私の婚約破棄をネタにした小説がベストセラーとなり、元婚約者が復縁を懇願してきます
私の婚約者サイラス・イングラムは、ベストセラー作家を夢見る、売れない作家の卵だ。
最初から作家を目指していたわけじゃない。他のあらゆる道がことごとく閉ざされた結果、そこにしか進む道がなくなったのだ。
彼の父親であるイングラム子爵は、まずサイラスを騎士にしたがった。
けれどサイラスは木剣を一、二度ふるっただけで手首が痛いと叫び、その剣を足にぶつけて痣ができただけで泣いてのたうち回った。「ペンより重いものは持てない! ペンより重いものは持てないよぅ!」と子どものように泣きわめき、教官たちを困惑させたという。
次に子爵は、サイラスを文官にしようと試みた。
けれど文官試験でのサイラスの解答用紙は、ほぼ白紙の状態。余白にはロマンチックなポエムだけが綴ってあったという。
外交官、学者、神官……。彼はどこでも勤まりそうになかった。一度子爵が領地経営を手伝わせてみたら、取引商品の何かの桁を大幅に読み間違い、食料備蓄庫を数十年分のスパイスで埋め尽くしたらしい。
サイラスが唯一好きで、ずっと続けていること。それが小説の執筆だったのだ。ただ好きなだけ。別に特化した才があるわけではない。
そんな彼の婚約者に、私が抜擢されてしまった。
この私、ステラ・ペンローズも子爵家の三女。サイラスと同様、適齢期を過ぎても婚約者が決まっていなかったのだ。
領地間で多少の取引を行なっていた縁で、まるで余り物をくっつけるように父親同士が婚約を決めたのだ。
「よ、よろしくね、ステラ嬢。君のために愛のポエムをたくさん綴って、二人だけの物語をたくさん書いていくからね」
「…………」
そんなものは腹の足しにもなりません。もっと地に足をつけた仕事を探してくださいよ。
そう言いたかったけれど、私はぐっと我慢して黙った。この歯に衣着せぬ物言いで、過去に婚約破棄されたことがあるからだ。また婚約がダメになったら、両親にどれほどきつく説教されることか。
顔合わせの席で、私は膝の上の拳をぐっと握り黙ったまま頷いたのだった。
それでもまぁ、最初の一年はよかった。サイラスは毎日黙々と執筆を続けていた。そして月に二度ほど我がペンローズ子爵邸を訪れては、自作のポエムや小説を披露し、私に感想を求めてきた。私は母に念を押されていたとおり、「まぁ、素敵ですね」「とてもお上手ですわ」などと彼を褒めたたえて、機嫌よく帰らせるようにしていた。母いわく、「気が済むまでお書きになったら、きっとそのうち気持ちを切り替えて別のお仕事をしてくださるようになるわ」とのことだったけれど、婚約してからの一年間、サイラスに気持ちを切り替えるそぶりは一切見られなかった。
そして、一年が過ぎた頃。
私もサイラスも、もうすぐ十九。さすがにそろそろ結婚させるべきだろうという話が両家の間で出るようになった頃、前触れもなくサイラスがやって来て私に言ったのだ。
婚約を破棄して欲しいと。
「メリヴェイル伯爵家のオーロラ嬢、分かるかい? 彼女が僕と結婚してくれるっていうんだ。すっごい美人でね、歳も十六歳。しかも伯爵家の令嬢とくれば、お断りする理由がないだろう?」
「いや、私の存在はお断りする理由にならなかったのですか?」
ついに私は、思ったことをそのまま口に出したのだった。
何でもそのメリヴェイル伯爵令嬢は、サイラスのとあるポエムを読んで感銘を受けたらしい。「こんなにロマンチックな詩を詠む方なんて、とても素敵な人に決まっているわ!」と燃え上がり、両親にサイラスとの結婚をねだったのだとか。メリヴェイル伯爵家から打診を受けたイングラム子爵は、その条件の良さに飛びつき、うちを捨てることに決めたらしい。子が子なら親も親だ。
微々たる慰謝料を受け取り、我がペンローズ子爵家は引き下がることとなった。両親は激怒していたけれど、私はあんな男に未練なんて微塵もなかったし、これ以上慰謝料を吊り上げることも難しいのはよく分かっていた。うちは大した家柄でもないし、私は過去にも婚約を破棄されたことがある身。完全に足元をみられる形となった。
(まぁいいわ。もう結婚は諦めて、領地経営の手伝いでもしながら生きていきましょう。家を追い出されて修道院にでも行かされることにならなければね……)
そう覚悟し、私は家のために日々黙々と働いた。
けれどそれからおよそ半年後、驚くべきことが起こったのだ。
なんと、あのサイラスの書いた物語が出版され、しかもそれが大ベストセラーとなったのだ。
『恋の終わり、君にさよならを』というタイトルのその悲恋小説は、いまや王国中の書店に並べられていた。令嬢たちの恋のバイブルとして大人気となり、噂によると王妃陛下や王女殿下たちまでお読みになっているとか。
当初は絶対に買わないつもりでいたけれど、ここまで一大センセーションを巻き起こせば、もう気になって気になって仕方がない。私は「ぐぬぬ……」と歯ぎしりしながらも、近くの書店で渋々一冊買ってみた。
そして。
「…………は? な、何よこれ……!」
屋敷に戻り、ページを捲ってびっくりした。
そこには、私とサイラスの婚約中の会話やデートの内容、そして向こうからの婚約破棄に至るまでのストーリーが、これ以上ないほど悲劇的に脚色されて書かれていたのだった。
『──お別れいたしましょう、サイラス様。私は……あなた様に相応しくありませんもの』
『そんな……! なぜ!? なぜだステラ!! 君は僕の真心を誰よりも知っているはずだ!!』
『……どうか、私のことなどお忘れになって。こんな取るに足らない平凡な私のことなど……。あなた様にはもっとお似合いの、素敵な運命の方が現れますわ』
『ああ……!! ステラ……!! 僕は決して君を忘れはしない……!! 僕の心の一番深いところに、いつだって君の居場所がある。そのことをどうか忘れないでおくれ……!!』
気が遠くなった。ご丁寧に、実名まで暴露されているではないか。しかも「サイラスに相応しくないから」とへりくだって、なぜだか私が自ら身を引いたことにされている。
やがてふつふつと怒りが込み上げ、私はその本を思い切り床に叩きつけた。
「ふざけるな!! あ、あの男……!! 格上の令嬢に釣られて身勝手に婚約を破棄してきた挙げ句、私を餌にして小説書いて、それで一儲けしていただなんて……!! く……っ!!」
悔しさに身悶えながら、どうにか一泡吹かせてやれないものかと、私は奴に恨みを募らせていった。
◇ ◇ ◇
そんなある日のことだった。
我がペンローズ子爵邸に、サイラスがやって来たのだ。
私へのたくさんの贈り物を手に。
「……一体どうなさいましたの? 今更。私をネタに随分と稼いでいらっしゃるようですが、謝礼金でも持っていらした?」
応接室で顔を合わせた途端、可愛げの欠片もなく嫌みたっぷりにそう言ってやった。すると彼は額に汗を浮かべ、もじもじと話しはじめた。
「いや……そ、それがさ……。出版社から『続編を書いてくれ』って打診が来たんだけどさ……どうしても、か、書けなくて……! 君に戻ってきてもらうしかないんだよ、ステラ……! あの物語は君との婚約期間中に書いたものだ。君がいてくれたから筆が乗ったんだよ。だけど、君との婚約を破棄して以降、全く書けなくなってしまって……」
「……何をおっしゃっていますの? 戻ってきてほしいとは? あなたにはオーロラ・メリヴェイル伯爵令嬢という立派な婚約者様がいらっしゃるじゃないですか。あ、もうご結婚されたんでしたっけ? よく知りませんが」
私がそう問うと、彼は顔を青くしてハンカチを取り出し、額の汗を乱暴にぬぐった。
「いや、そ、それが……。『こいきみ』が大ヒットしてからというもの、ずっと機嫌が悪かったんだけどさ……。先日ついに婚約を破棄されたんだ。君の実名で『こいきみ』がバカ売れしたものだから、自分が社交界の笑い者になっているって。『あの二人の仲を引き裂いただなんて、あなたは真実の愛を邪魔した悪役令嬢なのね』って友人たちからも嫌みを言われると言って……。メリヴェイル伯爵家からは『娘が深く傷付き精神的な打撃を受けた上に、家の名誉を汚された』と裁判を起こされているんだ。たぶん、多額の賠償金を支払わされることになる……」
(……ふ。なんじゃそりゃ)
サイラスの今にも泣きそうな情けない顔と、その滅茶苦茶な状況が妙に笑えてきて、下腹がぷるぷると震えだした。でもここで笑ってしまったら私が彼を許した雰囲気にされそうなので、歯を食いしばって我慢する。
軽く咳払いをして、私は淡々と答えた。
「随分とこちらを軽んじておられますのね、イングラム子爵令息。身勝手に婚約を破棄しておきながら、今度はご自分の都合のためにもう一度戻ってこいと? 見くびらないでいただきたいわ。あなたなどと連れ添うくらいなら、私は一生一人でいた方がずっと幸せですわ! お帰りになって!」
「ひぃっ!!」
後半睨みつけながら声を荒げてやると、サイラスはソファーの上でビクッと飛び上がり、足をもつれさせながら応接室を後にした。
彼が去った扉の方を見ながら、私は考えた。
(……そう。続編、ね……)
正直、あの小説を読んだ時に思ったのだ。これならおそらく、私でも書けると。彼の文章力はさほど素晴らしくもなかったし、私ならここのシーンはもっとこんな感じに書くのになぁ、なんて頭の中で無意識に文章を綴ったりもしていた。
(……ちょっと書いてみるか)
◇ ◇ ◇
続編の真相暴露小説、『恋の終わり? あなたは未練タラタラ』は、『こいきみ』をはるかに凌ぐ空前絶後の爆発的ヒット作品となった。
前作『こいきみ』の内容の齟齬にまで言及し、作中で自分の名誉を回復した私のその小説には、山のようなファンレターが届いた。
その中に、何度も温かい手紙を書いてくれる人がいた。
『あなたの著作を興味深く拝読しました。文体が軽快で、描写に無駄がなく、ユーモアに品があります。最高の作品でした』
そんな風に内容を褒めてくれる手紙は、次第に熱心なものへと変わっていき、やがてはこんなことが記されるようになった。
『お時間をいただけるなら、一度お話しをさせていただけませんか?』
屋号が記されていないけれど、もしかして出版関係の人かもしれない。新たな書籍化のお話をいただけるのかも。
印税で家計が潤いはじめていたためそんな風に期待し、王都のカフェで直接会うことを承諾した。そんな私の前に現れたのは、なんと王国有数の侯爵家のご令息だったのだ。
彼と私はあっという間に意気投合し、やがて恋人同士になった。初めて心から好きになった人。今、毎日が幸せで浮かれている。
ちなみに、『こいきみ』の印税でメリヴェイル伯爵家に慰謝料を支払ったサイラスは、社交界から身を隠すかのように屋敷に引きこもっているらしい。
事実は小説より奇なり。
新たな恋にインスピレーションを得て、また素敵な物語が書けそうな気がした。
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