6、「迷宮に鳴り響く鐘の音」
【女神フェーズ】
『魔王のしもべは もじもじしている
すらりんは もじもじしている』
大きく息を吸い込んで、メイドのキィさんに向かって盾を構える。
「……」
キィさんは相変わらず無表情に、ぼーっと突っ立っている。
「ふぁいあー」
ダロウカちゃんが、また魔法を唱えた。俺たちはまだほとんど戦闘をしていないので全員1レベルのままだ。ダロウカちゃんはファイアしか使えない。
「……はぁ、よいしょ」
キィさんはダロウカちゃんの魔法を、手にしたモップで軽く弾き飛ばし、またスタンバイモードというか、ぼーっと突っ立った状態に戻ってしまった。
――完全に遊ばれてしまっている。というか、まるで相手にされていない。
荒稼ぎしてるパーティをつぶしに来たとか言っていたし、レベル1の俺たちが早々勝てるような相手じゃないのかもしれないが、さすがにちょっと悔しすぎる。
戦士の1レベルの特技は、スラッシュだったよな?
タイミングを見計らって……。
「……そういや、キィさんって、ディエと同郷だったんでしたっけ」
「同郷……という言い方は微妙に変な気はしますが。ええ、はい。確かに」
「ふぁいあー」
ぼーっとした様子のキィさんが、会話に気を取られることなく、無造作に振るったモップでダロウカちゃんの魔法を三度弾き飛ばした。
――その一瞬の硬直を狙って、戦士の特技を使用する。
「スラッシュ」
「……はぁ、えいっと」
キィさんは全く動じることなくモップの柄で俺の新聞紙ソードを受け止めた。
「……そういやディエってなんで別の世界にやってきたのかわからないらしいですけど、キィさんの方はどういった経緯でルラレラ世界に来ることになったんですか?」
じりじりと鍔迫り合いをしながら、のほほんと会話を続ける。
「……はぁ、そうですね。それが私も詳しいことはよくわからないです」
「そうなんですかー、っと!」
気配を感じて、盾を構える。と、キィさんの後ろ回し蹴りががつんと盾ごと俺の身体を弾き飛ばした。ちらり、とのぞいたスカートの中の白い何かを確認する余裕もなかった。何とか転ばずに済んだが、数メートルは後ろに飛ばされて、片膝立ちの状態だった。
見かけによらず、すごい力だ。
そういや、ダロウカちゃんとバトルしてた時も叩きつけたモップで石舞台がえぐれたりとかしてたよな? オートマタってゆーのは意外に力持ちらしい……。
「……ええとですね、覚えているのは。ディエンテッタさんがうちに遊びに来た次の日の朝早く、宅配便が来まして。なんかカチカチと時計のような奇妙な音がしていると思っていたら……それっきり記憶がないんです。気が付いたら光神神殿に居たらしく、それ以来、光神神殿でお世話になっています」
「……カチカチ音がする宅配便って、それ時限爆弾とかだったんじゃ?」
いったいどういう状況だったのか想像もできない。
どういったものなのかはわからないが、聞く限りでは爆弾か何かでドカンといった衝撃で別の世界に飛ばされてしまったということだろうか。
ディエもキィさんも日本語を話しているし、聞いた感じではホムンクルスやオートマタといったちょっと独自な技術が発展している他は、俺の知る現代日本とそれほど変わらない感じの世界のようだったが、時限爆弾とかで吹っ飛ばされるようなとこだったんだろうか。
いつだったか、寧子さんがディエのことを「世界を滅ぼすモノ」だとか言っていたのも気になる。ディエ達は誰かに命を狙われるような、そういう存在、なのだろうか。そうであるならば、今こうして別の世界とはいえ平穏無事に暮らせているのはよいことなのだろうか。
……ディエ達が元の世界に帰る手段とか、必要ないんだろうか。
一瞬、考え込んでいると。
「あー! 太郎が通りすがりのメイドさんに襲い掛かってるぅー! ……欲求不満なの? 今度おねえちゃん、メイド服着てあげようか?」
今頃になってようやくバトルに気が付いたのか、りる姉が妙な声を上げて駆け寄ってきた。
所々に非常灯の緑のランプが点いてはいるものの、基本的に真っ暗だから少し離れると何をしているのかわかりにくい。新聞紙ソードじゃ剣戟の音も響きやしないから今まで気が付かなかったのだろう。
あとりる姉のメイド服姿はちょっと見てみたい。口に出しては言わないけれど。
「……りる姉、ゲージ見て。キィさんは敵役だから」
「それは、げへへ、おっと手が滑ったー、敵役なんだからちょっとくらい変なとこにあたってもしょうがないよね、って言い張るための言い訳?」
「いや、違うから」
「……はぁ。私は一応、人間を模して作られていますから。やわらかいですよ? むにむに」
キィさんが、無表情に自分のほっぺを軽く引っ張ってびにょーんと伸ばした。
「きぃちゃんは、ぼん、ぎゅ、ばーんじゃないけど、ぺちょ、きゅ、つるんって感じなの!」
肩に乗ったディエがなぜか大きく小さな胸を張って言い放った。
「作成者の趣味、らしいです……。って、私の作成者って誰でしたっけ」
キィさんが不意に首を傾げた。本物妖精のあーちゃんをディエだと勘違いしていたり、微妙におかしなところがあるキィさんだったけれど。まさか、記憶に欠落とかあるんじゃないだろうな?
「どなたか知りませんが……鈴里さんと、趣味が合いそうな方ですね?」
真白さんが、闇の中からすーっと現れて、キィさんに斬りかかった。
いや俺ロリコンちゃうし。
「……はぁ、そうなんですか?」
キィさんは、真白さんの方を見もせずに、手にしたモップで剣を受け流し。
「……ッ!」
背後から突きを放とうとしていた真人くんのダガーをひらりとかわす。
「……後ろに目でもついてるんですか?」
すぐさま距離を取って、真人くんが驚きの声を上げた。全く音を立てていないのに、今の勇者候補生コンビの連携をあっさり躱したのは見事の一言だった。
「ディエさんが二人いますから」
キィさんは無表情に答え、スタンバイモードに戻った。
そういや、頭の上にはあーちゃん、肩にはディエが乗ってるんだっけ。妖精さんたちは小さいから気が付きにくいけれど、実はキィさんは一人じゃないのだ。何の役にも立たないように見えて、妖精さんたちは周囲を警戒して髪を引っ張るとか、耳元でささやくとかして知らせているらしい。
「……じゃ、そろそろ本気で、戦います?」
こちらのパーティが全員戦闘態勢になったと見て取ったのか。
ぼーっと突っ立っているだけだったキィさんが、初めてモップを構えて、攻撃をするそぶりを見せた。
「……っ!」
振り下ろされたモップを盾で受け流そうとしたが、その重みに膝をつく。
「やあっ! スラッシュ!」
真白さんが、その隙に斬りかかろうとしたが。
「……はぁ、ひょいっと」
キィさんは俺の盾にモップを押し付けたまま、そのまま逆立ちしてくるりと俺の頭上を飛び越え、俺の背後に降り立った。空振りした真白さんの剣が俺の盾にぶち当る。
「……まずは、一人です」
「うっ?」
背中に押しつけられた、何かやわらかいものに一瞬気をとられた。
「やっちゃえ、きぃちゃん!」
腕を固められて背中から投げられた、と気がついたのは後頭部に衝撃を感じた瞬間だった。
「……うげっ!」
投げ技とか、ありなのかよっ!?
一応、シルヴィ謹製の謎の結界魔法が作用しているらしく衝撃は感じたもののそれほど痛みは感じていない。
俺のHPゲージは……思ったほどは減っていない。
「……おや?」
首を傾げるキィさんから慌てて転がって離れる。
「システム上、武器の攻撃でしかHPを減らせないから、今のは有効な攻撃にならなかったみたいですね」
……ちょっと首が痛いけど。
直接の打撃と異なり、投げ技は床とぶつかっているのでHPを減らせない、ということのようだった。腕を固められていたので、その分がHPにダメージとして入ったらしい。ということは、投げではHPは減らないが、関節技とかではダメージを喰らうということだろう。
俺の作ったプログラムじゃ、打撃しか想定してなかったんだがなぁ……。
実際に実機で動かしてみると、またいろいろ想定外の動作をするようだ。
「……はぁ、まずは一人、とか言っておいて、ちょっと恥ずかしいですね……」
全然恥ずかしそうには見えなかったが、キィさんは無表情にそう言ってまたモップを構えた。
……そういやモップの武器種はどうなってるんだろうな?
形状的には長柄武器だが、槍などの武器種は作ってはいないから、おそらく魔法使いの杖と同じ扱いだ。とすると、キィさんは魔法も使ってくる可能性があるな。
先の投げ技で多少ダメージが入っていたし、格闘用の小手も装備しているとなると、キィさんは武闘家/魔法使いの複合職か? 格闘用の小手は別に武闘家でなくても装備できるので武闘家かどうかはわからないが。
「流石に強いですね……」
真白さんが、剣を構えたままじりじりとこちらに寄ってきた。
「鈴里さん、なにか手はないんですか?」
「ちょっと試したいことがある」
バグから生まれた裏ワザを試してみたい。ええと、俺たちの武器の構成だと……真人くんと真白さんで行けるか?
「真人くんのピアシングダガーの後に真白さんスラッシュ撃ってみて」
確か突き系統と切断系統でなんか特殊なエフェクトかかって連携が成立したはずだ。
バグというか、なんでそんなエフェクト発生するのか結局原因わからなかったから仕様にしちゃったんだよなー。他にもいくつか組み合わせがあるらしいんだが、正直完全には把握できていない。
「了解」
真白さんは、何も聞かずにうなずくと、真人くんをちらりと見た。
それだけでお互いに何をすればいいのか把握したらしい。セラ世界での冒険は、着実に冒険者として身についているようだった。正直ちょっとうらやましい。
……俺もりあちゃんとか、みぃちゃんと連携の練習した方がいいのかな?
そもそも俺、ほとんどバトルをしたことがないんだが。
「初撃が外れたら意味ないしな」
ちらり、とりる姉に目配せ。
まずはキィさんの動きを止めないと、また最初の時のように全部避けられてしまいそうだから、俺とりる姉でなんとかしないといけない。
「おっけー」
りる姉は小さく笑って。
持ったままだったらしいスカウターを俺にむかって放り投げた。
「……」
いや、そういうことじゃなかったんだけど。
どうやら以心伝心、とはいかなかったらしい。
「――いきますっ!」
真白さんが、牽制の突きを放った。あっさりとキィさんにはかわされたが、そこにはすでにりる姉が立っていた。
「お姉ちゃん……はぐはぐっ!」
両手でキィさんを捕まえようとしたが。
「……はぁ、ひらり、っと」
キィさんはするりとその腕をすりぬけて、身体を沈ませた。
やっぱ即席だとうまくいかねーなぁ。
そう思いつつ、床にしゃがみこんだキィさんを盾で押さえこもうとした瞬間。
「うへ!」
天地がさかさまになった。
どうやらモップで足を払われたらしい。
「……何人でかかろうと、無駄だと思います」
立ち上がったキィさんが、転がった俺の胸に片足を載せてモップを振り上げた。
先の反省を踏まえて、モップで直接殴るつもりなんだろう。強く押さえつけられているわけじゃないが、転ばされてすぐには起き上がれない!
――ここはダーメージ覚悟でっ!
咄嗟に、胸の上に乗せられたキィさんの足首をつかむ。
「いまだ真人くんっ!」
「ピアシングダガーっ!」
真白さんの後ろから、真人くんが飛び出して短剣の特技を放つ。
「……はぁ」
キィさんは、俺に片足をつかまれたまま。のけぞるようにして反対の足を天井に向けた。
そのままバク転をするかのように両手を床について。
思いっきり俺のみぞおちを踏みつけるようにして蹴り上げた。
「ぐふ」
流石に足を抱えていられず、思わず離してしまう、と。
逆立ち状態で両足を開いたキィさんが、くるりと回転した。
ふわり、とひるがえったスカートが、まるで花のようだった。
「うわ」
「きゃあ」
突きをかわされた真人くんと、連携を狙っていた真白さんがその回転に弾き飛ばされた。
カポエイラかっ!? それともスピニングバードキックかっ!?
きちんと打撃としてダメージが入ったらしく、二人ともHPゲージががくんと減っている。
俺も先ほど喰らったみぞおちへの蹴りで、かなりHPが減ってしまっていた。
りる姉や、ダロウカちゃんのHPはまだ減っていないが、これはもう勝てそうにない。
「……だから無駄だと、いったじゃ……」
言いかけたキィさんの言葉が、途中で途切れた。
逆立ち状態で、両足を広げたまま。
ぴたり、とその動きが止まった。
「……え? どうかしたんですか?」
起き上がろうとしたら。
「……太郎はみちゃいけません」
りる姉に背後から目隠しされた。
……ああ、キィさん、ぱんつ丸見えだしな。
「きぃちゃん、ゼンマイが切れちゃったみたいっ!?」
ディエの能天気な声がした。
……ってキィさん、自動人形って動力ゼンマイなんですかっ!?
「……お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
りる姉による目隠し。手探りでキイさんのメイド服の背中のボタンをはずし、背中のネジ穴を探り当てて、ディエに渡されたゼンマイ用ネジを刺して数回回すと、キィさんが再起動した。
そそくさとスカートの裾を払って、一度立ち上がると、こちらに背を向けてぺたんと女の子座りで座り、髪をかき上げるようにして白い背中を見せた。
いつも無表情なキィさんだったけれど、流石に少し、恥ずかしそうに見えた。
「……すみませんが、もう少しばかりネジを巻いていただけますか?」
「……はい」
変に意識しない方が、お互いにとっていいだろう。
「変なとこ触っちゃダメだよ? 太郎」
りる姉もすぐそばで監視してるしなー。
意図したわけではないが、ふとした拍子に触れてしまったキィさんの背中は、とても人形だなんて思えなかった。
意外に硬いネジをしばらく無心に回し続けていると、不意にキィさんが「……聞こえますか?」と言った。
「何の話ですか?」
問い返すと、キィさんは少し考えるようにして「私の中の、歯車の音、です」と言った。
言われて耳を澄ますと、かちかち、キィキィと確かに何か機械的な音がするようだった。
「私の身体は、小さな歯車とか、バネとか、そういうもので出来ているので、私が歩くとキィ、キィと音がします。それが、私の名前の由来です」
「……そうなんですか」
「安易ですよね、キィキィ音が鳴るからキィ、だなんて」
くすり、と何かを懐かしむように、キィさんが小さく笑った。
「……鈴里さん、もしかしてまた何かフラグ立ててますか?」
真白さんが、何か言ったが聞こえないふりをした。
「……では引きわけ、ということで」
俺たちの負けだったと主張したものの、キィさんはそう言って既定の半分のコインを置いて控室に戻ってしまった。1レベルではとても倒せない強さだっただけあって、半分でありながらコインの量も相当なものだった。
後でみんなで分けないとな。
「むむむ……なんだか複雑な心境、というやつだろうか」
リベンジを果たそうと息巻いていたダロウカちゃんは、「ふぁいあー」と声を張り上げ続けてちょっと喉が枯れてしまったらしく、休憩している。システム上特技や魔法を使うのにMPなど何かを消費することはなく、単純に一度使用すると次に使用できるまでに少しの時間を必要とする仕様だ。いわゆるクールタイム制というやつだ。
レベル1の特技や魔法は威力が低い分、このクールタイムがかなり短めなので連打が利く。そうなると魔法しか攻撃手段のないダロウカちゃんは、特技を使わなくとも単純に武器で斬りかかることのできる俺たちとは違って、延々「ふぁいあー」と叫び続けるしかなかったわけだ。
まおちゃんも魔法使いだったわけだけど、元々声が小さいせいか声が枯れるとまではいかなかった……って、あれ? そういやまおちゃんはどこだ?
あれ? なんか思い出してみたら、バトルの最初っからいなかったような気がする。
きょろきょろと辺りを見回してみると、少し離れた場所に、小さな明かりが見えた。スマホだろうか。
「……!」
パタパタと軽い足音をさせて、まおちゃんが駆け寄ってきた。
「どうしたの? そんなに慌てて」
首を傾げると、まおちゃんはスマホをふって見せた。
どうやらメールか電話か、誰かとやり取りしていたので戦闘に参加していなかったようだ。
「……!!!」
突き出されたスマホには、メールが表示されていて。
ごめんなさい、負けてしまいました……?
「……え、すらちゃんが、負けたって?」
それは、すらちゃんからのメールのようだった。
すらちゃん、ラスボスやってるはずだろ? それが負けただって?
――ゴーン、ゴーン、と突然、迷宮内に鐘の音が響き渡った。
『――あー、テステス。うむ? もうつながっておるのか』
天井にスピーカーが配置されているのだろうか。不意にシルヴィの声が聞こえてきた。
『よもや初日にクリアされるとは思わなんだが、当迷宮は踏破された。これに伴い、一度迷宮内の全員を強制排出する。戦闘中のものは直ちに止め、戦利品などは身に着けておくこと。五分後に強制排出を開始する。以上、よろしくお願いする』
――何が、起こったんだろう。
ゴーン、ゴーンといまだに鳴りつづける鐘の音を聞きながら。
俺は、胸に湧き起こる不安を押さえつけるようにして、じっと天井を見上げた。