30、「交換条件」
イモムシの赤い攻撃色が、水面に波紋が広がるように静かな青い色に変わってゆく。
手前のイモムシの波は完全に動きを止めていて、奥からさらに押し寄せてくる赤い波とこちらから広がった青い波がしばらく拮抗していたが、やがて青い波が勢いを増して赤い波を遡って行った。
「……うわー。なんかすっごいねー」
思わず私の口からボヤキが漏れた。
下着のアーティファクトだなんて戦略級兵器を手に入れて「テンプレチート来た! これで勝つる!」とか思ってて、でも結局流れは止められなくて「イモムシには勝てなかったよ……」とかへこんでたら、リーアに全部持ってかれたでござる、って感じだよね。
女神になって力を得て、純粋な破壊力に少しばかり驕っていたのかもしれない。
壊すことだけが力じゃない、というのをリーアに見せつけられた気がしてちょっと反省。
……でも下着のアーティファクトのスキルってなんかほとんどが攻撃系なんだよね。
リーアの歌声に耳を傾けながら、ぼんやり考えていると、リーアが歌いながらホワイトボードに何か書いた。
『できれば このさきは たろうにはみられたくない』
『でも、ぎゅってしていてほしい』
「ん、りょーかーい」
背中側から前に手を回して、リーアのお腹に負担がかからない程度にぎゅっと抱きしめる。
リーアはまだ何かやる気なのかな?
見られたくない、というのが少し気にはなったが、今の状況で目を閉じるわけにはいかなかった。この辺りはすでに敵の領域と化しているし、いつ魔王の手が伸びてくるとも限らない。
リーアのお腹に、きゅ、と力が入ったのが感じられた次の瞬間。
――それは、高い”シ”の音から始まった。
先ほどまでとは打って変わって、速いテンポで、どこか不安になる音色で、攻撃的に空気を震わせている。
ぴん、ぴん、と時々可聴域を超えかけた高い音が耳朶を打つ。
歌っているのはリーア一人なのに、まるで何人もで合唱しているような複雑な歌声。
高い音色なのに、腹に響いてくるような力強さがあって、それでいてどこか冷たく、突き放すような。
……リーアはこんな歌も歌うんだなー。
のんびりとした、優しいリーアとは、少しばかりイメージが違う気がした。
どこか超然とした高みに有って、能面のような顔で「死ね」とささやいているような。
……って、え? 視界の端になんか変なログ流れてるんですけど。
≪致死判定の抵抗に成功しました。≫
≪致死判定の抵抗に成功しました。≫
≪致死判定の抵抗に成功しました。≫
…
3秒おきくらいに、なんか怖いログでてるんですけどー?
リーア、何をやって……。
尋ねようとして、リーアの小さな肩が震えているのに気がついた。暖かな滴が、私の腕にぽたぽたと落ちてきている。
「……」
無言でリーアを抱く手に力を込めた、そのとたん。
――ひと際高い”死”の音が草原に響き渡った。
リーアを中心として、今度は白い輪が広がっていく。動きを止めたイモムシたちが、乾燥したように白く乾いて、ぽろぽろと崩れ落ちてゆく。
まるでゲームで倒された雑魚敵が、光の粒子になって消えていくようだった。
とてもリーアがやったことだとは思えなかった。女神である自分だって、そうそう出来る様なことではない。ルラレラだってなんの準備もなしに出来るようなことじゃないだろう。前もって準備をすればセカイツクールはなんだってありだからできなくはないだろうけれど、ゲームに参加している今は無理な話で、仮にできたとしても今度はこれだけの大規模な現象を起こすには必要なマナが膨大になりすぎて不可能だ。
……これ、まさか、こっちのルール違反になったりしないよね?
数刻ののち、ぷつり、と突然リーアの歌声が途切れた。
「……」
どういった理屈によるものなのかはさっぱりわからなかったけれど、この近辺のイモムシの流れは完全に止まった。それどころか、今現在を持って流れを遡るようにして青い波と白い波紋が赤いイモムシの波を削っている。
歌い疲れてぐったりとしたリーアを抱きかかえながら、ゆっくりと地面に降り立つ。滑るように滑空しながら移動して近くのイモムシの残骸を確認する。
塩の塊みたいな感じかな。
つん、と指でつつくとぽろぽろと崩れ落ちた。なむなむ。成仏してください。
『たろー』
「ん。なあに? リーア」
力なくホワイトボードを振るリーアの膝の裏に手を回して、お姫様抱っこの格好にする。リーアはお腹の上にホワイトボードを乗せて、ゆっくりと文字を書いて行った。
『おうち まだある?』
「リーアが頑張ったから、無事だよ」
『手紙 まだよまれてない』
『わたしと 父と母つなぐばしょ あそこだけ』
『なくなる いやだった』
「そっか」
そっとリーアの頭をなでる。
『わたしのうたは まほう』
『わたしが望む方に うんめいをかえる』
『うたは好き でも、だからこれまで歌えなかった』
「うん」
慰めるように、何度もリーアの頭をなでる。
ぽろぽろと、リーアの瞳から暖かな滴がこぼれた。
『たべない生き物 ころす よくない』
「わかってる。リーアが悪いわけじゃない。あのイモムシたちが悪いわけでもない」
大丈夫だよ、とリーアを抱く手に力を込めた。
『だから たろー』
『たべるのてつだってほしい おねがい』
「……いや、これ全部食べるとか無理だからっ!」
思わずツっこんでしまった。
ってゆーか、まさか泣いてたのって一人で食べるの大変だなーってそういうこと?
とりあえず少しでもリーアの気が済むなら、とイモムシのカケラでも持って帰ろうとして。
「……ん?」
イモムシの身体を貫いている黒い棒に気が付いた。
これ、敵側のポータルに似てるよね? なんでイモムシの身体の中に、って。
……まさか、これが通信遮断の原因? イモムシが広がるごとに敵の領域が増えてる気がしてたけど、イモムシごとポータルを広げてたってこと?
周囲をざっと見回してみるが、近場にはポータルらしきものはこの一本だけだった。とりあえず機能しないようにぺきんと半分に折って投げ捨てた。
一石何鳥にもなる作戦だね、敵ながらもう、ほんっとに嫌になる……。
イモムシに埋め込まれていたら、発見するのは困難だし移動するし。ただイモムシを倒しただけではポータル無事かもしれないし、頭痛くなるね……。
とりあえずこの近辺の流れは止まったけれど、最初のポイントを含めて現在進行形で危険な個所があるし、いったん戻らなきゃね。
リーアを抱きかかえたまま、東の方に移動しようとすると。
『ん、通信回復したの! おねーちゃん、状況おしえてぷりーずなの』
『周辺探知の結果、流れがかわったことは確認できたのー』
どうやら敵のポータルを破壊したことによって通信が回復したらしい。ルラレラの声が聞こえてきた。
「ん、リーアがすごいことした。ただ、たぶんこれ味方も巻き込むからリーア単独か、私が一緒じゃなきゃ使えない手だねー」
それにリーアにつらい思いを何度もさせたくないし。
「それと、前ねこねこ動画にリーアの歌アップしたときのことを考えると、通信で見てると司令部の方も危険かも。あ、ルラレラは過去ログ見るとき注意してねー」
まあ、仮にもこの世界の女神なんだからルラレラは平気だと思うけれど。呪いにも近いあの歌は、下手をすると文字に起こしても影響を与えかねない気がする。神代魔法とか文字でも呪文でも発動するしね。
『らじゃったのー』
『りょうかいなのー』
ルラレラの返事があって、それから転送回収の承認を求めるウィンドウが目の前に現れた。
OKを選択しようとしたら、リーアが少し泣きそうな顔で私の手を止めた。
「どしたの、リーア?」
尋ねるも、無言でぎゅっと私の胸元をつかんで首を横に振るばかりだった。
「……帰りたくないってこと?」
『わたしは……』
リーアが何か書きかけて、続きを手でぬぐってかき消した。
『一度うたった 二度め、うっかりあるかもしれない』
『わたしはきっと、ひとりのほうがいい』
「寂しいこといわないの、リーア」
ぎゅうと抱きしめて、かわいいほっぺにキスをした。鼻の頭と、おでこと、ほっぺにキスの雨を降らせる。涙をぬぐうようにそっと目元にキスをして、びっくりしたのかじたばた暴れるリーアを逃がさないようにぎゅっと抱きしめた。
「――~~!!」
「おまじないだよ」
最後に、その小さな唇にそっと口づけた。
「リーアは大丈夫だから。大事な人を傷付けたりしないから」
『あー、いいかんじのとこごめんねー』
不意に脳裏に割り込んできた良く知っている声。
「……あれ、寧子さん? どうしたの」
あああ、やっぱ見てたんだなーとちょっと恥ずかしくなったものの、まあ寧子さんがこっちの様子をうかがってるのはいつものことだ。平静を装ってみるものの、内心、心臓がどっきんしていた。
今は女神で、だから気安くリーアにキスなんかしちゃったけれど、本来なら事案発生というやつなわけで。寧子さんに白い目で見られるのはちょっとつらい。
『えっとねー、先方から、魔王側からクレームついてね、いまのはルール違反じゃないのかって。でもってあたしはルール上問題ないと判定したんだけれど、納得してくれないのよ』
ああそう言えば寧子さんって、このゲームの審判役もやってるんだっけ?
「あー、クレームってつけてもいいんですか? それなら向こうが用意したこのイモムシの群れこそルール違反じゃないのかって問いただしたいものですけど」
『お、話がはやいかも? 条件はそれでいいかなーっ?』
「話が見えないんですケド?」
『あたしは全部を知ることができる状態で判定してるから、ルール違反じゃないっていえるけど、もちろん相手側に詳しい内容を教えたりはしないわけよ? だから、交換条件で互いに公開してルール違反じゃないと納得してもらおうってわっけー』
「うん? つまり、向こうが大量イモムシを用意した手段を公開するかわりに、こっちはリーアの秘密を公開するってこと?」
『そうでっす。で、それでいいかなー?』
寧子さんの答えに、少しばかり考え込んだ。向こうが大量のイモムシを用意した手段がわかれば、対抗策も考え着くかもしれない。対して、リーアの情報を漏らせば……って、どういう理屈でリーアがイモムシ退治したのかなんて私知らないんですけどー。
『あー、えとねー、リーアちゃんって、太郎くんと同じで特異点っぽいんだよねっ。あと、ゆーりちゃんとかも。うちのちみっこちゃんたちがこのゲーム中にそういう特殊能力を自軍のユニットに付けた、とかじゃなくてもともと持っていた能力だから問題ないって判定でっす!』
「……なんかこのゲームのルールってガバガバじゃないですか?」
『もともと持ってる能力に制限付けたら、セカイの運営すらままならないじゃないっ? だから世界神の闇神メラちゃんとか光神ミラちゃんとかもまったく制限かかってないよっ!?』
「……やだ、そこまで有利でここまで追い詰められてた私たちってばかみたいじゃないですかー」
『油断してたキミたちがわるいのだー!』
「……ソウデスネ」
『ってわけで、条件はさっきのでおっけー?』
「……ルラレラには?」
『おねーちゃんの判断にまかせるのー×2だってさ』
「じゃ、それでいいです……」
リーアのことがばれると敵が積極的に狙ってくる可能性はあるけれど、さっきまでここらは敵の領域だったわけだからすでにリーアは敵にマークされていると考えておくべきだよね。
ならば敵に公開することに問題はないはず。
魔王側とやりとりしていたのだろうか。数分ほど待つと、寧子さんから再度脳裏に声が響いてきた。
『魔王側からもその条件でいいって回答あったから、イモムシの秘密おっしえっるよー?』
「ああ、はい」
『まあ、単純な話、イモムシを大量に捕まえてきたわけでも召喚したわけでもなくって、一匹そこの草原で捕まえて来て増やしただけなんだよね。某青い猫型ロボットの秘密道具、バイ○インって知ってるー? その薬をかけたものが一定時間で倍々に増えてくってやつなんだけど、ああいうのを使ったわけなのだよーっ』
あれだ。栗饅頭を増やそうとして欲張って、食べきれなくなって最後ロケットで宇宙に飛ばしちゃうやつ。そのうち宇宙が栗饅頭で埋まっちゃうのか、宇宙の膨張スピードとどっちが速いのかとか昔読んだときちょっと悩んじゃったやつ。
「……それ、ありなんですか?」
つまりマナを消費したのは最初にその道具かなにかを創ったか使ったかしたときだけで、あとはノーコストでイモムシ倍増ってちょっとひどすぎない?
……って待って、それって。
――今現在も倍々で増え続けてるってことっ!? 元を絶たなきゃ、いつまでもイモムシがあふれ続けるってことなんじゃっ!?