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7話 豚と魔物と、実験室の朝

 朝の光が差し込むフィアレスト家別邸の実験室は、油と薬品が混じり合った独特の匂いで満ちていた。重たく閉ざされた窓の外は静まりかえっているが、室内だけは毎日のように異様な活気が渦巻いている。失敗作の山、煤けた天井、割れた試験管。その中心で、父レオナルドは満面の笑みを浮かべていた。


「クロノ、お前は一体何ができるんだ?」


クロノはわずかに息を整え、真っすぐ父を見つめる。


「俺は――魔王だ」


レオナルドは目を細め、すぐさま破顔一笑した。


「ほほう、魔王とな。ならば話は早い。お主の魔力、発明のためにとことん使わせてもらうぞ!」


「クロノよ、今日こそ大発明じゃ! これがあれば家の借金も飢えも一気に解決するぞ!」

 父は手にした釜のフタを誇らしげに鳴らす。「“無尽蔵食糧生成機”の完成じゃ!」


 クロノはゆっくりと机の前に歩み寄った。床には昨日までの失敗作が散乱し、壁には爆発の跡が黒く残っている。「本当に大丈夫なのか。昨日は屋根まで吹き飛ばしていたはずだが」


「バカを言え。天才というものは一度や二度の失敗でめげるものか。見よ、この改良型を!」

 レオナルドは得意げに釜へパンの切れ端と小瓶に入った謎の粉を入れ、どや顔で叫ぶ。


「魔王の力で最後の仕上げじゃ! 全力で魔力を注いでくれ!」


 クロノは黙って釜の縁に手をかざす。父の熱気と無邪気な期待に押される形で、魔王としての魔力を静かに送り込んだ。

 釜がグツグツと音を立て、紫色の煙が立ち上る。「よし、そのまま……!」

 父の叫びと同時に、釜の中で何かが蠢き始めた。


 しばらくして、「ピギィィ!」という鳴き声とともに、まるまる太った子豚が一匹、勢いよく釜から飛び出した。

 レオナルドは驚喜して豚を抱え上げる。「見たか! 米も野菜も豚肉も、全てこの釜で生み出せる! これで家は食うに困らんぞ!」


「……まあ、確かに食糧にはなるな」

 クロノは机の端に寄りかかり、父の喜ぶ姿を静かに見守る。


「次は米じゃ、次は野菜じゃ!」

 レオナルドはパンと同じように米や根菜、さらには干からびた果物まで釜に入れ、クロノに魔力を要求し続けた。そのたびに釜からは豚だけでなく野菜や卵、たまに奇妙なキノコまで転がり出てくる。


「父上、もう十分では」

「何を言うか! 村に売れば借金も返せる! 魔王なら全力で手伝え!」


 クロノはしぶしぶ再び釜に手をかざし、さらに魔力を送り込む。釜の底からは、次々に豚と食材が現れ、床一面を埋め尽くし始めた。転がる豚たちの間で、野菜や卵があちこちに散乱する。


「見ろ、クロノ! これぞ無限の力じゃ!」

 父は汗をぬぐいながら大笑いし、転がる豚たちを一匹一匹数えては大満足の様子だ。


「これ以上は危険だ。制御できなくなるぞ」

「心配するな。発明というのは、混沌の先に奇跡が待っているものじゃ!」


 父の勢いに押され、クロノは三度目の魔力を注ぎ込む。途端に釜の中から黒い煙が立ちのぼり、部屋の空気がじっとりと重くなった。

 豚の鳴き声が止み、今度は釜のふたがカタカタと震え始める。


 クロノが一歩後退するのと同時に、釜のふたが激しい音を立てて跳ね上がった。その隙間から、黒い靄をまとった異形の魔物が姿を現した。


 その魔物は豚に似てはいるが、闇色の毛並みに鋭い牙、真っ赤な瞳で部屋中を睨みつけていた。

 父が驚いて釜から手を放し、クロノの前に身を引く。


「これは……豚ではないな」

「まさか、魔物まで生成されるとは……!」


 魔物は実験台を跳び越え、次々と転がる豚や野菜を薙ぎ倒し、凄まじい唸り声をあげて部屋を暴れ回り始めた。


 魔物は闇色の巨体をくねらせて、実験室の中央で低く唸った。

 割れた試験管を蹴散らし、転がる豚たちに向かって牙を剥く。

 レオナルドは恐る恐る発明品の影に身を隠し、クロノの方を見た。


「クロノ、なんとかならんのか! こやつ、家の床まで食い破りそうじゃぞ!」

「父上は隠れていてくれ。ここは俺が抑える」


 クロノは静かに釜の前へ進み出た。魔王の血にふさわしい力を解き放つと、黒い雷のような魔力が手のひらに集まる。


 最初の魔物が吠えて突進してきた。クロノは迷いなく手を突き出し、魔力の奔流をぶつけた。

 闇の塊は閃光とともに弾け、灰とともに消え去る。


「おお……やるのう、我が助手!」

 父が小さく呟く。


 だが、釜の中はまだ不穏にうごめいている。

 再び「グルル……」という唸り声、二匹目の魔物が現れた。今度は背中に骨のような突起が並び、さきほどより一回り大きい。

 クロノは慎重に魔力を凝縮し、一気に魔物の足元へと叩き込んだ。

 魔物は低い悲鳴を上げて崩れ落ち、床板を割って沈んだ。


 父は震える手で発明ノートをめくりながら、呆然と呟いた。「まさか、我が発明で闇の魔物が生まれるとはな……」


「もうこれ以上は何も出すなよ」

「そ、そうじゃな……!」


 その間にも、釜は小さな震動を繰り返し、三匹目、四匹目と次々に魔物が飛び出してくる。

 クロノは冷静に、しかし次第に魔力を強めながら応戦する。

 闇色の魔物たちは次々と雷や炎の魔法に撃たれ、部屋の隅へと消えていった。


 床には豚たちがびくびくと震え、壊れたフラスコや飛び散った野菜の上で、レオナルドはそっと立ち上がった。


「クロノ、お主……よくやった……」

「これ以上の発明は危険だ。今日は休んだ方がいい」


 父はがっくりと肩を落としながらも、最後には諦めずに「次こそは――」とつぶやく。


「夢を諦めるなというが、せめて村の安全くらいは守ってくれ」

「わかった、明日はもう少し穏やかな発明にする。多分な……」


 二人はため息まじりに部屋を見渡した。

 床にはまだ子豚が数匹、こっそりキャベツを食べている。壊れた道具や魔物の灰が、薄く朝の光に照らされていた。


 その静けさの中、父とクロノはようやくほっと息をつく。


「……借金返済どころか、片付けが先だな」

「ふぉっふぉ、発明も魔王も、まずは足元を固めてこそじゃ!」


 そう言って二人は、互いに小さく笑い合った。


 外ではまだ静かな森の風が吹いている。

 実験室の混乱と戦いの跡を前にしても、どこか温かい空気が漂っていた。


こうして、狂気の研究親父と魔王の新たな発明騒動は、一応の終結を迎えた。


誰も片付けない実験室の隅から、ふいに豚の鳴き声が響く。


――明日もまた、何かが爆発しそうなフィアレスト家の一日が始まるのだった。

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