8、「タブレット? いいえスマホです」
「……うー」
恥ずかしさのあまり、俺は頭を抱えて丸まったままのた打ち回っていた。両隣に座っているルラとレラが、よしよし、と背中をなでてくれるが正直な所一人になりたかった。マジで穴があったら入りたい。
何が恥ずかしいって、いい年した、それも男が。自分をすっかりねこみみの生えた女の子だと思い込んで、そういう風に振舞ってしまったことだ。我に返ったその瞬間まで、まったく自分がそんなおかしな振る舞いをしていただなんて、思いもしなかった。
知り合いだと思って延々隣の人に話しかけていたら、実はまったく知らない人だったことに気がついた瞬間のような。あるいは小学校の先生(しかも男)のことを、ついうっかり何気なく「おかあさん」と呼んでしまったような。そういったなんとも言い難い、素でやってしまって顔から火が出るような恥ずかしさだった。
ねこみみ幼女ティア・ローとして振舞っていた時の記憶は、しっかりと残っている。あれは俺自身であると同時に、実の所、俺とはまったくの別人なのではないかとも思う。
多重人格とか、そういったものではないと思う。断言は出来ないが、ティア・ローというねこみみ幼女としての振る舞いは、俺の別人格とかそういったものではない。
あくまで俺自身でありながら、でも明確に違う誰か。
……説明が難しい。
つい先ほどまでねこみみ幼女ティア・ローとして振舞っていた時も、「俺の記憶は全てつながっていた」。つまり、俺は自分が鈴里太郎である、という認識のまま、ねこみみ幼女として振舞っていたのだ。そして、自分がそんな風にねこみみ幼女として振舞っているそのことを、まったく疑問にも思わなかった。
なぜなら、ただ一点。
――俺の認識における、自分と他者との関係性だけが置き換わっていたからだ。
例えば、俺がねこみみ幼女として振舞っていたとき、自分が二十四歳の男であるという記憶がありながら、ルラやレラのことを姉であると思っていた。そのことに待ったく疑問をもたなかった。
人間は他者との関係性から自分という物を認識するものだ。
だからルラレラを姉と思っていると、当然自分はそれよりも年下であると認識し、そういう振る舞いをしてしまうものなのだ。
例えば学生だったとして、同年代の友人と話をするとき。年下の後輩と話をするとき。あるいは先輩や教師などの目上の人間と接する時では、言葉使いや態度は接する相手によって変わるものだろう。
また、例えば親しい友人と話をする場合と、初対面の人間と話をする場合では多くの場合振る舞いが異なるだろうと思う。蹴り落としたい競争相手に対する顔と、恋人に愛を囁くときの顔は、同じ人間でありながらまったく違う振る舞いをするだろう。
いわゆるペルソナというやつだろうか。
ねこみみ幼女ティア・ローは、俺自身である。
そして同時に、俺ではない別の人間でもあるのだ。
……なんて心理学だか哲学的なことを考えて恥ずかしさをごまかそうとしたが、どうやらうまく行かなかったようだった。
俺が自分をねこみみ幼女だなんて思い込んでしまったきっかけは、おそらくルラやレラ、それにリーアが自分達のことを姉と呼ばせたり、また初対面である行商人ランダが俺のことを見た目どおりの小さな女の子として扱ったせいなのだろうけれど。
……結局のところ、何をどう言い繕っても。
つまるところ、ガキの頃ヒーローになった自分を想像して鏡の前でポーズを取るような。
あるいは多感な時期に「自分には特別な力があるのだ」と思い込んで、片目を隠して意味深な言葉をつぶやいてみたりする病気のような。
そういうずいぶんとイタイことを、いい年をした大人がやってしてしまったのは事実なのだった……。
「なぁ、お嬢ちゃん、馬車に酔ったのか? いったん止めるか?」
御車台にすわる行商人ランダが、振り返って心配そうにこちらを見つめて来た。
「……だいじょぶ、なの、です」
先ほどまでの自分自身の振る舞いから、どういった口調でどういった言葉を返せばよいのかは分かっていたが、恥ずかしさの余りに言葉がつかえた。
「瞳の色が戻ってるな」
ランダがちょっと首を傾げて言った。
「……瞳の色、です?」
なんだ? リーアに借りた手鏡で見たときには、今の俺の瞳の色は欧米の人みたいな水色ぽい感じだったはず。
鏡かなにかあったかな。
前ポケットをさぐってみるが、入れた覚えのないものが入っているはずもなく、当然見つからなかった。
「……いや、ついさっきまで、神さまみたいな、血みたいな紅い眼してただろ。って、いけねぇ、聞かねえことにしたんだった。今のは忘れてくれっ!」
ランダはこちらの返答も聞かずに、あわてて前に向き直った。
「かみさま……?」
そういやルラレラの話では、神さま関係とかシステムに近い人間は、例外もあるけど紅い眼をしてることが多いとか言ってたよな。寧子さんとか、もろ日本人顔だから黒眼・黒髪だけど。
紅い瞳と言われると、俺がルラレラ世界に来る前、現実世界に居た時、突然、幼女化してしまった時の姿のことを思い出した。ルラやレラと同じように、銀髪で紅い瞳だったのを覚えている。
ルラレラ世界に来てねこみみが生えたら、髪の色は黒くなり、瞳は水色になった、はずだったのだけれど。行商人ランダの話では、俺の瞳が紅くなっていたらしい。
……現実世界で幼女化していたのと、なんか関係あるんだろうか。
もしかしたら、俺がねこみみ幼女になりきってしまったのも?
「……」
「……」
両側から、無言の生暖かい視線を感じた。
ルラとレラが、そっと俺の肩に手を置いて首を横に振った。
……だからお前らは、心を読むなって。
「……ん?」
不意にブルブルと振動を感じて、前ポケットを探る。どうやらメールが来たようだ。
「りる姉からだ、めずらしい」
りる姉ちゃんは、文字だけだと抑揚がないのでニュアンスが伝わりにくいのが嫌なのよぅ、と普段あまりメールを使わない人だ。メールよりは電話、電話よりは直接会って話をした方がいいらしく、何か添付して送ったりする必要がない限りは基本的に電話なのだが。
なんだろう、とメールを開いてみると。
『お姉ちゃんも妖精さん欲しいなって思ってネットで調べてみたけれど、ずいぶんと高いのねぇ。今度写真とかとって送って欲しいです』
別になんてことのない、ただの雑談メールだった。
……いや、妖精さんが高いって、どういうことだろう?
見つからないからどこで買ったか教えて、とかじゃないのか。値段を見てあきらめたってことは、どっかで売ってるんだろうか、単三電池二本で動く妖精のフィギュア……。
一応、具合が悪くて寝ているという設定なので、すぐにメールを返信するのもあれだろう。ディエも側にいないので写真を送ることもできないし。
後でシルヴィに頼んで、ディエの写真送ってもらうかな?
ふう、とひとつため息を吐いてスマホを前ポケットに仕舞おうとしたところ。
こちらを振り返って、じっとスマホを見つめているランダに気がついた。
「……ちゃんと動くタブレットとか、お嬢ちゃんすげえモノ持ってるんだな」
「え? これタブレット端末じゃなくて、別に普通のスマホですよ?」
答えてから、ここが異世界だということを思い出した。
この人、スマホを見たことがあるっていうのか?
「すまほ、ってゆーのか。そいつは。なぁおい、もしかしたら、お嬢ちゃんそいつの使い方とか、詳しいのか?」
言いながら、ランダがカバンから黒い石で出来た石版のようなものを取り出した。
「え、スマホ?」
形状的には、よくあるスマートフォンのようだった。名刺よりちょっと大きいくらいの、薄い板。プラスチックや金属でなく、見た感じは光沢のある石で出来ているようだ。ガラスっぽいかんじ。表面にボタンのようなものは見えず、裏側にもスマホに付き物のカメラのレンズのようなものは見当たらない。
「……もしこいつを直せるようなら、直してもらえないか?」
スマホっぽい石の板を手渡される。特にひび割れた様子もないし、落っことしたりして壊したのでなければ、可能性の高いのはバッテリー切れだと思うが。探してみるが充電用のコネクタらしきものは見つからなかった。異世界のものだし、もしかしたら魔法で動くようなシロモノかもしれないし。
……いや、そもそも形状がスマホっぽいだけで、これがどういった用途で使われるものなのかすら分からない。
「ごめんなさい、よくわからないです」
スマホっぽい石版を、ランダに返す。
「ああ、無理は言わないさ」
ちょっとだけ肩を落として、ランダは石版を受け取ると大事そうにカバンに仕舞いこんだ。
「いったいどこで手に入れたんですか、それ」
まさかこの世界にスマホっぽいモノが存在するだなんて思いもしなかった。
「若い頃にちょっとな」
ランダはこちらに背を向けたまま小さく肩をすくめた。どうやら詳しく話す気はないようだ。
「そもそも、それはいったい何なのです?」
「お嬢ちゃんの持ってるのと、違うのか?」
「同じかどうか判断がつかないのです。どういった用途に使われるものなのです?」
「俺も詳しくはしらないんだが、ジョウホウタンマツ? だとかいうやつでな、昔は誰でもこんなのをいくつか持っていて、遠くの人間と会話したり、文字を送ったり、はたまたいろいろ便利な魔法の機能がわんさかと詰まった夢の道具だったらしいぜ?」
話だけ聞くと、やっぱりスマホっぽい。
しかし、そういう魔法の道具の類であれば。もしかしたらどこかの遺跡とかから盗掘とかしたものなのかも。
「……おじちゃん、どろぼう、です? それとも、勝手に遺跡をあらしてひゃっはーしちゃったのです?」
「いや、誰も住んでない廃墟から、落ちてたガラクタを拾ってきた所で何も問題はねぇだろう? 別にどっかから盗んできたわけじゃねえよ……って」
ランダがちらりとこちらを振り返って、ぎょっとした顔ですぐさままた前に向き直ってしまった。
どうしたのでしょう。なんだか、怖いものでも見たような顔でしたけれど。
不思議に思って後ろの荷台の方を振り返ると、後方の警戒のために荷台に座っていたはずのりあお姉ちゃんが、じとーっとこちらを見つめていました。
りあお姉ちゃんは、冒険者とは名ばかりの、ごろつきさんが大嫌いなのです。ランダのおじちゃんの話が聞こえていたのでしょうか。
りあお姉ちゃんのお仕事である神殿騎士というのは、いわゆる警察的なお仕事でもあるので気になったのかもしれません。
どうしようかな、と思っていたら、突然ぶるぶると前ポケットが震えました。またメールのようです。
「りあお姉ちゃんからなのです……?」
すぐ後ろにいるのに、何をメールで話すことがあるというのでしょう。
後ろをふりかえると、りあお姉ちゃんはスマホを片手に、にこにこと微笑んでいました。
どうやら早くメールを見て欲しいようです。
『たろうさまだいすけです』
ダイスケってって誰でしょう?
よくわからなかったので、『だいすけって誰のことです?』と返信しました。
なぜだか、りあお姉ちゃんが、すごくがっかりした顔をしました。
「……後ろの嬢ちゃんももってるのか」
ランダのおじちゃんが、うらやましそうに言いました。りあお姉ちゃんが、見せびらかすようにスマホを手で操作して見せました。
「なぁ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんたちの、その”すまほ”とかいうタブレットはどうやって手にいれたんだ?」
「これはわたしが自分のお金で手に入れたものなのです。というか、そもそもこの世界のものじゃないのです」
あれ、よく考えたら自分の世界の道具を好き勝手にルラレラ世界に持ち込んでいる気がしますが、問題はないのでしょうか。冒険の関係者ならともかく、普通のいっぱんぴーぽーにこういった異世界の道具を見せてしまってもよいのか、ちょっと疑問です。
ぴこん、とねこみみを揺らして両隣のルラ姉とレラ姉を見つめます。
「……またなの」
「……じかくがないのは重傷なのー」
なにやらよくわからないため息を吐いてから、二人は声をそろえて「「問題ないのー」」と言いました。
「ほう、異世界たぁ、またすげえな。ってことは、まさかあんたらゆうし……おっといけねぇ」
もごもごと途中で口をつぐんで、行商人ランダはなにやら一人で納得したように何度もうなずきました。
「こいつぁ、また、望んでも得られないようなとんでもねぇ縁が舞い込んできたもんだな……」
何に納得したのかさっぱりよくわかりませんが、どうやらこちらの詮索をしないことに決めているようなので、あえてこちらから語ることもないのです。
――ガタガタと心地よい揺れに身を任せて、わたしはそっと目を閉じました。