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「ふふ、今日はいい感じかも」
朝露の残る草原にしゃがみ込んで、私は薬草を摘んでいた。
指先に触れる葉は、まだ柔らかくてみずみずしい。
葉の縁がふわりと丸くて、裏側に白い毛があるのが特徴のヒールグラス。
傷を癒す薬を作るのに欠かせない草だ。
「おばあちゃん、喜ぶかも」
背負いかごの中には、すでにたっぷりの薬草。
今日の収穫は大当たりだ
足取りも軽くなる。
私は鼻歌まじりで草むらの奥へと歩いていたそのときだ。
ブモォォオオオッ!!
「―え?」
茂みの奥から、地響きのような音がした。
続いて飛び出してきたのは大きな、毛むくじゃらの塊。
「え、えっ、イノシシ!?……いや、ちが、なにこれ!?でか……!?」
それは明らかに普通じゃない。
目が真っ赤で、体には黒い瘴気のようなモヤがまとわりついている。
魔物。
「きゃあああああっ!!」
足がもつれる。
転ぶ。
草かごが飛んで、薬草が宙に舞う。
ー死ぬー
そう思い私はよ目をぎゅっと閉じた瞬間、鋭い風を切る音と何かがはじけ飛ぶ音が響いた。
「……え?」
おそるおそる目を開けると、そこには、私のすぐ前に立つ誰かの背中。
銀色の髪が風になびき、背中には長剣。
腰のマントがひるがえり、斜めに構えた剣から、光がきらりと残っていた。
振り返ったその顔を、私は知っていた。
(レイン…?)
初めて会った彼の名前を知っているなんて、ありえない。
いや、違う。
私は、知ってる。
彼を、彼の名前を、この世界を。
あの日あんなにやりこんだ、大好きなゲーム『エテルナ・サーガ』。
この剣士は……その主人公だ。
「大丈夫か?」
目の前のレインは、私に手を差し出していた。
優しい目で、まるでイベントCGみたいな笑顔で。
私はその手を見つめて。
すとん、と意識が抜けた。
目が覚めると、私は布団の中だった。
あたたかい湯たんぽのようなぬくもりと、干したてのふかふか布団。
鼻をくすぐるのは、薬草と木の香り。
ここはあたしの、部屋。
「う……ん……夢……?」
いや、夢じゃない。
だって、頭の中に焼きついてる。
あの銀髪の剣士レインの姿。
ゲームの主人公。
あたしが何周もプレイしたエテルナ・サーガの顔!
(わ、わたし……ゲームの世界に……!?)
全身の血が逆流するみたいに、興奮とパニックが駆け巡る。
それにこの展開覚えがある。
私は胸元にある小瓶に恐る恐る触れる。
「精霊の粉」
今は亡き母から貰ったお守りだ。
これを主人公に渡さなければいけない。
「あら、起きたのかいアリア」
「おばあちゃん、私…」
「ああ、魔物に会って気を失ったみたいだね。通りがかりの冒険者様が助けてくれたのさ」
「その冒険者は今どこに?」
「あの方ならとっくに出発しちまったよ。あんた、半日寝とったからねえ」
「……………え?」
(ま、まって!!私があの人に渡さなきゃいけないのに!!世界を救う超重要アイテム!!寝てる間に出発してるとか、どういうことーー!!??)
足がもつれるほど駆けて、村の門をくぐろうとした。
「わっ、アリアちゃん!?どこ行くのさ!?」
鍬をかついだヨルンさんが目を丸くして私の前に立ちはだかった。
「日が暮れてきてるぞ。村の外に出る気かい?」
「で、でも。行かなきゃ、いけなくて……!」
「何かあったんだ?薬草でも足りないのか?それとも、誰かに呼ばれたとか?」
「ちが、ちがうの。その、あの……」
(どうしよう。説明できない。ゲーム世界に転生したとか、主人公にアイテム渡さなきゃ世界がバグるとか、ぜったい言えない……!)
「い、いや、やっぱり……なんでもないです……」
私の声は、まるでしぼんだ風船みたいだった。
ヨルンおじさんは不審そうな顔をしながらも、ふうとため息をついた。
「ほんとに気をつけなよ。こんな時間に出て行ったら、何が起こるかわかんないんだ。最近は魔物が増えてきてる。村の外は、思ってる以上に危ないぞ」
「…はい」
しゅんと肩を落として、私は村の方へと引き返す。
夕焼けが、遠くの空をまっ赤に染めていた。
(アイテムを渡さないと)
頭の中はそれでいっぱいだ。
だけど夕日に染まる村の柵の外は、魔物以外にも危険な動物もいる。
武器もないし装備はただのワンピースに薬草を入れるカゴひとつ。
ゲームじゃ村を出るってコマンドを選べば旅が始まったけど、現実の足はそう簡単にはいかない。
家に戻ると、おばあちゃんはいつものように囲炉裏の前で煮込みを作っていた。
夕飯は、根菜と干し肉のスープ。
おいしそうな香りが広がるのに、私は全然食欲が湧かなかった。
「食べないのかい?」
「……うん、ちょっと疲れたから」
「ふぅん」
(……今行くわけにはいかない。でも、明日なら)
部屋に戻った私はそっと押し入れを開けて、荷物をまとめはじめた。
まだ使ったことのない水筒。
空のかご。
はぎれ布。
昔おばあちゃんがくれた笛。
(旅に出るって、こんな感じだったっけ?)
「足りないよ、それじゃ」
「っ!?」
いつの間にか立っていたおばあちゃんに飛び上がって驚いてしまった。
おばあちゃんはひと抱えの荷物を持っていた。
「これ、持ってきな。マジックバックと、簡易テントと保存食。それから薬草と。あとは、昔あたしが使ってた旅道具だ」
「お、おばあちゃん……どうして……?」
「そりゃあ、わかるさ。おまえさん、朝からずっと変な顔してたし、夜になってもそわそわしてる。おばあちゃんの目は節穴じゃないよ」
「……」
「ほんとはね、行ってほしくないよ。こんな小さな村から、一人でどこへ向かうかもわからないんだから」
「でも、行かなきゃいけないの」
そう答えると、おばあちゃんは目を細めた。
「だと思った。じゃあ、応援するしかないね」
言って、私の肩を軽く抱く。
「大丈夫。アリアはしっかりしてる。昔のあたしより、ずっとね。せっかくだからゆっくり外の世界を見ておいで」
その声があたたかくて、私は思わず胸がいっぱいになった。
「そうだ。これをあげよう」
取り出したのは古びた結晶。
そういえばこれは私たちを守ってくれるお守りだと、いつも大事に飾っていた。
「いいの?」
おばあちゃんが毎日のように手入れしていたのを知っている。
とても大切なもののはずだ。
「いいんだよ。これはきっとあなたを守ってくれる」
「ありがとう、おばあちゃん」
「しっかり勉強してきなさい」
壊れないように大切に包んでマジックバックの中しまった。
翌朝。
朝霧が立ちこめる中、私は村の門をくぐった。
背中には、マジックバック。
胸には小さな希望と、大きな責任。
そして心の奥底には主人公レインへの想いが燃えていた。
「待ってて、レイン。今度こそ…ちゃんとアイテム、渡すからね!」
モブ村娘、ここに旅立つ!