作られた擬似的な世界なのだろうと思う。
なら、このままこの世界で過ごしていれば、魔王ユラの、そしてユイの悲劇を見ることになるのだろうか。
「――馬鹿なことを言っていないで、こちらに来い。僕の世界に招待してやる。気は進まないが、男の視点による意見もそれなりに参考にはなるだろうさ」
「うん、わかったよ」
小さくうなずくと、ユイが由真の膝の上のタブレット端末に指を乗せた。
「じゃ、太郎さんもはやくー!」
どうやら、セカイツクールの入っている端末に触れることでセカイに出入りするらしい。
「――じゃあ、お邪魔します」
ベッドの脇から手を伸ばしてタブレット端末に触れると。
ゆっくりと持ち上げられた由真の小さな手が、俺の指の上に重ねられた。
「ふん、ようこそ、僕の世界へ。少しは退屈もまぎれるか」
そのとたん、吸い込まれるようにして俺の意識は閉じた。
なるだけ短めにしたいですが、しばらく過去編っぽいの続くと思います……。