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現世(うつしよ)は夢 幻想補完生活  作者: 舛田 久


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第1章 絵日記療法

何なんだ、これは……

ここはどこだ……

そして、これは誰だ……


不思議な夢を見た。

見知らぬ街で、見知らぬ少女と旅をしている夢だ。

まさに絵に描いたような現実逃避の夢だった。


今の僕には、そんな旅に出るような余裕はないし、そんな少女の知り合いもいない。

ただ、働くために寝、寝るために働く毎日があるだけだ。


カウンセリングの初回で、医師は僕に絵日記を勧めた。


「言葉にならないものを、絵にしてみてください。描くことで、心の奥に触れられることがあります」


僕は頷いた。

それが治療になるのかどうかは分からなかったが、描くことならできる気がした。


今年の夏は暑かった。

ふと、そんな記憶がよみがえる。その暑さの苦しさはもう思い出せない。

確か、夏の間は「冬の寒さの方がましだ」と思っていた気がするが、今は「夏の方が過ごしやすかった」と思う。

そんなことを痛感する寒い朝だった。


机の上には、カウンセラーに渡された子供用の絵日記帳が置かれている。

ページの隅に、暗い色で何かを描こうとした痕跡がある。

日課として描くように言われていたが、まだ習慣にはなっていない。


僕はいつもの通り、苦痛を伴いながらベッドを出て、スーツに着替えた。

歩いて2分ほどのバス停にバスが来るのは30分後。顔を洗って身支度をしても、十分に間に合うはずだ。

それに乗り遅れれば、遅刻してもおかしくはない。丸2時間の通勤のスタート時で遅刻がほぼ確定してしまうほど、虚しい朝はない。


バスは定刻より1分早く来た。

遅れるのも腹立たしいが、早く来るのはさらに問題だ。何しろ、乗れないのだから。

今日は偶然、普段より早くバス停に着いていたので、何事もなくこうして座席に座っていられるが、いつも遅れがちな分、時々予定より早く来ることで辻褄を合わせているとでも思っているのかもしれない。

それは大間違いだ。


まだコートを着るほどではないが、確実に冬は近づいてきている。手はすっかりかじかんでしまった。


私鉄の駅に着くと、いつもと同じホームの同じ位置に立ち、定刻通り到着したいつもの電車、いつもの車両に乗り込んだ。

珍しく入れ替わりに空いた座席に座る。

1時間半の電車移動を、立ち続けるのと座っていくのとでは当然雲泥の差だ。

つまり、今日はささやかながらついているらしい。


いくつか駅を通り過ぎて、大分混んできた頃、僕は心地よい睡魔に抗しきれなくなって、瞼を閉じた。


寝ている間、人の魂はほんの少し体の上方に浮いている、という説がある。


電車の止まる揺れと同時に、僕の魂は不意に元の位置まで落ちたようだった。

短い距離を落下したような、不安な感覚と共に目が覚めた。

瞬間、異様な世界にたたき込まれたような気がした。

窓の外は夜の闇だった。


僕は帰りの電車に座っていたのだ。


一瞬、朝からずっと電車の中で寝ていたのでは、という恐ろしい疑いが頭をかすめたが、もちろんそんなことはある筈がなかった。

現に朝は長いシートの一番端に座った記憶が残っている。今座っているのはほぼ中央だ。


狐につままれたような気分で駅の下りホームに降り立った。

人の流れに乗りながら改札を出て、ターミナルで帰りのバスを待ちながら、僕は賢明に今日一日を思い出そうと努力した。


何かを考えようとした時のこの疲労感、特に目の疲れは、明らかに一日仕事をした後のいつもの感覚だ。

なのに、朝、電車に乗ったところまでしか思い出せない。

全く記憶が抜けているのだ。


「疲れてるんだ」


そう小さく声に出して納得しようとした。

どうやら軽い記憶喪失のようなものらしい。


「せいぜい会社で妙な約束でもしなかったことを祈ろう」


僕は努めて冗談めかした、明るい発想をしようとした。

でも、それは、事態が思いの外、深刻であることを無意識のうちに感じていたからかもしれない。


やがて、いつもと同じ時刻にバスがやってきて、乗り込んだ僕はいつもと同じ後部座席に腰を下ろした。


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