12、「全てを凍てつかせし極大の呪文」
洋風女神っぽいドレスを着た少女は、ダロウカ。トレーナーを着た小太りの中年男はサボリーマン。革のツナギをきた若い男はマジゲロと名乗った。
明らかに本名ではない。
「……掲示板、と言ってわかるだろうか、ティア殿? 私達はそのつながりで三毛猫殿にこの世界につれて来られた。その掲示板という場所では本名を名乗るべきではない、という風潮があって、私達は仮の名前を名乗っている」
ダロウカ、と名乗った洋風ドレスの少女はそう言ってすまなさそうに微笑んだ。
見た目は小学校の低学年くらい。ルラレラと同じくらいに見えるのだが、ずいぶんと言動がしっかりしている。しかも掲示板にカキコしてるとか。
「はぁ、そうなのですか」
とりあえず、わかったようなわからないような顔で答えておく。
さて、協力すると決めたものの、俺はどういうスタンスでこの人たちに接するべきだろうか。
ルラレラが認識されていないということは、もしかしたら俺が同じ世界の人間だと言った所で認識されない可能性がある。なにより俺自身が、こんなねこみみ幼女の姿で週末勇者だなどと名乗りたくはない。
……って、あれ? 俺、いつこの人たちに名乗ったっけ? 名乗った覚えもないのに、ティア殿とか呼ばれてる気がする。
「きっと気付かないあいだに、会話ログ書き変わってるの」
「それかわたしたちが呼んだのを無意識に認識してるのー」
ルラレラがのんきに言い放つ。
ずいぶんとご都合主義だな。ってゆーか、俺が話してないことまで話したことになってると会話が成り立たない気がするんだけど。
「しかし、ほんまにネコミミなんやなー」
不意に小太りの中年男、サボリーマンが不躾な眼差しで俺のことを見つめてきた。しゃがみこんで上から下までじろじろとねめつけてくる。
「……う?」
これまで周りは女性ばかりだったし、行商人のランダさんはそういった視線を投げかけてくることなどなかったから、初めての体験だった。こんな、好奇の視線にさらされるのは。
俺が初めてみぃちゃんに出会ったとき、みぃちゃんもこんな気持ちだったのだろうか。
ただ見られているだけで、触られたり何かされそうになったわけではないのだけれど、他人の感情の対象になっているということが、非常に気持ちが悪かった。
思わず、耳を隠すようにして頭を抱え、数歩後ずさってしまう。
「興味があるのはわかるが、あまり無遠慮にねめつけるのは止めたまえ。怯えているだろう」
ダロウカちゃんが、俺とサボリーマンの間に割って入ってきてサボリーマンをにらみ付けた。
思わずその背中に隠れてしまう。
「ん、おお、すまんね。掲示板でいろいろ話聞いたり写真みたりしとったけど、正直話半分にしか信じとらんかったんよ。まさかほんまにねこみみをこの目で拝むことができるとは、なかなかわいの人生も捨てたもんとちゃうなー」
サボリーマンは悪びれた様子もなく、飄々と言い放ち俺から視線を外した。
……ほっと息を吐く。
「……あの、そろそろ行きませんか? わたしにも予定があるので、あまり寄り道している時間がないのです」
今日で東の街を出て何日目だったろうか。
どこに飛ばされたのかまだよくわからないが、この人たちが俺と同じ様に寧子さんに連れて来られたのだとしたら。今居るこの場所って、俺が最初に降り立った、その場所の可能性がある。そうすると、東西どちらの街までも徒歩で四日ほどかかるという話だったから……。
一週間、ギリギリくらい、か?
仮病で休めるのはそれが限度。寧子さんと連絡つくようになれば……ってあれ、この人たちと一緒にいれば寧子さんと連絡つくんじゃないか?
あの人のことだから、きっとこの人たちのことをどこかから見てるんだろう。
今なら連絡つくだろうか。
スマホに手を伸ばそうとしたところで、ダロウカちゃんにその手をとられてしまった。
「うん。行こうか!」
冒険への期待に満ちた、活き活きとした眼差し。
……夢は壊さない方がいいよな。
もうしばらくは、俺、ねこみみ幼女のままでいよう。少なくともこの旅の間は。
とりあえず草原の真っ只中は余り安全ではない、というかルラレラの話によると割と危険な動物も多いらしいので、まずは街道を目指すことにした。
「あっちなのー」
「もうちょっとひだりのほうなのー」
「わかったでー」
ルラレラの指示に従って、先頭を歩くサボリーマンが木の棒で草を掻き分け、足で踏みしめて道を作ってゆく。
サボリーマンは、ルラレラの声をどうやら俺からの指示だと認識しているぽい。
「なぁ、この辺って、スライムでないのか?」
殿を務めるマジゲロの声がした。
「このあたりにはー」
「スライムとー」
「うさぎさんとー」
「いもむしさんがでるのー!」
ルラレラが両手をあげながら交互に声を上げる。
スライムにはあったことあるが、イモムシとウサギとかでるのか。そういや勇者候補生たち、前イモムシと戦ってる写真を掲示板にあげてたっけ。真人くんのほうが黒コゲにされてたんだ
よな……。
黒こげ……?
「……なあ、ちょっと聞いてもええ? ねこみみちゃんはどの程度戦えるん? 魔法とか使えないのん?」
先頭を歩くサボリーマンが不意に足を止めた。不安げな顔でこちらをちょっと振り向いて、すぐさま前に向き直る。前方に、なにかあったのだろうか。
「魔法はまだまだ修行中ですが、牽制くらいならできると……」
「――あかん、みんなにげえっ!!」
答えの途中で、サボリーマンが叫んで前方に飛び出していった。
――その姿が、次の瞬間炎に包まれる。
「は……?」
茫然と、ただ茫然と見つめることしか出来なかった。
「いもむしさんブレスなのー」
「ひゃっはーひをふくぜーなのー」
なぜか楽しげに踊るうちのちみっこふたり。
「ねこみみちゃん! サボリさんに水にゃ!」
俺のうしろから、にゃるきりーさんが前に飛び出した。
前方に、岩の塊のようなものがみえた。赤黒く、固まりかけの溶岩のような。
にゃるきりーさんは、手におなべのふたを構えたまま、木の棒でその岩に向かって殴りかかった。しかし、岩の塊は驚くほどの敏捷性を見せて横に避けた。
しゅうしゅうと立ち上る煙。焦げ臭い、いやな臭いに我に帰った。前ポケットから水のペットボトルを引っ張り出し、目の前のサボリーマンにぶっ掛ける。
じゅうじゅうと湯気が立ち上る。
「くそ、ルラレラ、なんとかならないかっ?」
俺の体格ではサボリーマンを引きずることも叶わない。りあちゃんが教えてくれようとした神聖魔法は断っちまったから、回復魔法なんかも俺には使えない。
「ちぃ、覚悟きめたぜ」
一番後ろにいたマジゲロが、サボリーマンの上半身を抱えて後ろに下がっていったので、あわててそれを追いかける。
突然の出来事に、理解がまだ追いついていないのだろう。ダロウカちゃんはただ茫然と黒コゲになったサボリーマンを見つめるばかりで、微動だにしない。
「おい、ダロウカ! いつまでも呆けてんじゃねえ! さがってろ、最悪お前だけでも逃げられれば復活できんだろ?」
マジゲロは黒コゲのサボリーマンをその場に横たえると、突っ立ったままのダロウカちゃんに強い口調で怒鳴りつけた。
「私は……」
「ガキが無理すんな! サボリーマンを頼んだぞ」
そう言い放ち、マジゲロもおなべのふたと木の棒を構えて前方の岩の塊に向かって駆け出していった。
……俺とちがって、みんなすっげーや。
心の中で、最初に立ち向かったサボリーマン、すぐにフォローに出てきたにゃるきりー、マジゲロに賞賛の言葉を送る。魔法が使えるようになったから、少しは冒険の役に立てるだろうだなんて思い上がっていて何も出来ない自分がひどく恥ずかしい。
「ルラレラ、お前ら一応神さまなんだろう。頼む、この人を癒して欲しい」
「らじゃったのー」
「へんじはらじゃーなのー」
にへら、と笑ったちみっこ二人は「ダロウカちゃんじゃまなのー」「そこどくのー」と突っ立ったままのダロウカちゃんを押しのけるようにしてサボリーマンの両脇に立ち。
「ささやき」
「いのり」
「えいしょう」
「ねんじろ!」
「さぼりーまんはげんきになったのー」
「灰にならなくてよかったのー」
「ウィザードリーかよ……。ってか、蘇生魔法とかないんじゃなかったのか?」
思わずつっこむと「ゆうしゃ限定なのー」「おにいちゃんといっしょなのー」という答えが帰って来た。なるほど、俺が何度か死んでも大丈夫だった様に、異世界からの来訪者の場合には蘇生手段があるってことか。
俺の場合、死んだら即、自分の部屋に戻っちゃうからこういうのは初めてだが、勇者候補生たちの場合はこういう体験を何度もして来たのだろうか。
「……よし、ダロウカちゃん、サボリーマンさんのこと頼んだからね」
ひとまずは安心だ。俺も参戦すべきだろう。
駆け出そうとして。
「てぃあろーちゃんきをつけるのー」
「いまのてぃあろーちゃんは、死んだらおわりなのー」
ちみっこどもに言われて思い出した。今の俺は勇者じゃない。死んだらそれっきり。おそらく現実世界にもどってしまって、このティア・ローというねこみみ幼女は永遠に失われてしまう。
……だが、それでも。黙ってふるえてるわけにはいかないだろう。
ちらり、とまだ棒立ちのダロウカちゃんを振り返る。
寧子さんは「死んで覚えろ」とか無茶なことを言っていたが、せっかくの異世界冒険なのだから、楽しい体験であって欲しいと思う。
俺は、意を決してイモムシに向かって駆け出した。
「くっそー! かたいにゃー!」
棒切れでなぐっても、硬い岩のような表皮をもつイモムシにはほとんどダメージがないらしく、にゃるきりーがいらだたしげな声を上げた。
「つか、ひのきのぼうとおなべのふたでどうしろーつーんだよ、おい」
マジゲロも盾でイモムシの突進を受け流しながら悲鳴をあげる。
幸い、炎の息を吐くには溜めが必要なのか、最初に一発サボリーマンを焦がして以来、イモムシがブレスを吐くそぶりは見せなかった。
「くらうです!」
ぱちん、と指を鳴らして強風の魔法を飛ばす。味方にも不可視のため、飛ばすタイミングが難しい。この世界はゲームじゃない。味方だけは魔法が避けるなんてこともない。俺の魔法で味方を傷付けることになっては本末転倒だ。
しかし、草を一束なぎ払える程度の魔法では、やはり硬い岩のような表皮を貫くことは難しいようだった。わずかに表皮を削りはするものの、ほとんどダメージらしいダメージは与えられないようだ。
でかい割りにイモムシの動きは敏捷で、小さな無数の足をわしゃわしゃと動かして縦横無尽に草原を駆け回る。幸い、主な攻撃手段はブレスをのぞいては体当たりくらいしかできないようで、それなりに動きが早いとはいえ真っ直ぐに突撃してくるイモムシを受け流すのはそれほど難しくはなかった。
しかし、このまま避け続けていてもいずれまたブレスを吐くのは目に見えていたし。このままではジリ貧だ。早めに奥の手を使うことを考えておいた方がいいかもしれない。
「こういうのは、腹とかがやわらないってのがセオリーなんだが……」
マジゲロがもう何度目かもわからないイモムシ突進を受け流しながら嘆息した。
「どうやってひっくりかえすにゃー? それにひっくり返したとしても、木の棒でやれるんかにゃ?」
「……わいがなんとか止めるで、おまいら横からころがしてみんか?」
そこへふらふらと、黒コゲのままのサボリーマンがやってきた。
「おい、大丈夫なのかよ?」
「サボリさん、黒こげにゃー」
「HPまっかっかやけどなー! ねこみみちゃんに回復してもろてなんとかおきれるようになったで?」
ばちこん、とサボリーマンにウインクされて、うげーと思う。回復したのはうちのちみっこで俺じゃないんだが、どうやら俺が回復魔法を使ったと認識されてるっぽい。
……まあ、なんでもいい。気持ち悪くて背筋がぞくぞくするけど。
「どっせーい!」
サボリーマンはおなべのふたを構えて、声を上げながらイモムシの突進を受け止めた。
これまでただの小太りと思っていたが、サボリーマンはどうやら柔道か相撲か。どうやらそういった体格的に有利になりそうな格闘技の経験者のようだった。
「いまや!」
イモムシの動きが止まった。
「よっしゃー!」
「いくにゃー!」
マジゲロとにゃるきりーが、側面にまわって、イモムシを転ばせようと身体の下に木の棒をつっこむ。
これはチャンスだ。実戦では使い難いと思っていたが、こんな風に動きを止められるなら、ドラゴン戦でつかった”星ふる夜に願いを”を当てられるかもしれない。
咄嗟に前ポケットに手をつっこんで、スマホを引っ張り出す。
「ナビ! いけるか?」
「毎度毎度ですが、いきなりすぎて状況ふめいですよっ!」
ぼやきながらもナビがひょこんと画面から顔をだして、即座に魔法を組み立ててくれる。
「いつでもいけますっ!」
「さすがナビだっ!」
スマホをイモムシに向けて、皆に離れる様に声を上げとしたその瞬間。
「えたーなるふぉーすぶりざーど」
背後から聞こえた、小さな声。
たちまち氷の結晶のようなものが、くるくると回転しながらイモムシの身体を取り囲み。
「……は?」
スマホをイモムシに向けた格好のまま、固まる俺をよそに。
――イモムシはびくんと一度だけ身体をふるわせて、息絶えた。