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確か

 三年になった。理系の委員長と文系の私は、別のクラスになった。  



「へ、へ、へぶちっ!」

 下駄箱についた途端、友だちの仁科にしな 美那子みなこがくしゃみをした。美那子と私は、この春引退するまで、合唱部でともに過した仲間だ。同じ文系ということもあり、三年になってからはクラスも一緒になっていた。

「あれ、美那子。風邪でもひいちゃったの」

「ううん。違うのよ、これは」

 美那子は情けない声を出すと、またくしゃみをした。

「うわっ。仁科さん、大丈夫かよ」 

 ちょうどやって来た同じクラスの阿部君が、驚いたような声を出した。阿部君がちらりと私を見た。私はその視線を避けるように俯くと、美那子のために鞄からポケットティッシュを出した。

「このくしゃみね、風邪じゃなくて、気温差があると出ちゃうみたいなんだよね」

 美那子はティッシュを受け取ると、鼻をかんだ。

「あぁ、今年の梅雨は寒いからな。教室は暖かかったけど、ここは冷えるもんな」

 阿部君の言うとおり、ガラスの扉一枚隔てた外は、灰色の世界だった。雨も降っていた。そして、風で押された扉の隙間からは、冷たい空気が入ってきた。 私も美那子も、ブラウスの上にはカーディガンを羽織っている。

 阿部君は私たちのまえに来ると、扉を開けてくれた。背の高い彼にお礼を言いながら、美那子に続く。 風に混じった細かな雨が、顔や体に纏わりつくように迫り、一瞬足が止まる。 すぐ後ろに阿部君の存在を感じる。焦るように歩きだすと、一つ向こうの扉近くに、委員長の姿が見えた。 

 委員長は、相変わらずのもじゃもじゃ頭だった。そして、ぶ厚いレンズの眼鏡をかけ、アイロンを当ててないようなズボンに、カーディガンなしの半袖姿だった。委員長は鞄を開け、なにかを探しているようだ。

 美那子が傘をさす。私も傘をさすと、それを深く傾け、隠れるように委員長のようすを伺った。彼はまだ鞄内の探索を続けていた。まさか、傘を持ってない、とか。

「あぁ、そうだ。帰りに耳鼻科に寄らないといけないのよね。面倒だなぁ」

 美那子の話を半分で聞きながら、ゆっくりと委員長がいるほうへと歩く。

「耳鼻科って、仁科さんは地元の医者にかかっているの」

「ううん。うちの学校のそばよ。駅前のファストフードの隣にあるビルの二階。ほら、あそこ評判いいでしょ」

「うん、聞いたことあるよ。だったら、診察が終わるまで待ってようか。俺と佐藤さんで、その……お茶でもしてさ」    

 委員長はなおもカバンの中を覗き込むように、ごそごそと中身の調査を続けていた。やっぱり、傘がないのだろうか。

「えっ、そう。いいのかなぁ。ねぇ、成子。成子も阿部君と一緒に私のこと待っててくれるの」

「――あの、それは、なんていうか」

「一緒に待っていようよ、佐藤さん」

 二人への返事に迷いながら、委員長のまえを通り過ぎようとしたそのとき、委員長は突如鞄を閉じると、回れ右をしてガラスの扉を開け、校舎へと戻っていった。その回れ右をする僅かな瞬間、確かに、委員長と私の目は合った。

「……なんか、許せない」

「ちょっと、成子。あんたいきなり、なにを言いだすのよ」

「美那子、ごめん。私、教室に戻るわ。美那子のお医者さまも待っていられない」

「佐藤さん、待てよ。忘れ物したなら、俺らはここで待っているからさ」

「いやぁ、それが……その。取ってこられるようなものでもない、というか」

 私は、美那子と阿部君に頭を下げた。そして、二人にとめられないうちに、素早く委員長のあとを追った。

  

 そのままの勢いで、クラスのある三階へと向かう。

 阿部君がついてこないことに、安堵する。最近、阿部君はあんなふうに、ちょこちょこと私を誘ってくる。そのたびに断る私に、阿部君は成子が好きなんじゃないの、なんて美那子は言う。けれど、彼とは三年になってはじめて口を聞くような関係だ。好かれる理由なんて思いつかない。

 阿部君は気さくだ。髪もおしゃれにしているし、服装もすっきりとしている。

 ――でも。

 うまく言えないけれど、なにか違うのだ。

 

「あれ。成子さん」

 聞き覚えのある声が、階段の上から降ってきた。見上げるとそこには、手にしっかりと黒い折り畳み傘を持った委員長がいた。

 私が三階のフロアにつくまで、委員長はそこに立っていた。私は必要もないのに、ロッカーから適当なノートを一冊取り出すと、鞄に入れた。

「委員長って、本当に傘を取りに戻ったんだ」

「えっ、本当にって」

 私の言葉に委員長は、はてなマークをいっぱいつけたような顔をした。湿気のせいか、委員長の髪はいつもにましてもじゃもじゃで、おまけに眼鏡は曇っていた。ほんとに、どこからどう見ても冴えない男の子だ。

「なんか、私、ばかみたい。委員長のことを追いかけてきちゃって」 

「成子さんは、なにかぼくに用事でもあったんですか」

「……用事なんて、ないです。冗談です、委員長を追いかけてきたなんて。ロッカーに忘れ物をしちゃって、それを取りに来ただけなんですから」

 こんな嘘しか言えない自分が情けない。委員長からしてみたら、用もないのに私に話しかけられることは、想定外なのだろう。彼の、私へのスタンスが、わかってしまう。

 私は委員長に必要とされていると思っていた。一緒にいると、大切にされているように感じた。

 けれど委員長が必要としていたのは、クラス委員やマジック部員といった、彼と共通項のある私だ。 クラスが別になりクラブも辞めた私は、委員長にとって、既に不要な存在なのだろう。 だから、私がいても、目が合っても、そこに存在していないかのような態度をとるのだ。 それは、委員長にしてみれば、あたりまえのこと。

 

 ――私は、委員長が好きなんだ。

 委員長に、ここまで拒絶されないと気がつかないなんて、悲しいくらいに鈍すぎる。

 

 委員長が階段を下りる。そのあとに、私も続く。お互い無言で階段を下りる。

 踊り場まで来ると、委員長の上履きのゴム底が床と擦れてキュッキュッと鳴った。続いて私のも、同じようにキュッキュッと鳴った。

 私たちと違って、上履きはおしゃべりだ。それがツボに入り、笑ってしまった。

「成子さん。どうかしましたか」

 委員長が、振り向いた。

「ゴム底の音がおかしくて、笑ってしまったというか」

 委員長に聞こえるようにと、わざとその場でキュッと音を出そうとしたが、いざとなると上手くいかない。

「あぁ、なるほど」 

 そう言うと委員長は、上手にゴム底をキュッと鳴らした。ちょっと納得がいかない。

 そんな私に気がついたように、委員長が静かに笑った。その笑顔が懐かしくて、涙が出そうになる。

「……ところで、その、元気なの。委員長は」

「あ、はい。元気ですよ。でももう、『委員長』じゃないんですよね」

「そんなことを言ったら、私だってもう、『副委員長』じゃないですよ」

「もう、っていうか、ぼくは成子さんのことを、『副委員長』なんて呼んだことないですよ」

「あぁ、そういえば、そうですよね」

 役職名で呼んでいたのは私だけだ。委員長は私のことを、ずっと名前で呼んでいる。

「へっ、へぶちっ」

 まるで美那子が乗りうったかのような、エグいくしゃみが出た。委員長のまえでこんなことに、と思うまもなく、再びくしゃみが出た。泣きたい。

「大丈夫ですか、成子さん」

「だいじょう、ぶっ。へぶちっ」

 両手で口を押さえながら、委員長のいない方を向いて、くしゃみをした。しばらくそのままのポーズでいたら、落ち着いたので、ほぉと溜め息をついた。ゆっくりと手を離す。 

「ときに成子さん」

 委員長が、まわり込むように私の顔を見た。

「……なんでしょう、委員長」

「鼻水、出てますよ」

 そう言うと委員長は、私の空っぽだったはずのカーディガンのポケットからティッシュを取り出した。

 げげっと思って、委員長の手からティッシュを奪い、鼻水を拭く。顔から火が出るとは、こんな状況に違いない。女の子が好きな男の子に鼻水を指摘されること以上に、はずかしいことってあるだろうか。

 いな

 だったら、もうなにをしたって、平気だ。委員長にふられようが、痛くもかゆくもない。女は勢い。言うこと言って、すっきりしちゃおう。

「あのね、委員長――」

「あの、成子さん」

 私の言葉を遮るように、委員長に名を呼ばれる。じっと見ると、委員長は顔を赤くしながら、もじゃもじゃの頭を掻いた。 

「いや、そんなに見られると緊張しますが。つまり、あの、こんなところを誰かに見られるのは、よくないんじゃないかと思うんですよ」

「それって、どういう意味ですか」

「いや、だから。ほら、ぼくたちは、違うので」

 そう言うと、委員長は踊り場にある大きな鏡へと向いた。そこには、鼻の先を赤くした私と、委員長が映っている。

「……もしかして、男女の性別が違うとか、そんないつの時代だかわからない意味で言っているんですか」

 委員長は見かけが古いだけでなく、考え方も古いのだろうか。でも、そんな人が、文化祭にバニーの衣装を着せるとは思えない。

「いやいや、そういった意味じゃなくて。ぼくが話しかけると、成子さんが迷惑するんじゃないかって思って」

「そんなわけないじゃないですか。どっからそんな話が……。私、そんなこと、委員長に言いましたっけ」

「いえ、成子さんからは、なにも言われてないです。ぼくが勝手にそう思っただけですから」

「委員長が勝手に思ったんですね。あぁ、そうですか。でも、それは、ちょっと、なんて言うか……」

 悲しい。すごく、悲しい。どうしてそんな風に思ったんだろう。

 そりゃ、委員長からの無茶な頼みに困惑したこともあった。 私がマジック部を退部したあと、部員が減ったことを後輩の曜子ちゃんから聞いて、委員長につい怒ってしまったこともあった。 でも、それは委員長が嫌いだとか、関わり合いになりたくないとか、そんな気持ちで言ったわけじゃない。

 自分が、かわいげがないのは、わかっている。曜子ちゃんのように、みかけもふんわりとした女の子らしい子じゃないって、わかっている。どちらかといえば、さっぱりとした感じで、キツイ口調になってしまうのも自覚している。そんなところが、委員長に距離を置かせたのだとしたら……最悪だ。

 避けられたのには、理由があった。

「うわぁ、成子さん。泣かないでください。成子さんはなにも悪くないんですから。つまり、こっちの気持ちの問題として、やっぱりこう色々とあるものだから、だから迂闊に近づけないというか」

 委員長はそう言うと鞄を開け、なにかを探しはじめた。

「つまり、成子さんのことを好きだからって、クラスもクラブも違うぼくがあんまり成子さんの周りにいるのは、色々と迷惑だと思ってですね」

「……委員長」

「いや、ですから待って下さい。おかしいな、確か、もう一つくらいは、ポケットティッシュを持っていたような気がしたんですけど」

 委員長の鞄と折り畳み傘が、踊り場の床に落ちた音と同時に、私の頬は委員長の両手で挟まれた。

「手はキレイです。ですから、手で涙を拭こうと」

 その言葉の通り、委員長は親指をワイパーのように動かして私の涙をゆっくりと拭きだした。真剣な顔の委員長が、慎重な手つきで涙を拭う。そんな委員長の顔を見れば見るほどに、涙が出できた。

 だって、委員長が、私のこと好きだって。

 言ったよね、言った。

「私も、好き」

 委員長の目を見て、委員長の指が私の目の下でゆっくりと動くのを感じながらそう言った。

 ぴたり、と委員長の動きが止まる。そして委員長は、私の頬に手を置いたまま、がくりと下を向き動かなくなった。     

「……成子さん。成子さんに、そんなことを言われると、急にこう、 いまさらながらに、成子さんの頬が柔らかいとか、自分の手が成子さんの頬にあることを意識して、参ります」

 そう言いながら、顔を上げた委員長の顔は真っ赤だった。眼鏡もずれている。しかも、ずれ落ちそうになっていた。

 一歩だけ、委員長に近づく。すると、私の頬にあった委員長の手が、そのまま下におりた。 私は少し視線が上にある委員長の眼鏡を、そっと直した。

「成子さんが好きです」

 委員長のまっすぐな瞳に、体中のあちこちが熱くなる。改めてといった感じで頷いたものの、恥ずかしくなって、目を伏せた。そんな私に、「ありがとう」と委員長の小さな声が聞こえた。

 

 下駄箱まで下りてくると、美那子と阿部君がいた。

 美那子が、「阿部君、私の勝ちね。約束通りココアを奢ってね」と言うと、「幸せ者の佐藤がみんなに奢れ」と、阿部君は委員長に言った。

「……四人分でいいんでしょうか」 

 困ったような顔をした委員長がかわいくて、繋いだ手を強く握った。


お読みいただき、ありがとうございます。

次回は、大学生編となります。

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