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ふんわり、ぎゅっと

 大学生になって、二か月がすぎた。

 毎日私服を選ぶ生活には慣れてきたけれど、委員長と別々の学生生活に、私はまだ慣れずにいる。



「佐藤さん。佐藤 成子せいこさん、だよね」

 教室からぼんやりと外を眺めていたら、ふいに声をかけられた。

「はい。……ええと」

 見覚えのない男の人が、私の隣に座る。明るい茶色の髪に、赤いチェックのシャツ。彼は、たすき掛けにした鞄を机に置くと、授業で使うテキストを出した。

「あれ、もしかして俺のこと、知らないかな」

「……ごめんなさい、私まだ全員の顔は覚えてなくて」

「全員なんて、そりゃ無理でしょ。それとも、佐藤さんは、この大教室にいる奴らみんなを、覚えようとしているわけ」

 赤チェックの彼が、驚いたように言う。そんな言い方をするってことは、彼は私にとってその他大勢ではないってことだろうか。まさか、同じ高校だったとか。……いくらなんでも、それはない。でも、先輩まで遡り視野にいれるとあるかもしれない。委員会で一緒だったとか。もしくは、友だちの彼氏だったとか。

「あのさ、すげー真剣に悩んでいるみたいだけど、俺、佐藤の友達なんですけど」

「佐藤って、私の」 

 衝撃が走る。いただろうか、こんな友達。

「いやいや。だから、佐藤さんじゃなくて、佐藤さんの彼。もじゃもじゃ頭の佐藤周明だってば。もしかして、まだ奴から聞いてないのかなぁ」

「えぇ、聞いてないです」

 なんの心構えもない状態で出てきた委員長の名前に動揺する。

「そっか。じゃ、まずかったかな。……でも、まぁ、いっか。秘密にする話でもないと思うしさ。俺ね、周明とは、小中と一緒なの。高校は別々だったけど、塾は同じだったわけ。で、昨日さ、偶然会って、親交を深めるために飯を食ったわけですよ。そしたら、ここの大学に彼女がいるなんて言うじゃない。そうなったら、俺としては見に行かないわけにはいかんでしょ」

 しげしげと、赤チェックの彼が私の顔を覗きこんできた。ぶしつけな行動に、思わず狭い椅子の中をできるだけ移動し、距離をとってしまう。

「うわぁ、初々しい反応だな。しかし、佐藤の彼女がこんな綺麗な子だとはねぇ、世の中って不思議で満ちているよね。まぁまぁ、そんな怖い顔しないでよ。周明はどうせ違う大学なんだしさ、こっちはこっちで仲良くしようよ」

 赤チェックの彼が、よろしく、なんて言ってきたので、私ももごもごとしながらも、よろしく、と返した。

「あ、そうそう。俺も佐藤なんだ。佐藤佳昭よしあき。佳昭って呼んでよね、成子さん」

 佐藤佳昭君はそう言うと、頬づえをつき、にこりと笑った。 


 大学に入って驚いたことの一つに、男の人がやけにフレンドリーに話しかけてくるってことがあった。正直、戸惑う。でも、そう感じるのは少数派のようだ。多くの同級生が、既に慣れ、それを楽しんでいるようだった。

 私だって、この場に委員長がいたら、とても楽しかったと思う。一緒に授業を聞き、お昼を食べ、図書館でレポートを書いて……。      

 とはいえ、現実的に考えると、あの思いっきり理系の委員長と、進路を全く同じにするなんて無理な話だ。でも、学部は違っても同じ大学に進むパターンだってあった。委員長の志望校は大学そのものが理系のところばかりだったが、そういった大学にも毛色の違うコースや専科があるものだ。

 もし、もっと早くに、それこそ進路に関係する授業を選択するまえに、お互いの気持を伝え合っていたら。その上で大学選びをしていたら――今とは違う今日が、あっただろうか。




「成子さん、お待たせしました」

 名前を呼ばれて、はっとした。私のいるテーブルのそばに、委員長がアイスコーヒーを持って立っていた。

「あぁ、ごめんね。ちょっと、考えごとをしていたもので。どうぞ、座って、座って」 

 委員長は、見るからに重そうなカバンを空いている椅子に置くと、私のまえに座った。

「なにか困ったことでもあったんですか」

「困ったことというか、ちょっとした疑問っていうのかなぁ」

「ややこしい課題でも、出ましたか」

「ううん。そんな真面目な話じゃ……いえ、でも大事なことよね」

 委員長は私の答えに不思議そうな顔をしながらも、「いただきます」と言って、アイスコーヒーを飲みだした。その律義さに、つい顔がゆるむ。小さなことかもしれないけれど、私は委員長のそんなところが好きだった。ストローを咥えたまま、委員長が仔犬のように首を傾げる。難しい顔をしていた私が、いきなりにやけたのが不思議だったみたいだ。その委員長の表情に癒され、私も真似して同じように首を傾げてみた。 

 すると委員長が、咳きこんだ。

「……失礼、成子さん。それで、その大事なことってなんですか」 

 相変わらずのもじゃもじゃ髪を揺らすと、委員長はそう訊いてきた。

「うん、あのね。委員長は、大学の授業の時、女の子の隣に座ることってあるの」

「隣、ですか。うーん、ないですね。そもそも、うちの学部に、女性は少ないですしね。いてもみなさん固まって、座ってますね」

「ふーん。そうなんだ」 

 つい、顔がにまにまとしてしまう。しかし、少ないだけで、ゼロってわけじゃない。佐藤佳昭君の女の子バージョンが、委員長になれなれしくしてくる可能性だってある。委員長は優しいから、つい親切に勉強を教えて、それで相手の子が誤解なんかしちゃって――。

「成子さん、眉間に皺がよっていますよ」

 いきなり委員長の手が、私の顔に伸びてきた。そして、皺を伸ばすようにその指が動いた。 

 うわっと、熱くなる。きっと、顔から耳まで真っ赤になっているだろう。そんな私のようすに気がついたのか、委員長も、はっとした顔になり、顔を赤くした。全く、何をやってんだか、私たち。

「あのね、今日大学で、委員長のお友だちの佐藤佳昭君に会ったの。 委員長から私のことを聞いたって言って、隣に座ってきたのよ。 それでね、佳昭君と話すうちに、私も委員長と同じ大学に行けば、委員長の隣に座れたのかなぁ、なんて思っちゃったの」

「同じ大学って。……成子さんは、数学をとっていなかったじゃないですか」

「まぁ、そうなんだけど。だから、もしかしてって話よ」

 委員長は、私の言葉を聞き、眼鏡のむこうの目をまん丸くした。そこまで驚く話だろうか。

「それはもしかして、数学をとってもよかったって意味ですか」

「うん、そう。だって私、数学は嫌いじゃないし、成績も良かったのよ。ただ、私立の文系の狙いで、数学は必要なかったからとらなかっただけだもん」

「――成子さん」

 委員長が席を立つ。

「どうしたの。なにか用事でもあるの」

「違いますが、ちょっといいですか」

 そう言うと、委員長は私の腕を掴み、ほとんど飲んでいないアイスコーヒーを残したまま、歩きだした。

 

 委員長の手は、いつの間にか私の腕から手へと下りてきていた。手が重なる。繋がれる。私は、委員長の手が大好きだ。骨っぽいけど、あたたかくて、とても安心できる。

 それに、手を繋ぐと、あの日のことを思い出す。高校の雨の校舎で、お互いの気持ちを伝えあい、想いが通じたあの日を。 あのとき、私は委員長とはじめて手を繋いだ。

 それから、ずっと、委員長の手は私のものだ。たまに、こんなに好きなのは、私だけかもしれないと思うと切なくなるが、でも、少なくても片想いではないんだから、と自分を励ます。

 委員長が大好きだ。その想いは、高校の時よりも、こうして離れ委員長以外の男の子たちと多く接することで、より鮮明になった。委員長は、大学や家庭教師のバイトで忙しい。本当はもっと会いたい。

 だからこそ余計に、同じ大学だったらよかったのにな、と思ってしまうのだ。


 なんどか来たことがある、樹林公園に着いたところで、ようやく委員長は歩みを止めた。

 そして、私の手を離すと、大きな深呼吸を繰り返した。

「委員長。具合が悪いなら、帰った方がいいんじゃない。それとも、なにか飲み物でも買ってこようか」

「違うんです。大丈夫ですから。いや、大丈夫とはいえないか……やばかったんだから」

 委員長は、言葉の最後をつぶやくように言うと、

「ときに成子さん。あいつのことを、『佳昭君』なんて呼ぶ必要はありません。『佐藤』と敬称略で十分です」

 と、言った。委員長にしては、やけに乱暴なものの言いかただ。

「そうよね。いくら本人から言われたとはいえ、いきなり名前では呼ぶのは、ハードルが高いよね。でも、呼び捨てもちょっと、私としては厳しいかな。となると、ここはスタンダードに、『佐藤君』でいいよね」

 私の言葉に、委員長はしぶしぶといった感じで頷いた。

「それにしても、成子さん。あいつのことは、一瞬にせよ名前に『君』までつけて呼んだのに、ぼくは名前でも呼ばれなければ、『君』もつかないのは、どういうことでしょう」

「それはつまり、委員長も名前で呼ばれたいってことですよね」 

「当然です。ぼくは、もう委員長じゃないですし」

 そうです。わかってます。当然と言えば、当然のご意見です。内心、いつ委員長からそう言われるかと、どきどきしていましたよ。美那子にも、いい加減にその呼び名はどうなのかって、散々言われていたし。

 でも私は、この「委員長」といった呼び名に愛着があった。委員長って、言葉の響きが好きだった。とはいえ、いくら私が好きだからって、本人からのリクエストを無視するわけにはいかない。

「了解です。善処、します」 

「よろしくお願いします」

 ――そうか、もう委員長のことは、委員長って呼べないのか。

「成子さん。『呼べない』って、なんですか」

 どうやら、思いが言葉になっていたようだ。

「あぁ……。あのね、委員長。怒らないで聞いてね。私、委員長のことを委員長って呼ぶのが好きなの。その呼びかたが、私たちのはじまりだったでしょ。だから、こうして大学が離れちゃっても、私たちが同じ時間を過ごしたことは嘘じゃないって、安心できるの。さっき委員長は、『ぼくは、もう委員長じゃない』って言ったけど、それはそうなんだけど、委員長は委員長なのよ。私だけの委員長なんだもん。だからって、名前で呼びたくないとか、そんなんじゃないのよ。大丈夫、ちゃんと呼べるように、頑張る」    

 私がそう言うと、委員長の動きが止まった。微かな風に、もじゃもじゃの髪だけが揺れていた。やっぱり、言うべきことじゃなかったかな。

「ぶしつけですか、成子さん。抱きしめてもいいですか……って、いや、やっぱり返事は不要です。抱きしめます」

 返事をする間もなく、私は委員長の腕の中にすっぽりと包まれていた。委員長の体温を感じた。私の体温も同じように委員長に伝わっていると思うと、どきどきする。

「成子さんは、柔らかいです」

 委員長の声が、耳にくすぐったい。

「委員長は、肉はないけど、骨はしっかりした感じです」

 委員長は、決して体格がいいってわけじゃないけれど、それでも男の人と女の人は骨格が違うんだなと思った。大学の狭い席で、佐藤君が隣に来た時は思わず後ずさってしまったけれど、委員長だとそんな気にはならない。もっとそばにいきたいと、思ってしまう。

「いいです。やっぱり、ぼくのことは名前で呼ばなくてもいいです。成子さんが好きなように、呼んで下さい」

「えっ。無理しないで、委員長。さっきのあれは、私の勝手な思いなんだから」

「いや、いいんです。その……成子さんの可愛さが、ツボにはまったというか」

 ツボにはまるほどの可愛さなんて、今のやり取りの中であっただろうか。

「委員長って呼んでも、いいの」   

「他の奴を、そう呼ばないなら」

 委員長の熱い声が、私の髪にとける。

「……ぼくが、成子さんと同じ大学を選べばよかったのかなぁ」

 思いもよらない委員長の言葉に、驚く。私が、委員長と別々の大学生活に慣れないように、委員長もそうなのかもしれない。

 それって、もしかして、私と同じくらい委員長も私を想ってくれているってことだよね。そう思った途端、体が地上からふんわりと浮くくらい、幸せな気持ちになった。

 嬉しくなって笑いだしたら、くすぐったいです、と委員長は言い、そして私をぎゅっと抱きしめた。

加筆修正をしての物語の掲載でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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